想い出の駅

このページは子供の頃の懐かしい思い出を忘備録を兼ねて作ってみました。


加賀笠間駅

加賀笠間駅の官舎には昭和24年から30年までの6年間住んでいました。そのため小学校入学は石川郡笠間村立笠間小学校です、2年生までいました。



 左の写真は、昭和28年か29年の4月、桜満開の時期に写真の得意な駅員さんか写真屋さんが撮ったものです。
 当時駅前には大きな桜の木が数本あり、これは駅から見て一番左側にあった一番大きな木に登って撮ったものでしょう。
 満開の桜の花が写っています。

こちらは昭和50年頃の撮影です。
駅舎はほとんど変わっていません。
駅裏はごらんのとおりまだ一面田んぼです。
今は住宅が建ち並びこの地点からは駅は見えません。


昭和54年の撮影です。現在は右側の軒先を囲って待合室を拡張してあります。
近くに大学ができたため学生さんの乗降も多くなったためです。

官舎です。この時分にはまだ建物は残っていました。多分使われていなかったと思います。
屋根は一つですが2軒の棟割長屋です。
左半分がボクの住んでいた助役官舎で右半分が駅長官舎でした。
その右隣りには一軒家の保線区長官舎がありました。
手前の建物は納屋で、左の駅舎から駅長官舎と保線官舎へ行くにはこの細い道しかありませんでした。
後ろの大きな屋根は跨線橋で、左のブロックの建物は風呂場(当時は木造)で横が石炭置場です。

  


現在の加賀笠間駅です
東口には大きな住宅街が出来たので改札口が出来ました。



津幡駅

津幡駅は北陸本線と七尾線の分岐駅です。
前の加賀笠間駅と比べると駅の規模も大きく駅員も50人ほどいたと思います。
待合室には売店もあり、子供用の月刊雑誌などはほとんど揃っていました。
発売日になるとお金を握りしめて「少年」を買いに行きました。
小学3年生から5年生までここの官舎で暮らしました。
当時は倶利伽羅峠用の補機E10もいました。
北陸本線から七尾線直通の客車もあり、ここで引き渡ししていました。


停まっている車はスカイラインとカローラでしょうか。
撮影は私がいた昭和30年代初めとは違い現在の駅舎に建て替えられる直前だったと思います。
左の建物は便所で、跨線橋は今も同じではないでしょうか。
駅前広場やその下には、旅館や食堂、飲み屋さんなどがありました。



昭和31年の津幡駅構内です。左は煙を上げているのは上り貨物列車を牽くD50です。
右は駅官舎前から撮った上りの客車を引くC57です。
機関車の向こうの地肌が見えるのは国道8号線新設工事で山肌を削り取った跡です。
山一面は大昔の墓地だったらしく人骨の屑がいっぱい散らばっていました。
その右手には長い階段の神社があり、お祭りのときの相撲大会に出ました。




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