輪島行「能登路1号」が能登三井駅のホームに入ってきます。
以前は列車交換もしていたのですが、穴水ー輪島間が一閉塞となってからは対抗ホームは使われなくなりました。
線路が雪に埋もれています。
ホームの右にも待避線があったのですが貨物列車の廃止とともに使われなくなりました。
(3月2日 10時15分撮影)
能登三井到着。輪島へ行くお客が数人乗り込みました。
下り能登路1号が上り能登路4号として輪島から帰ってきました。上り勾配をエンジンを目一杯吹かして登ってきます。
この辺は旧国道が線路と並行して走っており、昔はよく通りましたが新道が出来てからは久しぶりに通りました。あまり整備もされていません。
ちらちらと雪が降ってきました。(3月2日 11時25分撮影)
←
上の写真の半年後です。夏草の覆われた路盤に線路がかすかに見えます。
そして穴水方面への急勾配をマフラーから排気ガスを蒸機のように出して去っていきました。
能登観光全盛時代は6両編成の急行「能登路」も珍しくなく10往復もありましたが、晩年はこの列車のみになりました。
そしてこの線路上を走る車両は、もう2度と見ることは出来なくなってしまいました。
上と同じ場所、こちらはもうレールも見えません
上の写真と同じ場所です。C56124の牽く上り貨物列車。この当時はまだこの道路だけが輪島への国道でした。
昭和41年に輪島に赴任した時はまだ未舗装でした。金沢から輪島まで国道の未舗装はここと能登中島、笠師保付近のみでした。
この写真は昭和50年に写したものですでに舗装されています。
道路に車を止めているのは地元の森林組合の人たちです。
知り合いなのでしょう機関士(機関助士?)と話していました。のどかな時代でした。