日本国有鉄道


 父が国鉄職員だったので子供の頃は駅の官舎住まいでした。
蒸気機関車の汽笛や動輪の音を聞き、貨物ホームや駅前広場が遊び場でした。
 官舎の子供たちは、駅員さんとも仲良く家族付き合いで国鉄一家そのものでした。
 「日本国有鉄道」・・・私にとって懐かしくまた思い出がいっぱい詰まった玉手箱のようなものです。


   国鉄のシンボル 桐と動輪

                                         国鉄の帽章と襟章。父の形見です。


金沢駅


D51のトップナンバー

電化の波もいよいよ金沢まで押し寄せてきました。
金沢駅構内にも架線が張られました。
写真は金沢駅西ヤードで貨物列車組成中のD51トップナンバーです。
(昭和38年9月)




C575がバックで客車留置線から編成を引っ張り出しています。
昭和38年4月


電化前の北陸本線の花形、最初の本線用ディゼル機関車





DD50(DD502+4)

何しろ騒々しい機関車でした。でもこの田舎のおじさんタイプの機関車が好きでした。
(昭和38年4月)


ED74

しばらくでしたが北陸本線に新鋭ED74もいました。
これは急行「日本海」でしょうか
見慣れたED70と比べ洗練された感じがしました。


C5746

中橋陸橋上から見た金沢駅構内
信号所の向こうに北陸鉄道金石線との貨車受渡し線があります
中橋陸橋も金沢駅の高架化とともになくなりました。
大ピンボケですが当時の金沢駅構内を偲んでください
この写真は小学生の私が兄の6×6版カメラを首に掛け初めて一人で写しに行った時の写真です
昭和34年8月8日(記念すべき日です)



キハ25 転線中

七尾線和倉行のサボを付けています。大ピンボケ



加賀笠間駅助役時代の父です。         笠師保駅で父が被っていた駅長帽です、60年ほど前になります。