その2


 能登地方一の初詣のメッカ気多大社の最寄り駅。
 毎年初詣の時は金沢からC58の牽く臨時列車が運転されていました。
そのため長いホームがありましたが、普段は閑散としていました。


三明行き発車

 三明行きの発車です。乗る人も降りる人もいません。倒れた草が冬の日本海の強風を物語っています。(昭和42年11月)



貨物ホームもありました

 海水浴臨時列車「はまかぜ号」から写しました。貨物側線が2線ありますが、使われているような雰囲気ではありませんね。(昭和33年8月)

    気多大社の大鳥居

 能登一宮のシンボル大鳥居が神社の格式を誇っているようです。毎年お正月には金沢からC58の牽く臨時客車列車が初詣客を満載してやって来ました。
 そのためでしょうかホームは異常に長いものでした。大鳥居の横にスバル360が見えますがボクの初代マイカーです。(昭和44年2月)


三明へ

 上の写真で能登一宮を発車したキハ5301はここから柴垣にかけて海辺を走り三明へと向かいます。
 今まで気が付きませんでしたが、左に腕木式信号機が見えますね。腕が上がっているところを見ると能登一宮駅の場内信号でしょうか。
 現在は自分の立っているところはレールの高さにかさ上げの上立派な道路になっています。
 路盤もそのまま脇道になっており、小さな橋の橋桁や石垣は今でもそのまま利用されています。











 石川県随一の海水浴場柴垣海岸のすぐそばに柴垣駅があります。
夏は駅から海岸まで砂浜をアッチッチ・アッチッチと言いながら走ったものでした。
子供の頃浜茶屋で初めて食べた牡蠣丼美味しかったなあ。
 石川県では最高と思っていたこの柴垣海水浴場も平成18年に閉鎖されてしまいました。


もうすぐ柴垣に到着です

 三明行のキハ5201が海辺の線路をやってきました。もう数百メートルで柴垣駅です。
防風林の松が陸側に傾いています。冬の日本海の厳しさが伺えます。


柴垣駅ホーム

 夏には毎年海水浴客でごった返したホームです。
金沢からはC58の牽く臨時直通列車「はまかぜ号」が運転されていました。
 そのため能登一宮駅と同様こちらのホームもローカル私鉄線の割には異常に長いです。
 駅舎は左、海は右、線路を横断して浜まで走りました。
 夏は駅前にテントの臨時待合室も仮設されていました。


高浜は能登線沿線では中心的な町で、利用客も多く駅構内も広々としていました。


元国鉄同士の交換

左は三明行のキハ5251、右が羽咋行きのキハ5211です。(撮影 本多勝哉氏)



離合

左は羽咋行きのキハ5301、右は三明行のキハ5212。


能登高浜駅の最後の運賃表です。東京まで2,580円です。
数年前に発見され今は旧駅跡のバスターミナルに展示されています。


長らくのご乗車ありがとうございました。終点でーす。

この写真の駅名標の下には管理人の若かりし頃の姿が写っているのですが恥ずかしいのでカットしてあります。



三明駅到着

夏休みのある日、到着前からホームでは折り返し列車に乗る家族連れが列車を待っています。
(昭和42年8月5日 キハ5201)



発車を待つキハ5211

 キハ5210型(5211〜5213)は遠州鉄道からの譲り受けで昭和42年から廃線まで能登線で活躍しました。(昭和44年3月本多勝哉氏撮影)



三明駅にも車庫がありました。駅員と機関士の方です。


キハ5201の痛々しい姿

 珍珍電車という名前のラーメン屋さんとして第二の人生を歩んでいたのですが
寄る年波には勝てず用途廃止、そして解体されてしまいました。
当初は他にも2両の仲間が一緒で屋根にはパンタグラフも載せていました。
ラーメンの味は憶えていません(写真は平成10年3月8日)



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