クフ王は何故大ピラミッドを自分のものにしたのか

  @  マネトーは「エジプト史」の中で、「第4王朝はメンフイスの8人の王からなり、その系統は、それまでの第1−第3王朝とは、違った系統だ」としています。この指摘は、この書物の中では他に例がない、特異な記述です。つまりエジプトの歴代の王朝とは全く別の家系、あるいは種族であると、わざわざ付記しているわけです。それはどんな存在なのでしょうか。そこまで付記しなければならないとは、余程のものではないでしょうか。また、この第4王朝の、クフの父親である初代スネフェル王から、初めて王名にカルトーシュが使われだしました。この王名を囲む、楕円形の囲み自体が、太陽神のラーを象徴すると言われます。
   それまでの王名は、セレク(王宮門の囲みの)の中に書かれ、その上にオシリスの息子のホルス(ハヤブサ)の像が、必ず描かれました。スネフェルからは、このセレクと併用で、カルトーシュが導入されたのです。こうして始まった、太陽神ラー崇拝の動きは、やがて3代目のジェドエフラーに至って、王の名前にもラーが登場することになります。それはやがて、4代目のカフラー、さらに5代目のメンカウラーへと続きます。
   ここで、太陽神ラーとホルスに関わるエジプトの神話を見てみます。

  A  「世界の始めは、地も海も空もなく、ただどろどろした水のようなものが拡がっていて、その名をヌウといった。その中にひとつの神がいた。その神はやがて時が来たので、−わが名は夜明けはケペラ、昼は
ラー、夕方はツームであるーと宣言し、種々の神々や人間、動物たちを創造した。これが太陽神ラーのはじまりである。
   最初の神は、風の神シユウと雨の女神テフヌウト、次に地の神セブと空の女神ヌウトが生まれた。そこでラーはヌウトとの間に、オシリスと大ホルスを生んだ。一方また女神ヌウトは、クロノスとの間にもセトとネプテイスを儲け、またトートとの間にはイシスを得た。
   その後、オシリスはイシスと結婚し、エジプトにやってきて、王の位を譲られて、一般の民衆の生活向上のすべを教えて廻った。ところが兄弟のセトの、企みにより殺害されてしまった。そこで、妻のイシスは、エジプト全土に散らばった、オシリスの遺骸を集めて、オシリスを復活させ、それにより一子ホルスを儲けた。しかしオシリスはまたも、セトにより殺されたので、その子ホルスが立ち上がって、セトと戦い、これを破って、父の王位を取り戻した。」というのがあらすじです。

  B  この神話が基礎となって、エジプトの王朝は、先史時代から、王はオシリスの息子である「ホルス」の生まれ変わりである、とされて来ました。それが第3王朝までの、代々の王統の基本スタンスとなってきたのです。そこには深いオシリス信仰があったのです。さて、これが第4王朝になって、王はラーの息子あるいはラーそのものと主張すれば、王はオシリスと「同等または、それ以上の存在」であることを表明することになります。それまでの王朝とは、明らかに一線を画しています。当然オシリス信仰も、抑圧されたのではないでしょうか。
   「オシリスの讃歌『ヌートの子オシリスよ、・・・御身は真理であり、全うきものなり、御身の父ラーは、御身の四股を強くし、神々の群れは御身を歓呼して迎える。』(
ウオーレス・バッジ編訳「死者の書・アニの告白」)
  そこから推測すると、この第4王朝は、他種族による征服王朝、だったのではないでしょうか。
 
  C  さらに不思議なのは、この王朝の8人の王にはすべて、毒蛇を顕すヒエログリフのF(フ)などが、使われだしていることです。それまでの王朝の王名には、ひとりだけ、第1王朝4代目のジェト王に蛇がありますが、他には見当たりません。
    【スネ
ェル・ク・ジェドエラー・カラー・バアウエラー・ウアジェト・シェプセスカエ・ジェドエプタハ】
  「毒蛇は、エジプトでも悪魔の化身とされ、
ホルスの大敵とされた。冥府への旅の途中で見つけたら、まずこれを退治しなければならなかった。」(石上玄一郎「エジプトの死者の書」
  それが王名に使用されたのは、明らかに、前王朝からの宗教的背景を、引き継がずに、あるいは否定して、自分たちの勢力は、オシリス信仰を超越していることを、誇示したかったのではないでしょうか。
 
  D  なお、このラーについてもう少し見ますと、オシリスが最初にエジプトに入って、王として君臨するときに、自らのアイデンティティとして、持ち込んだのがこの「ヌウ」から始まる神話です。その中に自らを、ラー神の息子と位置づけています。そこに「王権神授」の正当性を表明したわけです。そしてここでいうラー神というのは、現実の太陽をさすと同時に、もう一つの太陽、すなわち「霊界に輝く太陽」をも指しています。
    「霊界に輝く太陽」とは、死者が霊界へ旅立つときに、最初に死者の前に顕れるとされています。霊界の太陽は、やはり1日ごとに霊界の世界を照らし出して、東から西へ航行し、夜は救われなかった死者が、永遠に閉じ込められているツアトを通って、東へ戻るとされています。この霊界を太陽は毎日巡るのです。
    一方、現実の太陽というのは、アフリカの原住民の間では、それは灼熱と乾燥をもたらす、忌むべき存在でした。スーダンやエチオピアの古代では、そうした見方をしていたようです。エジプトでも、そうした考え方があって、例えば日食などは、本来太陽神の死と再生に繋がる、貴重な体験であり、記録されて当然と思われますが、全く記録が残されなかったのは、現実の太陽自体を、尊崇していたのではないからでしょう。だからここで第4王朝の持ち込んだラー崇拝は、それまでの霊界のラー神ではなく、明らかに、東から毎朝昇ってくる、太陽それ自体であり、そこにもオシリス信仰とは、別個の思想があります。、

  E  また、クフ王については、マネトーはこのようにも言ってます。「スフイス(クフ)は神々に対して傲慢なふるまいをした。それで後に悔い改めて、彼は神聖な書を作ったが、エジプト人はそこには彼の多大な財宝のありかが書かれていると信じている。」
   この傲慢、(あるいは冒涜)というのはどういうことでしょうか。
   ヘロドトスは「歴史」の中で、「クフ王は、民衆たちがそれぞれの神々を祭りに行くのを、禁止した」、とも書いています。つまりここには、それまでのオシリス神の信仰を、断ち切る非道な仕打ちが見受けられます。それは具体的には、民衆の尊崇していたオシリス神の(
神殿・持ちもの)を、汚した、または断ち切った、ということです。これとピラミッド建設が結びつくと、それはどういう事実を、意味しているのでしょうか。

  F  そこで最初の結論です。これまでの資料や推論を総合的にまとめると、このクフの「異常なふるまい」という言い伝えは、そこに厳然として聳え立っていた、エジプト人のオシリス信仰の根源である大ピラミッド、(それは古代から連綿と伝えられてきたのでしょうが)、それを自分の王墓であると宣言し、その周辺に、身内のものの副ピラミッドや墳墓を強権で建設し、オシリスではなく現実のクフ王を神として崇めさせた、それに対する抗議の言い伝えではないでしょうか。この観点からもう一度、いままでの疑問点を検証すると、クフの王名の問題や、マネトーの態度、ヘムオンの問題、碑文の問題などがきれいに解決されます。

 
  
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