軽海駅周辺は沿線でも比較的大きな集落があり駅舎もそれらしき造りになっています。
しかし、無人駅になってからはボロボロになっていく一方でなんとか最後まで持ちこたえたという感じでした。



今にも倒れそうですが駅の雰囲気はあります。手前切妻側が入り口です。入り口の上の電灯が時代を感じさせます。(昭和54年1月)




 鵜川遊泉寺行きの到着です。
乗車1、降車1でした。古枕木が積んであるところを見ると元は交換可能駅だったんでしょうね。
 軽海駅には最後まで貨物ホームがありました。
この貨物線に単車の電車が留置されている写真を見たことがあります。


小松から5.9キロ終点でーす。

木陰に隠れたように小さな終着駅がありました。モハ3005の小松行きが発車です。



小松からやって来たモハ3002です。この鉄橋を渡ればもうすぐ終点です。





 終着駅に到着です。さあ折り返しまでちょっと一服すっか。小松線は廃止までツーマンカーでした。
 この先まだ延伸の予定であったので線路はカーブして左へ伸びています。そして路盤の築堤はだいぶ先までありました。
本来は中間駅なのですが事情があって延長されずに結果的に終着駅となったところはどこも寂しいですね。




構内側線に留置されているモハ1601(電装解除)です。いつの間にか金石線からいなくなったと思ったらこんな処にいました。
ラッシュ時用だったのでしょうか。


昭和61年5月31日遂にお別れの日が来ました。ここに57年間に及んだ地域の足としての役割を終えました。


駅名標や鵜川遊泉寺行きの看板も取り外されました。
北陸線の車内から撮影。


レールも錆びて真っ赤かになりました。寂しいです廃線後の駅は。


お別れ列車の飾り付けもまだ付いたままで解体を待っています。3005はヘッドライトも撤去されていました。



鵜川遊泉寺駅跡は草に埋もれて、当時からある大木だけが駅跡を偲ばせてくれます。
電車の代わりにバスが走り出しましたがだんだんと本数も少なくなり、今ではほんの数本だけになってしまいました。


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