M クフを始めとする第4王朝の王たちのミイラはどこに埋葬されたのか
@ 大ピラミッドが、イシスを祭ったものであり、第2ピラミッドが、オシリス王を納めたものであるならば、ではクフ王やカフラー王はどこに、埋葬されたのでしょうか。またクフ王に限らず、スネフェル王も屈折や赤いピラミッドに、埋葬されたようには見られません。そして、カフラー王もメンカフラー王も、第2・第3ピラミッドを王墓に利用した気配はないので、それでは彼らはどこに、埋葬されたのでしょうか。これが大きな課題となります。それが解明できれば、今までの説も、より整合性のあるものになるでしょう。
A そこでこの問題を考えるときに、参考資料を下記Hにまとめましたが、見てみますと、この第4王朝の王たちのミイラや埋蔵品は、全くどこからも出ていないということです。勿論、ピラミッドかあるいはマスタバ墳の、いずれかにあった遺体・遺品が、全て盗掘されて跡形もなくなくなった、可能性はあります。ですがそれにしては、石棺の王名や装飾など、埋葬自体を裏付けるものが、あまり見当たらないのは、不思議なことです。ジェセル王の階段ピラミッドでは、盗人がトンネルを掘って、すべて盗掘をしたようですが、それでも偽扉に描かれた王の像や、セルダブに安置された像、またピラミッド地下のマスタバ墳からの出土品など、埋葬を裏付けるものには事欠きません。
B ですから、第4王朝の王たちの誰もが、全く埋葬された形跡がないというのは、異常でもあります。その理由を説明するひとつの考え方として、この王朝は、王墓地を特定の場所に定めて、そこに集合埋葬されている可能性はないでしょうか。王家の谷のような役割のある場所が、ギザかその近くに造られているのではないでしょうか。一方で、近親者の墓地をギザなどに纏めたのは、王墓地の存在をカムフラージュするためでしょう。ではどこにそれがあるのでしょうか。そこで候補地としては、次の場所を挙げたいと思います。
C 第1の候補地は、これは順当な説ですが、ギザの3大ピラミッドの地下深い場所に、おそらくナイル川と同じ標高の場所、つまり大ピラミッド地下5−60Mあたりに存在していると考えられます。何故ならクフの墓所は、「周りをナイルの水が取り囲む島にある」、という言い伝えがあることです。ナイルの水を取り込める高さで、しかもピラミッドを墓標とすれば、その下に掘り下げて、ナイルの水を引き入れたのでしょう。そこへ通じる入口は、葬祭神殿の地下、または衛星ピラミッドの地下に、設けられているのではないでしょうか。ザヒ・ハワス博士もそれに取り組んでいて、大ピラミッドの東稜線と第2ピラミッドの参道が交差するあたりに、地下へ繋がる縦抗を見つけました。そして地下数十mまで調査し、その地下が水で満たされているのを、発見しています。(テレビ放映)
D 第2の候補地ですが、スフインクス神殿より2つのピラミッドを見ると、夏至の3日間、夕陽はその間に沈んでゆくのが見えます。そしてクフのピラミッドは、「クフの地平線」という古名がつけられています。このギザ台地自体も、古くはクフの地平線と呼ばれました。地平線とは、神話では東西南北の頂点を指してもいますが、一方ピラミッドとピラミッドの間に見える、砂漠の地表が、「地平線」という説もあります。
さて、話は変わります。モンゴルの英雄で、世界最大の帝国を創り上げた、チンギスハンの場合ですが、崩御したときにその墓所は、何の特徴もないだだっぴろい草原に、深く掘られました。その埋葬地には墓標も置かずに、馬群のひずめで踏み固めて、草原に戻してその場所を分からなくした、とされています。ですから今もって、その墓地が特定できません。
E それと同じような手法で、砂漠の特定地点に王墓が、掘り下げられているのではないでしょうか。そこはただの砂漠に見せかけられて、所在を分からなくして置いた、という埋葬方法も、砂漠地帯という環境から、考えられるのではないでしょうか。ただ、歴代の各王の遺体を収めた、集合墓とする場合には、場所の手がかりを残しておかないと、次の時代には利用できなくなります。その「合言葉」が、この「クフの地平線」ではないですか。また「クフ」とは古代の聖なる言葉で、ケオプスはその名を僭称しただけ、との説もあります。この「クフの地平線」を特定し、発見するには、統一設計されたギザの建造物の、幾何学的配置の中にこそ答えがあるのではないですか。
F その中で注目されるものに、(A)2大ピラミッドの稜線が一直線になっている。(B)3大ピラミッドの東南角が1直線に揃えてある。(C)Bの直線とスフインクス神殿は、直角三角形を形成する。という事実があります。そこで、この直角三角形の最長辺と、2大ピラミッドの稜線が交差する砂漠の地点、ここが第2の候補地となります。
G スフインクス神殿からみた場合にだけ、2大ピラミッドの間に夕陽が沈み、それが通称「クフの地平線」といわれています。この神殿から南西を望んで、それが2大ピラミッド稜線と交差する場所を、王朝の地下陵墓として、建設したのではないでしょうか。これだと、もし盗掘者集団が、そこを掘り下げようとしても、仮に地下2−30m地点だったら、掘っても掘っても砂が入り込んで、到底十数人程度の人夫では掘りきれません。王朝の総力を挙げて、数百人規模で人夫を動員する必要があり、それでは直ぐに足がつくことから、王陵の中身は安全である、と考えられたのではないでしょうか。
H なお、第4王朝のピラミッドの中から、出土あるいは発掘・発見されたもので、確認されているものは、以下の通りです。
大ピラミッド・・・・・「重力軽減の間の5段中、上4段にある王名落書き」
「空の石棺」
「女王の間の通気孔の奥の石灰岩の扉」
第2ピラミッド・・・・「雄牛の骨が残っていた空の石棺」
第3ピラミッド・・・・「ヴァイズの発見した装飾のある石棺」(英国へ運搬中沈没)
「メンカウラー王名の木棺」(後世サイス朝の作品と判明)
「人骨」(C14でキリスト教時代と判明)
メイドーム・・・・・・「竪抗の底で『初期の単純な様式』の木棺破片」
「空白の石碑」
屈折ピラミッド・・・全くなにもなし
赤いピラミッド・・・「外装石材の破片裏面に数百の落書き、その中に
『地面に据付15年、と、4年後の日付』」
「玄室から人間の遺体断片」
また、第4王朝の他の王たちのものは、
アブ・ロアシュの中途ピラミッド・・・「王の頭部がいくつか発見され、ルーブルに展示」(アルベ
ルト・シリオッテイ「ピラミッド」)
M・レーナー「ピラミッド大百科」では、「全くなにもなし」
ネブカの未完成ピラミッド・・・「空の石棺」