北陸鉄道 石川線 加賀一の宮駅

鶴来ー加賀一の宮間はまだ廃線時そのままになっているんですが、地元白山市では何かに活用できないかと思っているらしいです。
そうなればいいなあー



駅構内立ち入り禁止の看板が立ちました。

改札口も閉ざされ駅名標も消されました。


線路もすぐに錆びてしまいます。


くりはら田園鉄道 (栗原電鉄)

廃線の一年後くらいに行ってきました。この後すぐに東北豪雨があり鉄研究家としてご活躍された交通博物館の岸由一郎氏がその犠牲になりました残念です。合掌。
まだ廃止後日も浅いので今にも電車がやってきそうな雰囲気です。駅舎内のいろんな張り紙や看板から存続に向けて頑張っていた様子が感じられます。


起点の石越駅です。模型にでもしたくなるような好感の持てる駅です。建設当初はモダンなデザインだったんだろうと思います。


ゼロキロポストがあります。右手には国鉄線と連絡していただろう広大なヤード跡があります。


線路側からゼロキロポストを見ました。とても感じの良い終点駅です。鉱山で賑わっていた時分はたくさんの人が利用したんでしょうね。

駅舎の裏側から見ました。その昔貨物ホームでもあったような雰囲気です。


国鉄(JR)石越駅です。こんな小さな駅から私鉄が出ていたんですね。寂しい駅で待合室には誰もいませんでした。駅員さんいたかなあ。

石越駅の跨線橋からくりはら田園鉄道石越駅を見ました。人がいません。駅前の商店も開店休業といった感じの寂しい雰囲気の街でした。
駅前の酒屋さんに立ち寄り地酒のカップを何本か買い込み次に来た列車に乗りました。
記憶が薄れましたが乗ったのは確か大船渡線の気動車ではなかっただろうか。
ホームにはボクを含め3人でしたここから小牛田まで乗り古川の息子宅まで行きました。


日本カーバイト魚津

以前から気になっていたお隣り富山県の魚津にある日本カーバイトの専用引込線の跡を見てきました。
JR魚津駅は国鉄時代何本もの留置線を持ちそれを長い跨線橋で跨いで地鉄の魚津駅と連絡していました。
今ではその跨線橋も撤去されJRと地鉄は完全に分離されました。

魚津駅から工場方面を見ます。今にも列車が走ってきそうです。

上の写真と同じです。工場専用線にしては路盤がしっかりしているような感じがします。

工場の門の前には道路があり線路は切断されています。
道路の向こうが工場で同じような柵があります。写真は魚津駅よりの柵ですが、この柵は何のためにあるんだろうか。
路盤内に入らないようにということなのでしょうが上の写真のようにどこからでも入れて横断も自由にしています。

上の写真の道を挟んだ工場側の柵から工場内を覗いてみました。まだしっかりと線路が残っています。
ここをCタンクが貨車を牽いてゴロゴロと走っていたのかと思うと現役時代に是非来るべきだったと悔やまれます。
ご近所の人に聞いたところ、ここには昔、デゴイチが貨物列車を牽いて入って来たと言っていました。
そのデゴイチが市内の学校で保存されているとも説明してくれました。
多分蒸気機関車はすべてデゴイチなのだと思っているのではないでしょうか。
この日カ(にっか)さん以前に人工イクラの製造で脚光を浴びましたが今でも作っているのだろうか。
本物そっくりで結構美味しかったと記憶しているのですが。