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 金沢随一の繁華街片町から犀川を渡った川向こうの白菊町駅から
野町、新西金沢、野々市、鶴来、加賀一宮そして金名線の白山下まで線路が繋がっていました。

そして途中の鶴来からは新寺井までの能美線が、野々市からは松任までの松金線が分岐していました。
 野町駅には金沢市内線との連絡線があり、市内線の公園下車庫から西金沢の検修庫まで
市電の番号二桁台の旧型ダブルルーフの事業車がトロッコを牽いて行ったり来たりしていました。

 起点が白菊町ではなくて犀川を渡り片町や香林坊であったならもっと利用客があったと思います。
 その白菊町駅は昭和45年旅客営業を取りやめ残った貨物営業もその2年後に廃止されました。
そして平成21年鶴来ー加賀一の宮間も廃止され現在は野町ー鶴来間13.8キロで頑張っています。




起点 白菊町駅

犀川の新橋を渡った所に白菊町の駅がありました。橋の袂のちょっとした空き地で猿回しを何回か見たことがあります。
子供会では夏休みのレクリエーションで毎年手取遊園に行きました。その時の乗車駅です。


昭和20年代も終わりの頃旧伊那電のダブルルーフ電車が国鉄富山港線を経て6両ほど北陸鉄道にやって来ました。
浅野川線と石川線に配属されました。車体の割には色が派手です。



この頃は貨物輸送もまだまだ元気で特に白菊町駅では冷凍会社や木材業者の引込線もありました
自社製の電気機関車や電気機関車らしい電気機関車も大いに活躍していました。


白菊町駅が廃止された後は野町駅が起点となり現在に至っています

野町駅 (のまち)

58年5月

快速電車で野町ー鶴来間は23分となっていますが、現在はすべて普通列車で30分ほどかかります
駅舎は現在建て替えられています


2番ホームに停車中の元名鉄大型車2連

58年5月


2番ホームは3両編成まで停車可能でしたが、
すべて2両編成になったので使用されることもなくなり廃止されました。

→野町行がやってきました。もうすぐ終点です。→


事故

終点です。電車がぶつかっても負けないような大きなコンクリートブロックで防御しています。


西泉駅

西泉駅には農林省の食糧倉庫、酒類卸の金沢乾物営業倉庫などいくつかの専用引込み線がありました。


引込線が廃止されてから1本線だけの停留所になりました。
線路脇には交換可能駅だった頃の線路が置いてあります。
左の建物はは北陸鉄道経営のボーリング場(平成29年廃業)です


西泉駅から国道8号線を横断しこの食糧倉庫まで専用引込線がありました。倉庫は今でも現役ですが
輸送手段は鉄道からトラックに変わりました。レールはまだそのまま残っています。
右の写真の線路の向こうが旧国道8号線、その向こうが西泉駅です。



門扉から中を覗いてみました
線路は2線で奥にはポイントもあり機回しも出来たようです。
現在は裏の方から出し入れしておりこちら側は使われていないみたい。
この線路で遊ばせて欲しいなあ。






県内最大の食品卸、金沢乾物(現カナカン)の引き込み線跡です。
線路のあとはコンクリートで嵩上げされトラックの積み込みスペースになっています。


西泉⇔新西金沢
伏見川鉄橋


伏見川鉄橋を渡り築堤を下ったところに西泉駅があります。田植えのおばちゃんの上を野町行のモハ3752が通過します。 進行方向→




昔むかしのお花見
上の写真の鉄橋と同じ場所です。
昔々伏見川は桜の名所として金沢市民や近在の人々の憩いの場所だったそうです。
川には屋形船を浮かべ芸者が三味線で飲めや歌えや大いに賑わったみたいです。
それにしても危なっかしい臨時停留所です。
電車の前にいるエプロンの女の子手摺の外側では?
(絵葉書)


雪の日の3連38年3月

クハ1101(1200?)+モハ3501+モハ3000
ピンボケ写真を拡大たのでピンボケに輪をかけた大ピンボケになりました。次の写真も。

上の3連が鉄橋を渡り新西金沢に向かいます。←進行方向

次は西金沢〜


石川線2へ

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