その2


中屋の混元丹前

 漢方薬の老舗南町の中屋さん店舗前を武蔵方面に向かっているモハ2104です。
この建物は近年移築され今は長町の武家屋敷付近で資料館として保存されています。ここには明治天皇が金沢行幸の折りご休憩されたそうです。
 土塀に5本線が入っていました。天皇ゆかりの建物には5本線が入っているそうです。(写真提供 柏木 茂さん←お元気ですか)


金沢駅前


 昔のトヨタ自動車金沢支店前です。電車の後はたしか駄菓子屋さんで店先に子供用のパチンコがあって当たり穴に入るとシガレットココアがでてきました。
 タバコも売っていましたがなんで「こばた」と書いてあるのかなあと思ったものです。


 道の真ん中に電停があります。それも立て看板です。あぶないですねえ。当時はなんとも思わなかったですけど。
 バス停の看板に兼六パチンコとありますが都ホテルができたときにその地下に移転しました。


いよいよ発車です
車掌が乗り込もうとしています。
でも駅前の大通りの真ん中に堂々と停車していましたね、この時分は。



雪の公園下車庫

 大雪の日、各車両は出庫準備は完了しているのですが行き先表示板の取り付けもまだです。
雪のため道路事情がだいぶ悪化しています。
(写真提供 西尾博保さん:ご冥福をお祈りします)


北陸鉄道本社前

モハ311の右の3階建てのビルが北陸鉄道の旧本社です。
本社の後が市内線の車庫になっており車庫の入り口は本社ビルの向こう側です。
 市内線廃止後本社は市内割出町の現在地に移転しました。
写真の右手前に市内線用の胡桃(くるみ)町変電所がありました。
 現在は写真右手一帯は兼六園の県営駐車場になっており観光客で賑わっています。


 


野町駅前電停

野町駅前には低く土を盛ったホームらしきものがありました。
このようなホームはここと東金沢駅前、大樋口だけではなかったでしょうか。
 野町駅前からは4番系統鳴和ゆきが出ていました。
ビューゲルの上の架線には「鳴和ゆき」の表示板がぶら下がっています。
 写真手前には市内線と石川線を結ぶ連絡線が敷かれていました。

旧8号線からここまで降りてくる途中には踏切もありました。


 


廃止直後の市電車庫と
我が母校小将町中学校

♪ あさ早ーき街の景色に〜



 廃止直後の公園下車庫の様子です。全車パンタを撤去され、お別れ花電車の名残をとどめている車両もあります。

 車庫の向こうの建物は私そしてこの写真を提供いただいた津田幸治先輩の母校金沢一の歴史を誇る小将町中学校です。
歴史があるだけに校舎は古かったです。ボロボロでした。現在は立派に建て替えられていますが。
♪ 朝早き街の景色に〜 と歌い出す小将町中学校の校歌は作詞室生犀星、作曲山田耕筰で一題目しかありません、でも長いです。
 一番向こうの車庫の横に側線があり、中学校の敷地と接していました。教室の横には廃車となったモハ40番代や50番代60番代が留置されていました。


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