■全か無か思考■
(all-or‐nothing thinking)
これはつまり、ものごとを極端に白か黒かどちらかに分けて考えようとする傾向のことです。
たとえばある有名な政治家が私に言った次のような言葉は典型的です。
「知事選に負けたので私はゼロです。」
また、いつもAを取っているのに、たまたまBを取ってしまったある学生の 「もう『完全に』ダメです」
という言葉も この全か無か思考の一例です。
このような考え方の基盤には、完全主義があります。
取るに足らない小さな失敗をしても、完全な失敗者で価値のない人間だと思ってしまうので、ちょっとしたミスも恐れるのです。
このような考え方は非現実的です。
なぜなら人生において『完全に』××である。などということはほとんどないからです。
たとえば、ある人が完璧に優れている、とか全面的にダメである、などということはまずありえないことです。
同様に完全無欠に魅力的な人というのもありませんし、逆にどうしようもなく醜い人などいません。
今、あなたがいる部屋の床を見てください。
完璧にきれいですか?
あるいは部屋中すきまもなくほこりが何センチも積もっていますか?
おそらく一部はきれいで一部はそうでもないでしょう。
この世の中に『完全』ということは存在し難いことなのです
もしあなたが経験したことすべて完全主義のカテゴリーに当てはめようとすれば、いつも憂うつにならざるをえないでしょう。
なぜならその主義は現実と折り合わないからです。
あなたの誇張された過大な要求水準に合わせることなどできませんから、永久に自信のない状態に自分を置くことになってしまいます。
このような認知障害を専門用語では「二分法思考
dichotomous thinking」と呼びます。
つまりものごとを白か黒かで考え、中間色がない考え方です。
■一般化のしすぎ■
(overgeneralization)
十一歳の時私はアリゾナのお祭りで「スベンガリ」という手品トランプを買いました。
それは単純ですが、印象的な手品です。
トランプの中から一枚だけカードを選んでください。
たとえばそれがスペードのジャックだったとします。
私にそれが何であるかは言わないで、それをカードの山の中に戻してください。
私が「スベンガリ!」と言います。
そしてカードを表にするとカードはすべてスペードのジャックになっているのです。
「一般化のしすぎ」というのは、精神的にこのスベンガリをやるようなものです。
つまりすべてのカードがスペードのジャックに変わったように、あることが一度あなたに起こったとすると
それが何度も何度も繰り返し起こるように感じてしまうということです。
それもとても不愉快なことが起こるように感じますから、すっかり憂うつになってしまうのです。
あるうつ病のセールスマンが車を運転中に鳥がフロントガラスにぶつかりました。
「これこそ私の運命だ。運転するたびに鳥がぶつかってくるんだ」と彼は考えました。
これこそ典型的な「一般化のしすぎ」です。
実際には二十年間も車を運転していて鳥がぶつかったことなどこのとき以外ないのです。
拒絶を恐れる心理もこの一般化のしすぎから生じます。
一般化のしすぎさえなかったら、拒絶されたとしても、もちろん一時的にはがっかりはしても
それほど致命的に傷つくことはないはずです。
ある内気な男性が勇気を奮って女の子をデートに誘いました。
彼女はたまたま都合が悪くてそれを断りました。
彼は「デートに誘ってうまくいったためしがない。誰も僕なんかとデートしたくないんだ。
もう生涯孤独で寂しい人生を送らなきゃならないんだ」と考えました。
彼の歪んだ認知によると、一人の女性が一度断ったということは
その人はこれからもずっと自分を拒否し続けるに違いないし
女性というのはすべて同じように自分を常に拒否する。
だから自分はこれから先も地球上のどこでも女性に愛されることはないのだ。
という結論になってしまうのです。
これこそまさに「スベンガリ!」です
■心のフィルター■
(mental filter)
何でもいいですから、何かよくないことを思い出してそればかり考えてみてください。
そうすると何もかも暗く思えてくるはずです。
たとえばあるうつ病にかかった女子大生は一番の親友が他の学生にからかわれたのを聞いて
次のように考えました。
「人間なんてこんなものだ残酷で人の気持ちなんてわからないんだわ」
しかしこのとき彼女はここ数ヶ月間自分に対して
残酷だった人などほとんどいなかったという事実を
全く見過ごしています。
また中間テストで百問中十七問を間違えましたが彼女はこの十七問のことばかり考えて
もう落第してしまうに違いないと思うに至りました。
しかし事実は百問中八十三問正解だったわけで落第どころかAをとったのです。
うつ状態の時には特別製のレンズがついたメガネをかけて
世の中のポジティブなこと明るいことを見えなくしてしまうものなのです。
意識に上がってくることは何もかもネガティブなことばかりになります。
そしてこのようなフィルターがかかっていることに気づきませんから
世の中真っ暗に感じられるのです。
専門用語でこれを「選択的抽象化 」(selective
abstraction)と言います。
これは無用の苦痛を引き起こす悪い習慣です。
■マイナス化思考■
(disqualifying the positive)
うつ病でもっと始末の悪い錯覚は何でもないことや良い出来事を
悪い出来事にすり替えてしまうことです。
単に良いことを無視するだけではなく正反対の悪いことに替えてしまうのです。
私はこれを「さかさま錬金術」と呼んでいます。
中世の錬金術師はただの鉄を金に変えることを夢見ていましたが
うつ病者はこれのちょうど反対をやろうとしています。
つまり黄金の喜びも鉛の気分に変えてしまうのです。
しかもそれを意識することなしに・・・
このことは誰かにお世辞を言われたときにあなとのとる態度のことを考えると理解しやすいでしょう。
たとえば仕事とか服装とかについて誰かにお世辞を言われたとします。
おそらくあなたは「あの人はいい人だからお世辞を言ってくれるんだ」
と考えてその人の言ったことをあまり大きくとりあげなくて
「いや、たいしたことありませんよ」と謙遜するでしょう。
この場合お世辞に対する反応ですからこれで良いのですが
もし万事この調子で人から言われた誉め言葉や
他の良いことを無視していてはさぞ暗い人生になってしまうでしょう。
マイナス化思考は認知障害の中でも最もたちの悪いものです。
たとえばいつも自分のことを二流だと思っている科学者は
実験がうまくいかないと「やっぱりそうなんだ」と考えますし
もしうまくいっても「これはまぐれだ」と考えます。
このような考え方は悲惨です。
そして時にひどいうつ病を引き起こします。
重症のうつ病で入院したある若い女性は私に言いました。
「私はどうしようもない人間だから世の中で誰一人私のことなんてかまってくれません。
私って完全に孤独なんです。」
彼女が退院したときたくさんの患者や病院のスタッフが見送りました。
しかし彼女は言いました
「これは本当のことでない。病院の外の世界の人なんて誰も私のことはかまってくれないんです。」
そこで私は聞きました
「病院の外だって家族や友達がたくさんあなたのことを心配しているじゃないですか
それをいったいどう考えるんですか?」
彼女の答えはこうです。
「それも本当のことじゃないんですみんな私のことを知らないんです
いいですか、バーンズ先生私は完全に腐った人間なんです。
この世で一番悪い人間です一瞬でも誰かが好いてくれるなんてありえないことです。」
このようにマイナス化思考によって明らかに現実と異なる歪んだマイナスの信念をもってしまうのです。
もちろんたいていはここにあげた例のように極端ではないにしても
良い出来事を無視してしまうことはありませんか?
そのようなやり方は人生の豊かさを奪い必要以上に寂しいものにしてしまいます。
■結論の飛躍■
(jumping to conclusions)
@心の読みすぎ
(mind reading )
他人があなたを見下していると思い込んでしまうと
はたして本当にそうなのかを確かめようともしなくなります。
たとえばあなたが大学の先生でとてもすばらしい講義をしたとします。
しかしあなたは一番前の席で居眠りをしている学生を見つけました。
実際にはこの学生は前の晩に遅くまでばか騒ぎをしていたために居眠りをしていたのですが
もちろんあなたはそんなことは知るよしもありません。
あなたはこう考えました「どの学生も私の講義を退屈がっているんだ。」
またあなたが道で友達に会いましたがその友達はたまたま考え事をしていたために
あなたにあいさつをしませんでした。
あなたはこう考えました。
「奴は俺を無視したもう嫌われてしまったに違いない。」
またある晩あなたのご主人がちっとも口をきいてくれません。
その日職場で嫌なことがあったからです。
でもあなたは「主人はきっと私のことを何か怒っているんだわ」と考えて
すっかり憂うつになってしまいました。
そしてあげくのはてはこのよう。な考え方ゆえに相手に気まずい反応をしたり
逃げ出したりすることになります
つまり一人相撲をとって関係を悪化させることになります。
心の読みすぎとはこのようなものです。
■結論の飛躍■
(jumping to conclusions)
A先読みの誤り
(the fortune teller error)
これは言ってみれば不幸しか映らない水晶の玉の前に座った占い師のようなものです。
あなたはそこに映っているものを見てたとえそれが非現実的であったにしても
実際に起こってくるものと信じこんでしまいます。
ある図書館司書は不安発作の間中
「気絶するかさもなくば発狂してしまうに違いない」と思い続けていました。
この予測は現実的ではありませんなぜなら彼女は生涯で一度も気絶したり
まして発狂したことなどないからです。
またうつ病にかかったある医師はなぜ診療をやめたのか説明してくれました。
「もう一生うつ病にかかりっぱなしだということがわかったからです。
どんな治療も成功しないに決まっていますし私の憂うつは永遠に続くのです。」
このように予測すると当然全く望みがなくなってしまいます。
治療が始ってまもなくうつ症状が改善しこの予測の誤りが明らかになったことは
言うまでもありません。
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このように悲観的な結論に一足飛びにジャンプしてしまったことはありませんか?
たとえばあなたが友達に電話をかけたとき
たまたま相手が席をはずしていたとします。
あなたはすぐに電話を向こうからかけてくれるようお願いしましたが
ついに電話はきませんでした。
このときあなたは彼はきっと自分を嫌っていて電話で話したくないに違いない、
と考えて憂うつになったとします。
このときの認知障害は何でしょうか?
「心の読みすぎ」です
またもう一度こちらから電話したりしてはますます嫌われるだけと早合点して
二度と向こうに電話したりはしません
これは「先読みの誤り」です
つまりこれにより友達を自分で遠ざけ自らも憂うつになったわけです。
しかし実際はあなたの伝言が向こうに伝わらなかったというだけにすぎないのです。
このような考え方は自分自身に押しつけたデタラメです
■拡大解釈と過小評価■
(magnification and minimization)
これもよく陥りやすい罠です。
私はこれを「双眼鏡のトリック」とも呼んでいます。
つまり対象物を拡大して見たり縮小したりするという意味でです。
「拡大解釈」の方はミス恐れや何か不完全なことに必要以上に注目することによって起こります。
「何てことだ!またミスをやってしまったこれでまた評判がガタ落ちだ。」
この場合双眼鏡の片方からのぞいて失敗を巨大なものに拡大して見ているのです。
ちょっとした日常的な失敗を悪夢のように感じているわけですからこれを
「破滅化catastrophizing」とも言います。
これとは逆に自分の長所を見る時には双眼鏡の反対側からのぞいてしまい
それを取るに足らないものとして見てしまいます。
もし短所を大げさに感じ長所を過小に評価するとしたら惨めになること受けあいです。
悪いのは何もかも狂った双眼鏡のレンズなのです。
■感情的決めつけ■
(emotional reasoning)
これは自分の感情をあたかも真実を証明する証拠のように考えてしまうことです。
たとえば「私はダメ人間のように感じるそれが何よりもダメ人間の証拠だ」
といった具合の考え方です。
このような思考法は間違っています。
なぜなら感情というのはそもそも単に考えの反映にすぎないからです。
したがってもし考えの方が歪んでいれば感情は妥当性がなくなります。
感情的決めつけの例をもう少しあげてみましょう。
「私は罪の意識を感じるだから何か悪いことをしたに違いない」
「もう何の希望もないように感じるだから私の今の問題は全く解決不能だ」
「自分がずれてるように感じるだから全然価値のない人間だ」
「何もやる気がしないだからベッドに横たわっているしかない」
「私はあなたに対して腹を立てている
そのことはあなたが私を嫌っていて弱みにつけこもうとしている何よりの証拠だ」
感情的決めつけはうつ病のほとんどすべての症状に関係してきます。
マイナス面ばかりを感じるので事態はすべてマイナスだと思ってしまうのです。
感情を作り出す認知が正しいかどうか常に検証していれば
感情的決めつけが生じることはありません
感情的決めつけの副産物は決断の引き延ばしです。
たとえば「とてもこんな汚い机の上をかたづける気分になれない。
だから机を整理することはもう不可能なんだ。」
と考えてかたづけを何ヶ月も引き延ばしている場合などです。
この場合でもたとえば六ヵ月後にちょっとやる気を出して
かたづけてしまえば何でもないことがわかります。
マイナスの感情に自分を追い込むことによりずいぶん損をしているのです。
■すべき思考■
(should statements)
何かやるとき「これを『すべきだ』」「これを『しなければならぬ』」と考えてしまうことです。
こういう考え方は必要以上のプレッシャーを与え自分自身を追い詰めてしまいま。
皮肉なことにかえってやる気をなくしてしまうという結果に終わりがちです。
「せねばならぬ(must)」と考えすぎるという意味でマスターベーション(musturbation)とも言えます。
この「すべき思考」を他人に向けると自分がフラストレーションを
感じることになるのが普通です。
あるとき急用ができてある患者との診察の約束の時間に五分遅れたことがあります。
その人は言いました
「こんなに遅れるなんて勝手すぎます心配りがなさすぎます時間ちょうどに
来ないといけません。」
この考え方は結局怒りを引き起こし自分を気まずくしてしまいます。
「すべき思考」は日常に無用の感情的混乱をもたらします。
もし実際の行動が「すべき」「すべきでない」の基準に合わないと
自己嫌悪、恥や罪の意識を感じることになります。
世の中の人の行動もたいていこの基準に合いませんから
にがにがしく感じることが多く独善的になりがちです。
この結果現実に裏切られたように感じたり
人の行動にがっかりさせられることが多くなります。
あなたがもしこの悪い習慣に気づきそれを治そうとするなら後の章で良い方法をお知らせします。
■レッテル貼り■
(labeling and mislabeling)
間違った認知に基づいて完全にネガティブな自己イメージを創作してしまうことです。
極端な形の一般化のしすぎとも言えます。
この背景にあるのは「人の価値はその人の犯す間違いによって決まる」という考え方です。
レッテル貼りは間違いをしでかしたときに「全く私ってやつは・・・」
という表現で始まる言葉を吐くのが特徴です。
たとえば十八番ホールでのパッティングをはずしたとき
単に「あっ!失敗した」と言うかわりに「私ってやつは全くダメな人間だ!」
と考えるようなものです。
また株が下がったとき「失敗した」と思えばすむところを「自分は敗北者だ」と考える思考法です。
レッテル貼りは自己破壊的であるばかりでなく不合理な考え方です。
あなたの自己はあなたの行為と決して同一ではありません。
人間の考え、感情、行動は常に変わっていきます。
言いかえればあなたは銅像ではなく川の流れなのです。
ネガティブなレッテルを自分に貼るのはやめるべきです。
それはあまりに単純で間違っています。
あなたが食べたり呼吸したりするからと言って「食べ人間」「呼吸人間」
などというレッテルを自分に貼りますか?
ナンセンスです!
同様に失敗したり負けたからといって「失敗者」「敗北者」というレッテルを貼るのも不合理なことです。
他の人にレッテルを貼った場合たいていは敵意を巻き起こすことになります。
たとえばある課長が秘書に「役立たず」というレッテルを貼った場合
その秘書のいろんな機会をとらえて罵るのには都合がいいでしょうが・・・
秘書もお返しに「わからず屋の石頭」とかなんとかレッテルを貼ることになり
結局はお互いの欠点をつつき合う結果になります。
間違ったレッテルを貼ることは重大な逆効果を生むこともあります。
ダイエットをしている女性がつい皿一杯のアイスクリームを食べました。
彼女は考えました「なんて私はダメなんだ私はブタだ!!」
そして彼女はやけになって1カートンのアイスクリームをみんな食べてしまいました。
■個人化■
(personalization)
罪の意識のもとになる考え方です。
良くない出来事を理由もなく自分のせいにして考えてしまうことです。
たとえば私がやってくるように言った課題を患者がやってこなかったとします。
このとき私は「これは私のせいだなんてダメな治療者だ!」
と考えて罪の意識を感じるのが個人化です。
子供の通信簿が悪かったのを見た母親が
「これは私の責任だダメな母親だ」
と思うのもそうです。
個人化が引き起こす罪の意識はあなたの両肩にずっしりと重い責任をかぶせることになり
当然それゆえに苦しむことになります。
個人化においては他人に対する「影響」と「操作」がゴッチャにされています。
教師、親、医師、セールスマン、重役としてなんであれあなたの役割は
確かに他の人に「影響」を与えていることは確かですが
決してあなたが他の人を「操作」しているのではありません。
ある人の行為の結果は結局あなたではなくその人の責任なのです。
他の人のことまで自分の責任に個人化してしまう傾向をいかに克服するかは後に述べます。