昔むかし、いろんな所に汽車や電車が走っていました。
当時は沿線の人たちの貴重な足として大活躍しましたが、段々と主役の座を自動車に奪われ、そのうちに住民からも見放され静かに消えていきました。
そして今でもその痕跡はあちこちに見ることができます。そんな痕跡を探しながら、あちこち訪ねてみました。

その1  平成25年8月18日UP

 廃線跡については、あまり詳しくありませんが訪れた時の印象を思い出しながら備忘録的に作ってみました。廃線資料としては全く役に立ちませんのであしからず。


吉崎鉄道

吉崎鉄道は廃線跡ではなくて未成線です。近年までこのような計画線があったってことは知りませんでした。
そして数年前、同好のお師匠様に連れられて行ってきました。そしたらそれらしき痕跡が今でも見ることができました。
感激です。


左の写真の草地には、吉崎駅が建設される予定でした。吉崎御坊の裏手になります。 右の写真は少し進んだところにあるトンネルの未完成品です。入口がやけに小さくコンクリートも綺麗で最近作ったもののような感じがするほどです。このトンネルの先で北潟湖を渡ります。近年まで橋脚用の杭が見られました。



トンネルの反対側です。コンクリートではなくて素掘りの状態で残っています。崩落が進んでいます。そして背の高い雑草や雑木をかき分けかき分け路盤跡を辿ります。


現場へ行く途中、吉崎鉄道の株主だった方の家にお邪魔して株券や貴重な資料をたくさん見せていただきお話を伺いました。そして作戦会議です。


京福電気鉄道 東尋坊口

その昔、京福電気鉄道三国芦原線の終点は現在の三国駅付近のえち鉄(旧国鉄三国線)線をオーバークロスして東尋坊口という所にありました。
現在は旧国鉄三国港駅を終着駅としています。

左の写真は終点東尋坊口駅のあったところです。真ん中の信号柱の下に細い石碑が立っています。この石碑そのものは駅跡を示すためのものではありませんが、文章中に駅がここにあったことが書いてあります。駅名は東尋坊口ですが東尋坊まではだいぶ歩かなければなりません。
当時海水浴客はここで降りて、左下の急坂を下りて海に出ました。右の写真は、国鉄線をオーバークロスしていた当時の橋脚です。



現在の三国駅の端っこに旧国鉄時代のホーム跡がちょっと見えます。 右の写真は旧国鉄三国線のトンネル跡です道路化によって形は変わりましたがその昔、C12がオハ31系を2.3両引いて喘ぎ喘ぎ登ったと思われます。


京福電気鉄道 旧下荒井隧道

大正3年京福電気鉄道が大野まで開通した時のトンネルがあるということで、お師匠様に連れられて見てきました。
開通からしばらくであまりの危険箇所なので廃止されたそうです。確かに危なっかしいところでした。
ホントにこんなところ電車が走っていたのだろうかと思えるくらい断崖絶壁でした。おっとろしかった〜・・・。

左の写真の上の方の金網状の柵があるところが路盤跡です。何かに利用するのか工事が始まるみたいです。
向こう側に新しいトンネル(と言ってもすでに廃線ですが)があります。近くの登り易そうなところからよじ登ります。

右の写真は崖をよじ登って少し進んだ付近です。路盤にはバラストがあり左側は石積みの擁壁になっています。右側は足を踏み外すと崖下に転落します。倒木や刺のある雑木がありますがこのまま前進します。なんでこんなとこ来たんやろか。




やっとトンネルポータルが見えてきました。 ちょっと待て、熊さんがいるかもしれません。 
お師匠さんが手馴れたものでロケット花火を打ち込みます。 
ひょとして逆効果で熊さんが目を覚ますのではないかとの不安もありますがなんとか入口(出口?)にたどり着きました。
熊さんの声も聞こえません。ここまで来ると周りがなぜか思ったよりもすっきりしています。
念の為に申し上げておきますがロケット花火の残骸はキッチリと持って帰りました。


誰もいないようなので、トンネルに入ります。中は意外と綺麗になっています。廃止後90年程経っている風には見えません。そして短いです。
右の写真はトンネルから出たところです。雑木や雑草で覆われています。この先も同じような状況です。
でも登ってきたところまで戻るという気にはなれません。このまま進んでちょっと降り易そうな所から右下の崖をずり落ちるように降りました。
ふう〜っ・・・助かったー。
多分この廃線跡にはもう2度と来ないと思います。



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