昭和46年7月11日 営業廃止
私にとって加南線は家から遠いのであまり馴染みがありませんでした。
でも北陸鉄道線では一番華やかで廃線なんかあり得ないと思っていましたが、あっという間に無くなってしまいました。
加南線に初めて乗ったのは小学校低学年の時、山中温泉で大相撲の興業があったときに父と一緒に乗りました。朝潮と松登が結びだったので、多分高砂部屋の興業だったのでしょう。
そして、社会人になってからは忘年会などで山中温泉に行くときに大聖寺から利用しました。
JR大聖寺駅のホームの向こうの線路端にはつい最近まで加南線の0キロポスト立っていました。
帝国繊維前
大聖寺を出てすぐの駅で交換可能駅でした。駅舎へ続く細い道はあまりにも細すぎて人間も交差がやっと。
しかし、ここで交換する必要があったのだろうか。大聖寺駅がホーム1面だったためか。
切り通しから加南線のエース「くたに」号が顔を出しました。この時期が加南線の一番輝いていたときなのでしょう。
加賀温泉の名湯山中温泉の玄関口というだけあって、立派な駅舎でした。
廃線後もバスターミナルとして長い間使われていましたが、数年前に取り壊され今はスーパーになっています。
晩年は駅構内も寂しくなりました。
最終電車が到着しました。もうすぐ駅の電灯も消えます。
加南線の一大ジャンクション
昭和45年11月2日 河南
河南駅を同時に発車した大聖寺行きの「しらさぎ」と山代方面へ向かう1800系の単行。窓から見える車内は乗客もまばらでした。
山代に向かうモハ1821
動橋 昭和38年9月
モハ1801と1802、片山津線旅客用車両のオールキャストです。
左奥の車庫には片山津線専用の小さな木造有蓋車が1両いました。
電車の後にくっついて走っている写真を見たことがあります。
集電装置は珍しいY形で北陸鉄道ではこの2両だけだったのではないでしょうか。