七尾線は金沢から七尾まではC58が、七尾から輪島まではC56が引っ張りました。
このページではC56の元気だった頃の写真を紹介します。
蒸機時代の終焉を迎えようとしています。
ボクは機関士のこのポーズが大好きです。
この頃には貨物だけが蒸機で、旅客は全部気動車になっていました。
昭和50年
これから峠を越えて穴水までダッシュです
終点輪島駅はもうすぐ、カランコロンと軽やかに坂を下ってきました。
輪島に到着後すぐに方向転換です
輪島駅の転車台はC56でいっぱいいっぱいです
そして石炭と水を補給します よいしょよいしょ 全部人力です
輪島駅の機関庫とターンテーブル、給炭給水設備
この頃は貨物列車も1日2往復となり輪島に駐泊する必要もなくなり機関庫は使われていませんでした。
昭和42年
だいたいいつもこんな編成でした
後に高岡のパルプ工場行のチップを積んだ金網貨車が1・2両編成に加わるようになりました。
ワフの後ろにもう1両ワがくっついています
昭和42年2月4日
そしてここから本気を出して峠越えに挑みます
能登三井駅に到着した下り貨物列車、ここでタブレットの交換です。金沢行きの気動車の窓から撮りました。
ホームの向こうに待避線がありました。
穴水は奥能登の交通の要でした。駅前には国鉄バスの営業所もあって商店や食堂も賑わっていました
街中には商店も多く造り酒屋や映画館もありました
昭和42年
列車に乗る人たちでホームは混雑しています、この頃はまだ過疎という言葉はなかったですね。
無蓋車の妻板内側の鉄帯板は補強のためでしょうか。
能登中島駅
能登中島駅で急行列車待避中のC56123です。この角度から見るC56が一番好きです。