では、どのようにピラミッドを造ったのか?

  @  ピラミッドはどのように造られたのでしょうか。大ピラミッドの場合は230万個の石材を積み上げてあり、6大ピラミッド全体では860万個(1個1立方メートルとして)という、膨大な量の石が切り出され、積み上げられています。この860万個は、一個づつ並べると、ギザから直線で、中国の西安まで繋がるだけの量です。
    そして、大ピラミッドの場合は230万個を、今度は146mの高みまで積み上げるには、どういう方法をとったのでしょうか。石材運搬用に長大な傾斜路を造り、そこを木の橇に乗せて、運び上げていったという説が、もっとも有力視されています。しかし、そうした方法では、とてつもない長さと高さの、傾斜路が必要で、その傾斜路の建設には、ピラミッドをもうひとつ造るだけの、エネルギーが必要になるのではないでしょうか。
 
  A  大ピラミッドで計算すれば、最終頂点を高さ140mとし、傾斜角度を15度(これ以上だと運搬には急過ぎて、負担が大きく、しかも危険が大きすぎます。)とすると、長さ540mとなります。また道路幅は、石材が少なくとも2個同時に、引き上げられるぐらいは最低必要だと思います。そうすれば、上段は10mで、底辺の幅は最高地点(140mあたり)で横幅80mとなります。この幅でも縦からみると、横斜面は絶壁となります。恐ろしいくらいです。(日当をどんなに積まれても、ようできません。)そして平均すると40m幅となります。それで積算しますと斜路の体積は、おおよそ151.2万立方メートル、1個1立方メートルの石材で151万個となり、実に大ピラミッドの66%の石材が、別途使われることになります。

  B  では、そこまでエネルギーをかけずに積み上げる、より簡単な方法がないのでしょうか。例えば簡単な方法として、積み上げる一段毎の角地に、石5−6個分の踊場を設け、そこから次の段の踊場へ、起重機で挙げていったというのではどうでしょうか。各段の踊り場は、下の踊場と開口部を交互に、開けておきます。これだと、数トンから数十トンの石を挙げれる起重機を、各段に設置するだけで済みます。実に簡単でシンプルです。これだと100mや200mといわずにどこまでも、石材のある限りの高さまで、積み上げられることができます。現代の高層ビルも、それに似たような方式ですよね。
   フランスの建築家ピエール・クロザは、中心部より積み上げて、各段に木製の起重機(木の梃子)を置き、石を引き上げていったという説を主張しています。ヘロドトスも各段ごとの起重機説を取り上げています。
   ただこの場合、起重機の材料と構造が問題になります。当時はまだ鉄材は存在せず、それに使われたのはレバノン杉材しかないということですが、そんな木材で最大5−60トンの石を牽引するものが造れるのでしょうか。この回答はかなり困難です。建築の専門家のご意見がほしいところです。
   
 
  C  ただし前1万年頃、日本の縄文時代に栄えた三内丸山遺跡では、直径1m高さ15mの巨木を6本組み合わせて、壮大な建築物を構築しています。同じ技術とはいかないでしょうが、この時代のエジプトでも、レバノン杉の巨木を生かして、起重機を組み立てることが不可能とは、言えないのではないでしょうか。それが可能だったとしてみると、次の問題は、ピラミッドの角地にある踊場を、最後に(上から?)閉じて行くためには、どうしても人力での「バケツリレー方式」が必要になります。すると、ピラミッドの角地のいずれかは、中央に比べて、比較的小さな石(1m未満)を積み上げたような、形跡が残ることになります。そんな形跡はあるのでしょうか。今後機会があったら、検証したいものです。
 
  D  次に、王の間にある花崗岩の石棺に移ります。これは中を長方形に正確に切り開いて、底辺も真平らに掘り下げてあります。外側2.24×0.96M、内のりで1.94×0.66M。この花崗岩の石は、石英と長石からなり、モースの硬度計では6−7度で、実にヒスイに相当する硬さで、これを精密に穿孔するには、硬度8−10のトパーズやダイヤモンドが、必要になります。そのため、この石棺の掘削には、ダイヤモンドのカッターで高速回転させるドリルが使われた、という専門家の意見もあります。また石材全体の切り出しにも、超音波レーザーといった高度なハイテク機器が、使われたのではないかという説も登場しています。
   勿論そんなハイテク機器が、この時代にあるわけない、ということですが、ちょっと待って下さい。ひとつの参考資料として、紹介したいのが、第1王朝5代目アネジブ王の皇子サブーの、墳墓より発掘されたある石器です。これは発掘者に、「ユニークな片岩製花瓶」といわれたものですが、後日、エンジン開発の専門家が、ロッキード社の宇宙船などの、最新エンジン用に開発された、「はずみ車」に酷似していると、指摘しています。確かに良く見ると、とても花瓶には見えず、日常生活でこれの使用に、供されるものを思いつくことは、全く出来ません。明らかに工業製品にしか、見えないのです。現在はエジプト考古学博物館に展示されていて、いまだ用途が特定できない、オーパーツのひとつと指摘されています。(久保有政「オーパーツと天地創造の科学」)
  
  E  そしてもうひとつ、そんなに労働力の多くはないこの時代に、これほどの巨大なものが造れるのか、という疑問が出てきますが、それについては次の事例を、検証することを提案します。
   「マイアミのコラルキャッスルに、一人で住んでいたエドワード・リ−ズカルニンは、30トンもの石を一人で動かして、1100トンに及ぶキャッスルを、独力で建設しました。そして彼は知人に言いました。『私はエジプトのピラミッドが、どのように建造されたかを知っている』・・・しかし、この秘密はとうとう明かされずに、彼は1952年に死んでしまった」・・・リーズカルニンが発見した、巨石を一人で自在に動かせる、簡単な運搬方法とは何でしょうか。それが再発見されれば、ピラミッド建造の秘密が明らかにされます。のみならず、ピラミッドの本当の目的も、判明するのではないでしょうか。しかし、こうして一人で、巨大な石材を操る何等かの方法が、間違いなく存在していることは、確かなわけです。ですからピラミッドも、「トートの魔術」によって、比較的少人数で、短期間の内に建造できたとみて、良いのではないでしょうか。
  
  F  ギザ台地の3大ピラミッドの配置は、スフインクスを含めて、統一性のある計画に基づいて設計されているのではないか、と見られます。その根拠は、各ピラミッドの側面が正確に東西南北に面していることと、それぞれの東南の角を一直線に揃えてあること、また大ピラミッドの東西にあるマスタバ墳は第2、第3のピラミッド用地に入っていないことから、次のピラミッドを建てる用地として残してあった、またはそこにも既にピラミッドが建っていたので、マスタバ墳の用地は、現在のところにしかなかったことが、判明します。こうした統一された配置であるということが、クフたちが建てなかったことの、証明にもなるのです。
   
  G  もしクフが統一計画により、まず大ピラミッドを建てて、その東西に付属施設とマスタバ墳を計画したとすれば、このギザ台地は第4王朝のネクロポリス(王墓地)として開発されたと見られ、そのときには未だ第2-第3ピラミッド用地は、空き地となっていたわけです。それなら、クフ王の太陽の舟杭建設にも、名前を覗かせる、次のジェドエフラー王は、何故第2ピラミッド用地を使用せずに、8KMも離れたアブ・ロアシュまで行ったのでしょうか。大ピラミッド横には、供給される石灰岩岩盤が、たっぷりあったのです。それも捨て、労働者住宅も引き払い、全く新たな砂漠の一角に、すべて最初から始めたのです。そこには整合性のある答えはありません。また、カフラーが第2ピラミッドを建てたあとに、次のネブカ王は第3ピラミッドの用地を捨てて、また5KM離れたザウイエト・エル・アリヤンに、何故建てようとしたのでしょう。それらはいずれも未完成となり、失敗しています。これに整合する唯一の答えは、つまり、その第2−3ピラミッドの用地には、既にピラミッドが建っていた、ということです。


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