スフインクスの役割とは何か?

  

   @  それではこのギザでの3大ピラミッド配置の中で、スフインクスというのはどの時代の建造で、どういう役割を担っていたのでしょうか。
    「スフインクスは昔から、ピラミッドより年をとっていた」という伝説や、「スフインクスはカフラーより5000年前だ。」というギザの村での、言い伝えなどもあるのですが、その起源については、地質学者のショック博士は、前7000年〜5000年と推定しています。ちょっと長いですが引用します。
   
   A  「スフインクスの窪地の、北・南・東の地表は、1.8−2.4mの深さまで、風化が進んでいるが、西の床は1.2mまでしか風化していない。これは西の床の部分が、後代に作られたことを示している。つまり2段階で建造されたということである。その後代の修正時に、あわせて頭部も修正されたのではないか。それで、頭部の不均衡が説明できる。風化が1.2mに達するのには、約4500年が必要である。現在から逆算すると、前2500年頃となる。そして、北・南・東部分はそれよりも0.6−1.2m、余分に風化しているので、前2500年に加えて、2500年−4500年分の時間が必要となる。つまり最初の建造は、前5000年ー前7000年前となる。そして、スフインクスのからだに見られる、波型の風化現象は、明らかに水流によるものである。そのような水による侵食が、発生するには、相当の雨期の時期が必要である。それに該当する時期は、エジプトとサハラ砂漠地域が、水の豊かな緑地帯時代であった、前5−7000年期ではないか。」としています。
    
   B   これについては、K・ラル・ガウリ、ジェームズ・ハレル両教授から「スフインクスの周囲にたまった砂には、水分が含まれ、それが砂の塩分と反応して、蒸発する際に、石灰岩のかけらが剥がれ落ちただけだ。」とする反論もありますが、ちょっと苦しい弁明に聞こえます。
  
   C  ただ考古学上は、このスフインクスは前2558年〜2532年に在位したカフラーの建造物とされていて、ピラミッド以前に造られたという説は、すべてのエジプト考古学者から否定されています。若干の意見の違いは、建造者がクフかカフラーか、という論争が残されているだけです。
    しかし、Dの章で取り上げたように、「クフは・・スフインクスを修理した・・」「スフインクスはケオプスのときには存在していて・・修復したのはカフラーの功績・・」などという古代の碑文をすべて無視するのは、解せません。今までの論述の通り、第2ピラミッド自体が、カフラーの建てたものではなく、そこにあったピラミッドを利用してネクロポリスを建設したとすれば、スフインクスは、カフラーにより建てられたものではないのは、当然の結論となります。
  
   D  さてそれでは、このスフインクスはどういう目的で、どういう姿で創造されたのでしょうか。まず、その頭部ですが、胴体と比べて極端に小さく、釣り合いがとれていないのは、明らかです。地質学者のショックは前述のように、カフラーの時代に元の姿から、今見える人物像に彫り直された、と主張していますが、そうだとすれば、では元の姿はなんだったのでしょうか。素直にみれば、それはライオンそのものではないでしょうか。ライオンは王権の象徴として、先王朝時代から壁画やレリーフに、よく描かれていました。上エジプトのナカダ遺跡近くの、ゲベル・アル・アラクから出土した、先王朝期のナイフの柄(
ルーブル美術館所蔵)に刻まれた図像に、両手にライオンを手なづけている王者風の人物像があります。ピラミッドを守護する役割としてのライオン像は、そうしたところから見ると順当な図柄でしょう。
  
   E  では、カフラーは何故そのライオンから、自分に似せて頭部を掘り込んだのでしょうか。これはライオン像があまりに古くて、その頭部修復が傷みのため、当初のようには復元できない、状態だったのでしょう。そのため多少縮小して、人間の頭部とすることにした、と考えれば、無理がないと思われます。その際、カフラー王の彫像を刻むことによって、さらに第2ピラミッドとスフインクスが、カフラーのものだと民衆に納得させたのでしょう。そのため、不自然なほど小さく、まるで後から差し替えたような、印象を持ってしまうのです。
 
   F  だが、何故この位置に、建造されていたのでしょうか。そこで、カフラーの造った河岸神殿と参道の位置に注目しましょう。何故参道は、15度南寄りの方角に、なっているのでしょうか。真っ直ぐ東へ参道を伸ばしても、障害物はありません。河岸神殿から太陽光線の指す方向へ、ピラミッドに向けて一直線に参道を設けた方が、エジプト人が重要視する、「平行・均一・対照性」に優れたものになるのです。そして、その方が、スフインクス神殿とも、きれいに並ぶのです。現に第3ピラミッドでは、真っ直ぐ東へ参道を設けています。
  
   G  さて、このスフインクスの位置には、重要な特徴があります。スフインクスの稜線を見ていただきたいのですが、スフインクスの南側面と、第2ピラミッドの南面とは、ピッタリ一直線になっています。これは第2ピラミッドがオシリスのピラミッドであるので、それをライオン像が守護しているという役割で、ピラミッドに平行して、揃えてあるのではないでしょうか。そしてライオンは常に1対がセットとされています。もうひとつの第2スフインクスは、第2ピラミッドのこんどは北面の稜線に沿って、第1スフインクスの反対側の、今では大ピラミッドの東の、マスタバ墳となっている場所に、建設されて、並んでいた可能性があります。
   
   H  しかしこの2つのスフインクスは、いずれもかなり古いために、崩壊の憂き目にあっていたのでしょう。第2スフインクスはほとんど崩壊していて、そのためクフ王の時代に、取り壊されて、そこがマスタバ墳にされたのではないでしょうか。そして残されていた第1スフインクスを、カフラー王は自分のモニュメントとして誇示するために、傷ついていたその頭部を掘りなおして、自分の顔に似せた王の像としたのでしょう。
   
   I  それが参道を15度傾けた原因です。何故なら、東へ真っ直ぐ参道を設けた場合、河岸神殿の南に、スフインクス神殿が存在することになりますが、参道をはさんで反対の北側には、何もないのです。これだと正面からみると、神殿の対照性に欠けます。ではその北側にもうひとつ、スフインクスを掘り込んで、建造すればよいのですが、それはできない相談でした。前述のように、そこにはクフ王時代の「マスタバ墳」が、いくつも作られていたのです。
    
   J  カフラー王は、もうひとつの第2スフインクスを、建造する場所がないので、そこで、あえて第1スフインクスをそのままにして、その南側に河岸神殿を並べて建てることで、スフインクスを自分のものとみなしても、不自然ではないと判断したのでしょう。そのために参道を、15度傾けざるを得なかったのです。
  
   K  それではこのスフインクスが、前7000-5000年頃に建造された、とする説が正しいとすれば、オシリスのピラミッド建設が、前4200-3200年頃という説との間に、相当の開きが出ます。その場合にはスフインクスが、相当前に建設されていますので、後世に出来たピラミッドとの稜線とは、あまり関係を持ちません。逆にピラミッドを、スフインクスに合わせて建設する、ということは考えにくいでしょう。これはやはり、ショック博士のスフインクス建造年代算定を、再度検証する必要があります。
  

 
  

             
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