昭和30年代の北陸本線は、まだまだのどかでした。しかし、30年代も後半になると近代化の波もすぐそこまで迫ってきており期待と寂しさが入り混じっていた頃でした。


金沢ー東金沢間

昭和36年4月29日

C57108の牽く上り普通列車

この辺は浅野田んぼと言って家からもそんなに遠くなく、子供の頃メダカやザリガニを捕ったりして遊んだところです。
この日は兄とカメラを持って写真を撮りに来ました。
当時の北陸本線はC57とD51の独壇場で、あんまり変わり映えしないので何枚か撮って帰りました。
ただ、この区間は当時としては珍しい複線区間でした。七尾線のC58も見ることができました。
現在この辺りには金沢総合車両所や金沢貨物駅や宅地化で田んぼは一枚もありません。

D51の牽く下り貨物列車
なんの変哲もない普段の風景でした。

C58140が七尾線下り輪島行普通列車を引っ張ってやって来ました。
上の2枚は4月これは同年の8月に撮ったものです。
いずれも古い蛇腹の6×6カメラでピントがなかなか合いません。
この140号は後におくのと号牽引でも有名になりました。
七尾でC56に交替します



金沢駅から発車すると同時にダッシュで犀川鉄橋まで一気に駆け上がります
昭和37年12月
  牽引機はC57 90 この機関車は昭和38年3月能生駅付近の土砂崩れに突っこみ日本海まで押し流されました。
そして現場で廃車解体。悲運の機関車です。


北陸本線近代化の花形 ディーゼル特急「白鳥」大阪行き

北陸本線最初の特急です。当時特急といえば白鳥、白鳥といえばキハ80でした。
上のC57と同じ場所ですが撮影は半年前です。まだ架線柱も立っていません。
当時金沢駅から北陸鉄道金石線の起点中橋駅に行くには、
写真右の貨車と倉庫の間にある細い道を通り手前にある中橋踏切を渡って行かねばなりませんでした。

昭和37年6月



この頃の金沢駅の入換は西ヤードが8620で東ヤードは9600でした。

西ヤードで入換作業に精を出す48654です。
ハチロク独特の単音警笛が常に鳴り響いていました
写真手前にある中橋踏切は86が行ったり来たりするので開かずの踏切と言われていました。
写真は踏切が陸橋になった直後だったかも。
今は北陸本線が高架になったので中橋陸橋も取り壊されてしまいました。
昭和37年



こちら東ヤードは96の受け持ちでした。49638が頑張っています。
96は何となく泥臭いところが何とも言えず好きでした。
HOゲージの私の鉄道でも5両の96が在籍しています。
昭和36年12月


北陸本線のエースEF70 


雪の寺井駅

この日は大雪のため北陸本線はダイヤが乱れました。
仕事の帰り待っていた下り列車が40分ほど遅れて雪を蹴立ててやって来ました。
少し時間がありそうなので駅前の北陸鉄道能美線の新寺井駅へ行ってみました
やっぱり運休中でもうしばらくするとED20の除雪列車が来るよと言われたのですが
今度の列車を乗り過ごすと後がどうなるかわかりませんのでこの列車で帰りました。
(昭和53年2月2日)


金沢駅貨物線で組成の終わった貨物列車を牽引して発車して行きます。
右の細い道は金沢駅から北陸鉄道金石線の起点中橋駅への近道です。
金沢駅の方へ歩いて行くお兄さんは流行のパンタロンズボン、
これ以前はマンボズボンと言って足首の細いのが流行りました。
(昭和53年10月1日)


北陸本線3へ

ホームへ戻る