その5


 白山下から降りてきた野町行モハ3752単行の後ろ姿です。
撤去した側線の枕木が山のように積み重ねられていてホームが見えません。


河合鉱山のホッパーですが早い時期にトラック輸送になってしまいました。昭和62年8月20日


廃線後の姿です。まだ往時の面影があります。



 
  38豪雪の時の鉄橋の写真です。(昭和38年1月29日)

 

レールは撤去されました。平成11年6月3日


手取温泉駅

38豪雪

38豪雪とは昭和38年の1月に北陸を襲った大雪のことです。
私が住んでいた金沢市内でも積雪が180センチを超えました。
豪雪地帯を走る金名線はすでにお手上げ状態で除雪をあきらめ長期運休体制に入っています。
20日間ほど運休したのではなかったでしょうか。


昭和62年8月20日

北陸鉄道直営の手取遊園の最寄駅です。
子供の頃は夏休みの町内会の子供会などでよく連れて行ってもらいました。
当時は他にこのような施設はなく、大いに賑わっていました。
日本海側初とか、東洋初とかという遊具もいっぱいありました。
往き帰りの電車では当然に運転席横の特等席で子供たちは立ったままでした。
その後、金沢ではヘルスセンターなどの一大娯楽施設ができ、だんだんと寂れていきました。

運転休止中の手取温泉駅です。架線が垂れ下がっています。
2度と電車は来ませんでした。


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