ピラミッド建設の真の歴史はこれだ



   ここで新たな問題が発生します。第1は、誰がこのピラミッドを建てたのか。第2に、クフ以前から大ピラミッドが存在していたとすれば、何故クフ以前の王がそれを利用しなかったのか。また大ピラミッドがクフ以前に存在したことを、裏付ける記録はあるのか。第3に、それではクフはどこに葬られたのか。クフに限らず、第4王朝の王達の墳墓は、どこにあるのか。そこでこれらの問題を解決するために、ピラミッドの歴史の中に、どういう問題があって、どこに疑問を解決する糸口があるのか、実態はどうだったのかを推理しつつ、詳細にチェックしてみます。
   
  @  まず第1王朝から第3王朝初代までは、王が崩御すると、マスタバ墳と言われるベンチ状の墓を作って、王のミイラや副葬品、中には殉死も含めて、葬りました。第3王朝2代目のジェセル王のときに、初めてピラミッドが登場しましたが、それは6段の階段状に造られました。もしその前に大ピラミッドなどが存在したとすれば、それはほとんど神話の時代の、遺跡であったでしょう。それと同じようなものが、歴史上初めて、人間イムホテプの手で建造されたとすれば、大変な快挙で、イムホテプの仕事が神業と、称えられたのは当然です。
 
  A  ジェセル王の後の王達は、3代に亘ってピラミッド造りを試みていますが、途中で建設放棄や、未完成だったり、崩壊などによって、ひとつも完成されたものはありません。
   ところが、第4王朝初代のスネフェルになって、今度はいきなり、3つの巨大ピラミッドを建設したことになっています。この3つのピラミッドの石材量は合計で、ジェセル王の実に10倍に昇る、クフ王の大ピラミッドの1.3倍にも昇る、300万個の石を積み上げています。実にイムホテプの業績の10倍になる偉業です。
  B  しかも最初のメイドウムの、崩れピラミッドでは、礼拝堂の石碑に王名が刻まれないまま放置され、その結果持ち主不明状態です。次の屈折ピラミッドは、途中で角度が変更されていたり、入口が2箇所開けられているなど、構造は不可解な状態です。またもうひとつ疑問なことは、この屈折と次の赤いピラミッドのいずれにも、不釣合いに小さい礼拝堂が、東に設けられていることです。さらにスネフェルの3つのピラミッドは、どれも内部には全く何の装飾・文字もない上に、石棺に葬られた痕跡がありません。もし墓だとすれば、巨大な労働力を動員して3つも王墓を造り、どれも利用しようとしないなんてことが、あるわけがないでしょう。
  
  C  スネフェル王については、パレルモストーンに名前が出てきますが、それは遠征の成果と、宮殿の門と壁を築いたことが、書かれているだけで、ピラミッド建設には全く触れていません。またピラミッドの前の神殿には、「スネフェルの美しい神殿を見に来た、その屋根に芳しい香りとともに、天国の雨が降り注ぎますように。」という古代の落書きがありますが、ここでもピラミッド建設の偉業を賛美していません。ですから、この3つのピラミッドは、さらなる古代より、そこに存在していたものを、スネフェルが自分のものと宣言して、その記念に、ピラミッドに隣接して、葬祭神殿・礼拝堂や衛星ピラミッドを建てた、のが本当のところではないでしょうか。勿論そのときにはギザにも、3大ピラミッドが建っていたのですが、さすがにいきなりそれを自分のものとするのは、憚れたのではないでしょうか。

  D  そして息子のクフ王が即位すると、先代スネフェルのそうした行為が、左程の反対に遭わなかったのを見て、そこで一番大きくて、なおかつ周囲に広い台地がある、大ピラミッドに目星をつけ、それを自分のものと宣言したのでしょう。その上で、周囲に妃や近親者の、小ピラミッドとマスタバ墳を築いていったのでしょう。その際、先王の場合と同じく、ピラミッドの北側の入口は、自分の墓室入口ではないために無視して、あえて太陽の昇天に繋がる東側に、葬祭神殿を設けたのです。
   しかしこの建設では、オシリス神の遺産を自分のものとしたことへの、国民の怨嗟の声が巻き上がったことから、その次のジェドエフラー王は、こうした他者の遺跡を剽窃することをやめて、少し離れたアブ・ロアシュに自力でピラミッドを築き始めました。その造り方は、やはり自力で造ったジェセル王(ジェセル様式)のものが基本となりました。しかし、これは荷が重すぎたのか、中途で中断されました。

  E  さて、その次のカフラーはそれを見て、やはり自力では、完璧なものにはならないことを悟り、再びギザにある中央のピラミッドに目をつけて、それを自分のものと宣言し、その横に衛星ピラミッド、さらにスフインクスも修理の上、その横に河岸神殿を並べ、中央ピラミッドの東に葬祭神殿を建て、その両神殿を参道で結んで、その一帯をカフラーの世界としてしまったのです。
   次のネブカ王は、ギザには一回り小さい第3ピラミッドしか残されていないので、ザウエイト・エル・アリヤンに、再度階段ピラミッド並みのものを、造ろうと取り掛かりましたが、中途で崩御したためにそこは未完成となってしまいました。
   そして次のメンカフラー王は、先代たちの様子を見ていたところで、新たな負担をしないように、残っていた第3ピラミッドで十分と判断し、王妃たちのピラミッドと、葬祭神殿を横に建設するだけで、満足することにしました。第4王朝での、その後の2人の王は、もう利用できるピラミッドもない上、新たに建設を始めても、拮抗するような大きなものは造れないと考え、ピラミッド建設はやめて、マスタバ墳を建設することで、満足したのではないでしょうか。。

  F  さらに次の第5王朝になって、再びピラミッド建設を始めましたが、ノウハウも衰えて、自力の場合は参考とするものはジェセル様式しかないので、そうした様式となってゆきました。それも大きなピラミッドは造れず、第3ピラミッドにも及ばないものとなり、石材の小規模化と建設の稚拙さなどと相まって、とても後世に残せるものではなくなりました。今ではほとんどが崩壊して、小山にしか見えないものとなりましたが、それでも建設自体は、第12−13王朝あたりまで続きました。数百年かけて建設が続いたのですから、本当はノウハウが蓄積して、より巨大で精密で、あるいはより芸術的な、立派なものになってゆくのが常識でしょうが、実際は一向に進歩しなかったようです。しかし、第4王朝の王が剽窃した6基のピラミッドを除いてしまえば、実際の人力・人間の力では、これらの規模の建設が、限界だったというのが真相でしょう。その面から見ると、石材の供給力は逆に、増加しているのです。

  G  偉大なる神官のイムホテプは、悠久の古代から伝わる、6つの巨大ピラミッドを見ているうちに、どうしてもそれと同じものを造りたい、という欲望が抑えられず、ジェセル王の信頼をチャンスに、ピラミッドづくりにチャレンジしたのですが、その時、これらの6基のピラミッドの存在に、深い敬意を表すために、あえて自分の造ったピラミッドを、6段にしたのではないでしょうか。
    そしてスネフェルやクフたちは、イムホテプの華々しい成功の言い伝えを聞くうちに、その輿望に嫉妬し、それを遥かに凌駕する、既存の6つの巨大ピラミッドを、いとも簡単に自分のコレクションにすることで、ジェセル王やイムホテプの属した先王朝の名声を、無視したかったのではないでしょうか。それが、ピラミッドを剽窃した、理由のひとつだと言えます。 

 
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