金沢随一の繁華街片町から犀川を渡った川向こうの白菊町駅から野町、新西金沢、野々市、鶴来、加賀一宮そして金名線の白山下まで線路が繋がっていました。そして途中の鶴来からは新寺井までの能美線が分岐していました。
 起点が白菊町ではなくて川を挟んだ片町や香林坊であったならもっと利用客があったと思います。
 そして平成21年鶴来ー加賀一の宮間も廃止されました。

 


国鉄との連絡駅 新西金沢駅


昭和50年8月

  昭和42年に検車庫がそして昭和45年には鉄道部が鶴来に移転しましたが、まだ貨物輸送がありましたのでED30とED20の2両の電機が待機しています。左側の線が国鉄との貨車受渡し線です。
 写真中央の電柱には「獅子吼国際スキー場」のりばとなっています、今でも獅子吼高原スキー場はありますが電車でスキーに行く人は皆無でしょうね。国際とはすごーい。


昭和37年2月

 新西金沢駅に検車庫が併設されていた頃の写真です。
国鉄の西金沢駅とも盛んに貨車の受渡しをしており活気がありました。
 ED311が入換え待機、奥の検車庫前には市内線との連絡車モハ59がチラッと見えます。(昭和37年2月)
北陸鉄道には後年種々雑多な改造電気機関車がいましたが電気機関車らしい電気機関車といえばED201、ED301そしてこのED311ではなかったでしょうか。
おっと金石線のEB301も忘れてはなりません。


ED311

車体は自社製の新品ですが、その他は全て中古品の流用でした。一番近代的なスタイルでしたが昭和48年に早々と廃車になりました。


昭和36年3月

 新西金沢駅構内の様子です。
旧伊那電のモハ3103が構内の入れ換えをしています。車庫の中に市内線の新型車2300形が入っています。



 市内線の最後の新車となったモハ2302と市内線連絡用のモハ59です。
モハ2302には試運転の表示があります。
モハ59は昭和30年代前半までは市内線で活躍していましたが、
この頃にはすでに営業を離れ公園下にあった市電車庫までトロッコを牽いて行き来する事業車として使われていました。



ED201

昭和36年3月21日

 石川線の貨物列車の先頭に立ってED30とともに活躍していました。写真は新西金沢で入れ替え中。
 現在は窓配置や台車は変わりましたが除雪用に頑張っています。


昭和38年3月

モハ1503

 新西金沢駅と国鉄西金沢駅の貨物の受渡しに使われていました。
貨車を2-3両牽いて行ったり来たり、ブレーキをかけるたびに各台車の1軸がロックされたまま引きづられていました。
後年モハ3711としてスタイル一新、再デビューしました。



雪の日の3連

 昭和38年の3月雪の中、買ったばかりの中古原付バイク「スズキセルペット」で西金沢方面へ出かけました。
おりからTMM編成がやってきました。右から左へ進行中、もうすぐ伏見川鉄橋を渡り新西金沢駅に到着です。


伏見川鉄橋

上の3連が渡りきるところです。


伏見川のお花見

臨時停車場

伏見川はその昔、金沢のお花見の名所だったそうです。
茶店や屋形船、芸者さんもいっぱい来ていたそうです。父母からもその話をよく聞きました。
下の写真は鉄橋横に臨時停車場を作って賑わっている戦前のお花見風景の絵葉書です。

それにしても危なっかしい造りですねえ、今にも崩れ落ちそうです。


新西金沢駅新築

 昭和51年3月限りで国鉄との貨車受渡しも廃止され、新西金沢駅も場所を線路反対側に移転新築されました。
 これまでの駅舎とは違いこじんまりとしたあまり趣のない駅舎になりましたが駅員は配置されていました。
 線路配置も島式ホームと側線が上下2本だけになり寂しくなりました。 
 写真手前にある国鉄西金沢駅前の踏み切りも線路が1本となり国鉄との連絡も断たれました。(昭和52年5月撮影)