きんめいせん
  昭和62年4月29日営業廃止


 金名線は子供の頃、町内会や家族で手取遊園へ行くのに利用しました。
電車に乗ることができて大きな遊園地で遊べる、当時の金沢の子供たちにとっては最高の楽しみでした。
 一方豪雪地帯の山五村の住民にとっては鶴来や金沢へのお出かけにはなくてはならない交通機関でした。

(山五村とは合併して白山市になる前の白峰村、尾口村、吉野谷村、鳥越村、河内村の五つの村の総称でした。)


白山下駅


昭和51年4月24日の昼下がり

駅前商店もまだ営業中です。便所も使用可能です(あたりまえですよね)
軽四のハイゼットはボクの愛車ポンコツ号です、マフラーからもうもうと白煙を出して走るので、人は煙幕号と呼んでいました。

↓昼間は電車が来ないのでのんびりゆったり時間が過ぎていきます。
左の写真には代行バスが、右の写真には山行きのボンネットバスが一服しています。



 
パープル酋長様ご提供


電車が到着しました。2両編成できましたが乗降客なし。(昭和58年9月)








発車時刻が近づきました。
運転士さん(架線柱の横に写っています)は一服を終え乗り込みます。
結局はこの列車、来る時も行くときも運転士と車掌だけでした。
誰か乗ってあげてー!と叫びました。心の中で。


昭和36年10月 白山下

まだまだ鉄道が元気だった頃の写真です。当線生え抜きのED301が貨物の先頭に立ってこれから山を下ります。
本物の電気機関車です。凛々しいー。


今は鳥取県の若桜鉄道隼駅の側線に保存されています。28.9.21撮影



   そして廃線

 電車が来なくなってずいぶんと時間が経ちました。白山下駅舎はバスの停留所としてまた乗務員の休憩所として使われていました。







 白山登山の乗客で賑わい、そして木材や山の幸を積み込んだ広い構内も今はひっそりと山里に溶け込んでいます。山の方から霧が降りてきました。