かないわせん  昭和46年8月31日限りで廃止


 金石線は浅野川線と同様、夏場は金石海岸の海水浴客で賑わった路線です。

 中橋ー金石間はほぼ直線の金石往還に沿って走りましたので運転席のスピードメーターは60kmを指していました。

線路の状態から体感速度はもっと速かったように記憶しています。

 しかし、並行道路の整備とモータリゼーションの荒波をまともにかぶり昭和46年8月に廃止されてしまいました。









さようなら

最後の幕が降りようとしています

昭和46年8月 中橋

 廃止まであと2,3日の日曜日、最後のお別れに行ってきました。
この頃になると撤去工事のためか北陸鉄道お得意の何やら怪しげな電気機関車が集まっていました。
 左はED231という一人前の形式を持った電気機関車ですが元を糾せば能美電鉄の4輪電車です。
そのお隣にも小さいのが1両かくれていますが、これも元能美電鉄の単車を改造したボギー電機ですが駆動軸が2軸なのでEB122を名乗っています。
 右は3000型5両の内で一番の器量良しのモハ3005です。金石線廃止後3000型は5両とも活躍の場を小松線に移しました。



終点 大野港

 大野町は昔から醤油の産地で多くの醤油屋さんがありました。また明治までは北前船でも栄えたところです。
終点の大野港駅は小じんまりとした好ましいスタイルの駅でいかにも地方の小私鉄の終着駅といった風情でした。
 写真右の白い大きな煙突は醤油製造工場のもので今でもあります。




EB301

昭和38年9月

 この可愛い機関車は北九州からやって来ました。
 当初はへろへろ曲がったポールを振り振り小さいながらも金石線では本格電機といった存在でした。
 こぢんまりとした可愛いスタイルは何とも言えない愛嬌があり、HOゲージでも作りました。

 1台車1モーターのためEBを名乗っていました。
 向こうにいるのは木造のサハ521です。まだ現役でしたが大分くたびれていました。












  金石駅貨物ホーム

 ここにもいました怪しげな電機が。
 これはED211でやはり元能美電鉄の4輪単車を改造したものです。最後まで活躍しました。














 Zパンタ時代のEB301力走

   昭和41年10月

 その日は畝田駅近くにあった自動車教習所でジムカーナの競技会があり、友人が出場したので応援に行きました。

 たまたま横をEB301の牽く金石行貨物列車が通りました。応援そっちのけでカメラを構えました。
 ごつんごつんと後の貨物につつかれながら走っていました。













中橋駅を目指す凸電力走 ポール時代のEB301


昭和38年4月 北町付近



この地図では国鉄金沢駅との貨車受渡し線が表示されています
市内電車の路線や浅野川線の起点北鉄金沢駅も見えます
中央に折違町という町がありますが、すじかいまちと読みます
金沢にはこの他
絶対に読めないような町名がいっぱいありました
私の実家も彦三町(ひこそまち)です、上の地図のもうちょっと右になります


国鉄との連絡線の花


金石線のマスコットEB301

 2軸ボギーですがモーターが2個ということでEBとなりました。
 中橋駅で国鉄との貨車受渡しに活躍していました。
1本ポールを振り回しながら貨物列車の先頭に立って本線も走っていましたが非力でしたので貨車につつかれながら走っていました。
(昭和36年4月16日)


機関車交替

昭和38年国鉄が電化され金沢駅構内までEB30が入線できなくなりました。
そこでこの何の変哲も無い入換え専用のディーゼル機関車が採用されました。
ゆっくりゆっくりゴロゴロと国鉄線に向かいます。
踏切もあるので駅員がずーっと付いて歩きます。


これがその連絡線にあった踏切です。遮断機も警報機もありません。
おーい こらー、そこの坊主危ないぞー!轢かれるぞー
ご安心ください、これは右方の国鉄線へ貨車を押し出しているところです。
溝から右が国鉄の敷地です。それにしても危険が危ないですねー。
無蓋車の大きさが目立ちます



昼下がりの中橋駅

 上の写真から5年ほど経った同じ場所です。
 発車待ちのモハ3005の横に線路が一本増設されています。
 集電もパンタに変更されています。この頃には電車はすべてモハ3000型5両に統一されていました。
 5両のうちこの3005は事故車で復旧の際に張り上げ屋根となり大変にスマートになりました。
どんな事故だったのかは知りません。どなたか教えてください。


大野港行発車しまーす

車内にはそこそこにお客さんも乗っています。
車掌はもう乗り込んでいます。運転士が珍しそうにこちらを見ています。
この当時はカメラを持って電車を写している人に出会ったことはありませんでした。特に子供は。

今日は珍しくモハ3001+モハ3005の豪華2連です


快走

残雪の金石往還を金石線の新星モハ3301が大野港を目指します。(昭和38年4月)




旧温泉電軌のモハ1831が入線しました

この頃は北鉄各線の車両やりくりが頻繁に行われていました。
この電車も改番予定なのか下二桁が消されたまま走っています
それにしてもこの頃の金石街道、車がいませんねえ。隔世の感があります。(昭和38年4月)


金石線2へ進む