クフ王が建てたのではないという、こんな証言・意見の数々が




  @  カイロ博物館所蔵の「目録碑板」に、次のような記述があります。
     「上下エジプトの王クフに命が与えられる。彼はロータス(冥界)の主、オシリスの家の北西、ハリマキスのスフインクスの家の傍に、ピラミッドの女主人イシスの家を発見した。彼は神殿の傍にピラミッドを建てた。そしてこの神殿の傍にヘヌトウセンのためのピラミッドを建てた。」(JHブレステッド「エジプト古記録」)    
    ここでは、イシスはピラミッドの女主人であり、順序として、最初に大ピラミッドがあり、それはイシスのものであり、その前にある神殿のそばに、クフは自分のピラミッドを、いわゆる王妃のための3つのピラミッドと、衛星ピラミッドを建てた、ということではないでしょうか

  A  クフ王の妃のピラミッドGl-cに接して建てられた、イシス神殿にある石碑には
    「このイシス神殿が廃墟になっているのを見つけたクフは、神々の像を復元し、スフインクスの修理をした」とあります。
    ここから類推するに、新たに大ピラミッドを建設したのであれば、スフインクスの修理を書き込む前に、ピラミッドを建てたことも、書くのではないでしょうか。またイシス神殿が、スフインクスとともに既に存在したということは、この丘は以前から「開発」されていた、ということです。スフインクスは、カフラー王が建てた、とされていますが、これでは明らかに、カフラー王以前に、さらにクフ以前に、スフインクスは建っていたことになります。
 
  B  クフの娘インベントリー王女の石碑には、「スフインクスは、ケオプスのときには存在していた。髪飾りの部分が雷で打たれ、それを修復したのはカフラー王の功績」とあります。
    この碑文は前6−7世紀頃のもので、古王国のものを模写したものとされています。だから信用性に欠ける、として学会では無視されています。ですが、後世の時代の神官が、王女の碑文を再生するときに、内容をわざと書き換える必要が、あるものでしょうか。
    そしてこうした数々の碑文が、古代から私たちに訴えているのは、このギザ台地には、偉大なモニュメントが存在していて、前述の王たちが、それらを修理したり、補修したのは立派な行いである、ことを伝えたかったのではないでしょうか。

  C  第5王朝9代ウナス王のときに、初めてピラミッド内部に、文字と装飾が記されました。王を葬送するためのものです。この内容は通称ピラミッド・テキストといわれます。(略称でPT)。しかし、第4王朝で建造された全てのピラミッドには、内部の通路・墓室など、どこにも文字や絵がありません。例外は、大ピラミッドの「重力軽減の間」にある、クフ王名の落書きのみです。もしクフ王が、これだけの偉大な建造物を、完成させたのなら、どうして自分の功績を、ピラミッド内部に記さなかったのでしょうか。
  
  D  70年前の、第3王朝2代目ジェセル王の、階段ピラミッドでは、南墓地下の偽扉に、ジェセル王自身が描かれています。また、セルダブ(小部屋)の中に、ジェセル王自身の彫像が、安置されています。大ピラミッドの内部には、充分なスペースがありながら、ヒエログリフで王名や王の賛歌を、一行でも書くことを、何故しなかったのでしょうか。
   書き込もうにも、外装石で閉じられていて、「どこが入口かわからなかった」のではないですか。または「書き込んではいけない」、理由があったのでしょうか。

  E  エジプトの最初のピラミッドは第3王朝2代目のジェセル王の階段ピラミッドです。それを建てた神官のイムホテプは、その業績により後世、神の如くに、崇められます。そして、その70年後に、それよりも2倍以上高く、体積で8倍近い大きさで、しかも真正の光り輝くピラミッドを建てたのは、神官のヘムオンです。彼はギザの3大ピラミッド配置などの、全体構図にも関わったともいわれています。これほどの偉業を成し遂げた、ヘムオンですが、さぞかし尊崇されているのかと言えば、全くといっていいほど、後世無視されています。何故でしょう。彼が建てたのではないと、「皆が知っていた」、のではないでしょうか。
 
  F  ジェセル王の階段ピラミッドは、北側に玄室への入口がありますが、同時に礼拝神殿も、北側にあります。儀式をする時は、玄室の入口の前で執り行われるでしょうから、それが当然でしょう。しかし、第4王朝時代に入ると、初代のスネフェル王から始まって、全てのピラミッドが、北側に(階段ピラミッドのみは西側にも存在)入口を設けて、東側に礼拝堂もしくは葬祭神殿が、建設されています。
     ピラミッドを自らが建造すれば、埋葬のときには当然その入口で、儀式を遂行するのではないでしょうか。棺を搬入するときに、最後の儀式をピラミッドの前で執行し、中へ搬入されたのを見計らって、その入口を閉じる。その後永年の間、神官がその入口の前で弔いを続ける、というのが普通の考え方ではないでしょうか。現に後世のピラミッドでは、そうした儀式が描かれています。
    太陽王として、日の昇る東に葬祭神殿を設けた、というのが定説ですが、それならば玄室への入口も、太陽光の入る東に設けるのが、最もふさわしいのではないでしょうか。時代は違いますが、アブシンベル神殿では、太陽光が神殿の奥深くに差し込むように、建造されています。
    ただしクフ王以前に、この大ピラミッドがそこにあった場合、それは白い外装石で覆われて、入口も勿論どこにあるか見えない。ですから葬祭神殿を東側に設けても、何の不都合もなかったことでしょう。
  
  G  こうしたことから総合的に勘案しますと、この大ピラミッドは、クフ王の以前から建っていたものを、クフ王が自分の記念碑(王墓)として、剽窃したのではないか、と推論します。そして大ピラミッドの周囲に、葬祭神殿、王妃のピラミッドや近親者の墓を配置したのでしょう。その付随施設を建設したのが、クフ王ということです。勿論それら周囲の建物だけでも、莫大な費用と労働力、年月がかかったでしょう。そしてクフ王は、その付属施設の中で、「王妃の3つのピラミッド」とされている中のひとつ、もしくは衛星ピラミッドを、「クフ王本来の王墓」として利用したのではないでしょうか。
   

  
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  【閑話休題】
    
   大ピラミッドの周りには、王妃のための3つのピラミッドと、衛星ピラミッドが併設されています。こうした、ピラミッドに付随した小ピラミッドというのは、最初のジェセル王の階段ピラミッドにはありません。それはスネフェル王になって初めて造られます。メイドウムのピラミッドに「衛星ピラミッド」が登場し、それからは「屈折ピラミッド」と「ギザの3大ピラミッド」に、それぞれ付随する「王妃または衛星ピラミッド」が造られています。
   これらの小ピラミッドはどういう役割なのか、今ひとつ判然としません。衛星ピラミッドについては、ザヒ・ハワス(エジプト考古局長官)は、「儀式のときに王が着替えをした更衣室」ではないか、と推論しています。王妃のピラミッドについても、そこに王妃が埋葬された確実な証拠はなく、王妃を示す装飾などはありません。だいたい即位して間もない王が、いきなり王妃の墓を3つつくるのは、解せません。永いこれからの統治の間に、さらに気に入った王妃が増えるかも知れません。
   クフ王の王妃のピラミッドの持ち主は、母親(?)のヘテプヘレス、ヘヌトセン王妃、メリティティス王妃と推測されています。大ピラミッドがクフ王なので、その前の小さいのは、クフの王妃たちだろう、ということだけです。
   しかしここで疑問なのは、エジプトの王朝では、第1王女が王権の継承権を持っていて、息子たちの中で、この王女と結婚できたものが王となる、という慣習が厳然として存在しました。養子後継に似ています。だから正妻の王妃は、王宮の中では王とは対等で、それが彫像になると、王と手を組んで並んで座る像になります。これは表向きは、一夫一婦制です。ハーレムを造って、愛妾を集めたりする傾向はなかったようです。
   勿論何人もの妃がいたようですが、それは子を増やすためで、その場合でも正妃の手前、他の妃は他国からとるなど、気を使っていたのが実態です。ところがこのクフ王は、なんと史上初めて民衆の前で、何人もの王妃の存在を宣言し、その王妃のために建造したのでしょうか。その場合、正妃のヘヌトセンの立場はどうなるのでしょう。ちょっと考えにくいですね。だから、王妃のピラミッドといわれているものは、クフ王自身と、正妃と母親のものではないでしょうか。
   そこで、第4王朝の6つの巨大ピラミッドを除いて、付随ピラミッドとその他のピラミッドを、比較してみました。すると、各王が利用した石材の、体積比較では、意外と近似値にあるようです。ここでは、カフラーがちょっと少ないですが、これは葬祭・河岸神殿などや、スフインクスなどは含まれていないので、そうしたものを考慮すると、カフラーも同レベルにあるのじゃないでしょうか。そして各王に供出した石材は、比較的一定しているばかりか、第5王朝に入って、供出量が増えてゆくのは、ある面ピラミッド技術は進歩しているのではないでしょうか。
   また第4王朝での、こうした王妃や衛星ピラミッドづくりで、既存の巨大ピラミッドを手中にしてゆく方式が、第5王朝に入って、ウセルカフに見られる「ピラミッドと付随ピラミッドと神殿」の統合した様式になって、それが後の統一様式として定着するのではないですか。

     【付随ピラミッドを含むピラミッドの体積比較】

王朝代目 王名 ピラミッド名称 巨大ピラミッドの体積(立法メートル) ピラミッドの体積・付随ピラミッドの体積 合計 備考
3-2 ジェセル 階段 330,400
3-3 セケムケト 33,600 未完成
3-4 カーバ 47,040 未完成
4-1 スネフェル メイドウム・崩れ 638,733 2,998

ダハシュール・屈折 1,237,040 30,430
ダハシュール・北(赤) 1,694,000
4-2 クフ 2,583,283 67,998
4-3 ジェデフラー 131,043 中断
4-4 カフラー 第2 2,211,096 1,866
4-6 メンカウラー 第3 235,183 18,000
4-7 シェプセスカフ 148,271 マスタバ墳
5-1 ウセルカフ 87,906
5-2 サフラー 96,542
5-3 ネフェルイルカラー 257,250
5-6 ニウセルラー 112,632
5-8 ジェドカラー 107,835
5-9 ウナス 47,390