その2


さようなら 金石線

金石駅

駅長が車掌に手を上げて発車合図しています。
車掌は天井の紐を引っ張りチンチンと運転士に鐘で知らせます、そして発車。
チンチン電車そのものでした。
そう言えば金石線は路面電車と同じく軌道でした。
救助網も付けています。



このカメラを持った邪魔者兄ちゃんは幼馴染の同級生です
今日は二人で金石線の最後の姿を撮りにきました
廃止を数日後にひかえた日曜日でしたが、二人の他には誰も写真を写している人がいませんでした。
金石駅

 この時、金石駅の貨物線はすでにレールを撤去し整地が始まっていました。
 写真はそれを寂しそうに見つめる駅員です。
 感無量でしょうね。

 


























金石駅で待機するED211

北陸鉄道得意の改造電機です


 起点中橋駅と終点大野港駅

さよならのデコレーションを付けた両駅
(昭和46年8月)

中橋駅舎内には売店もあり海水浴シーズンになると大賑わいで乗客が駅から溢れていました。
ここから国鉄金沢駅に行くには中橋陸橋の地下道をくぐって10分ほどかかりました。




中橋車庫

 この日は春の昼下がり、ポカポカとした陽気でした。
 車庫内にはモハ1201とモハ1601が休んでいました。
左にチラッと見えるのはEB301とモハ811です。
車庫前の枕木で作った構内通路のようなものは、れっきとした踏切なのです。念のため。
 モハ1201とモハ1601は、その後石川線からモハ3000型5両が来たので追い出され小松線に転出しました。
                  (昭和36年4月16日 中橋)




モハ1301


車庫の人は浅電から来た電車だと言っていました。
側面は幕板が広く窓が小さいので何となくアンバランスな感じがしましたが、好ましいスタイルでした。
小さいながらも乗務員扉が付いていました。
                         (昭和38年3月)


木造客車がゴロゴロと

中橋駅の1番線?です。ラッシュ時以外はいつも木造客車がゴロゴロしていました。
 見に行くたびに並ぶ順番が入れ替わっていたところを見ると、朝夕のラッシュ時には頻繁に使われていたのでしょう。
 この日は手前からサハ551、サハ605、サハ552、サハ521の順でした
前から2番目のサハ605はずんぐりもっこりのスタイルで屋根には算盤の玉のようなベンチレータを付けていました。
 そしてトラス棒の締め過ぎでしょうか車体が逆に反り返っています(昭和37年)



金石駅貨物ホーム

昭和38年4月

モハ543が貨車の入換をしていました。くっついているのは国鉄のト5017です。
この電車はこの後、電気機関車に改造されED211という立派な形式ももらいました。
このページの上の方に改造後の写真があります。


大野港駅のさよなら電車

終点の大野港駅江戸時代から醤油の銘醸地です
ここから見る風景が好きでした。白い煙突は今でも人気の醤油蔵です。




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