能登線は私が子供の頃穴水から鵜川、宇出津、松波そして蛸島と順次開業していきました。当時父が七尾線の笠師保駅の駅長をしていました。
 父は単身赴任だったので夏休みなどは母と一緒に笠師保駅の官舎で暮らしました。今の郵便局の所です。
 そのとき能登線は穴水ー鵜川間が開通していました。
 毎朝能登線用の回送気動車が2両編成で穴水方面へ走っていきました。
 当時、七尾以北の七尾線はまだC56が3両ほどの客車を牽いていた時代ですので、すっごく新鮮に見えました。


おくのと号 珠洲駅到着


 能登線といえば忘れられない「ふるさと列車おくのと号」がありました。
奥能登観光がやや翳りだしてきた頃の数年間大いに鉄道ファンを楽しませてくれました。
金沢から七尾まではC58が七尾から珠洲まではC11が引っ張りました。


帰りは七尾までバックで牽きます

能登線には転車台が無いので上りはバック運転です。これがまた良かったです
この西岸駅は最近アニメ人気で乗降客が増えました。
この頃には全く想像もできませんでした。
西岸駅


そして七尾から金沢はC58が牽引します
牽引機はおなじみの140号です。


穴水から能登線に入っていく「おくのと号」

左は輪島へ右は蛸島へ、今はどちらも記憶の彼方に。


松波駅

上り列車がやってきました、これに乗って金沢まで帰ります、雪が降ってきました
昭和51年3月(110カメラ)