P  古代シュメール文明との相関関係


  古代シュメール文明は、古代エジプト文明よりも早くに、発生したとみられています。神話時代の文献は、粘土板の楔形文字の解読により、比較的多く伝わっているようですが、遺跡の発掘などによる考古年代との照合は、イラクの社会事情などにより、エジプトほど進んではいないようです。その中で、「ギルガメシュ叙事詩」は古代シュメールを代表する文学作品、歴史文献としてつとに有名です。この物語が粘土板に書かれた年代は、前2500年頃とされていますが、これは物語にでてくるウルク第1王朝5代目のギルガメシュ王を主人公としていることから推定されたようです。物語の発生自体は、およそ前3000年前後ではないか、とされています。残念ながらエジプトほどには、詳しい王朝年代が判明していないので、今後の発掘に期待するしかありません。
 さてこの物語の中に、古代エジプトと深く結びついたものがあるのではないか、というのがこの章のテーマです。それではこの物語の、不思議な部分を見てゆきましょう。

 @  ギルガメシュ王が君臨したウルクの町は、メソポタミアのチグリス・ユーフラテス川に挟まれた場所にあり、自衛隊がかって駐屯していたサマーワの近くです。この周辺の250km四方には、他にもウルやエリドゥといった、古代シュメールを代表する都市国家の遺跡が散在しています。それぞれの町は、侵略に備えた周壁をもち、王または神官を頂き、町の主神である神々を祭った神殿を建てていました。こうしたシュメールの都市国家は、前3000年頃にはもうすでに、建設されていたようです。このウルクの町では、主神は大空の神・アヌであり、第2世代の神々の中ではNO.1の存在です。そしてこの町の女神は、アヌの娘・天の貴婦人といわれるイナンナで、次の前2500年頃のアッカド時代には、永遠の処女・天の女王イシュタルと呼ばれた女神です。


 A  それでは最初に、この「ギルガメシュ叙事詩」の概略をおさらいします。
     ウルクの暴君として、住民から恐れられていたギルガメシュ王でしたが、その暴虐を何とかして欲しいという、住民の嘆願に答えて、主神アヌは野人エンキドゥを造らせました。エンキドゥはギルガメシュと戦いましたが、勝敗はつかないまま、互いを讃えて友人になりました。それからのギルガメシュは、住民のために森に住む悪魔フンババを退治したり、イシュタルの送り込んだ天の牛を退治したりして、働きました。ところが、エンキドゥが病死したことから、命の無常さに気付き、永遠の命を求めて、その昔神々から永遠の命を授かったという、ウトナピシュテイムを探しに出かけました。長い旅路の末にやっと遭えましたが、そこでウトナピシュテイムは永遠の命を得たいきさつ、「大洪水伝説」を語りました。(
これが聖書の「ノアの洪水」と同じシュチエーションなので、聖書の原型ではないかとされています)そしてギルガメシュに、永遠の命に至る草を教えました。ギルガメシュはそれを一度は手に入れたのですが、油断をしたすきに蛇に食われてしまい、失意のままウルクへ帰るのでした。というのがおおまかなあらすじです。

 B  さてそこで問題です。ギルガメシュの旅路の目的地で、神々より永遠の命を与えられたという、このウトナピシュテイムの住んでいたところはどこでしょうか。神話の中のお話なので、具体的にどこそこ、とは断定できない、架空の場所である、というのが一般的な見方です。しかし、ここでは徹底的にその場所を探りたいと思います。なぜなら、言い伝えや伝説は、まずそれが事実ではなかったかと真摯に捉え、太古の人々がその行間に隠した謎を、明らかとすることが、後世の人間の役割だと思うからです。そこで、ウルクを旅立って、ウトナピシュテイムを見つけるまでの旅路に、手掛かりを見てみましょう。(
本来なら叙事詩全文を載せたいのですが、抜粋でご容赦ください
   
   A ギルガメシュは、彼の友エンキドゥにむかって、烈しく涙を流し、野原をさまよい歩いた。
     「私が死ぬのも、エンキドゥのごとくではあるまいか。悲しみが私のうちに入り込んだ。
      死を恐れ、私は野原をさまよう。ウバラ・トウトウの息子ウトナピシュテイムにむかって
      私は道をとり、いそぎ進んだ。」・・・以下略
   
   B 山の名は
マーシュ(双子山)、彼がマーシュの山に達すると、それは日ごとに日の出と日没
     を見張っており、その
頂上は『天の岸』にとどき、そのふもとは冥界にまで達していた。
   
   C 
さそり人間どもがその門を見張っていた。そのたけだけしさは恐ろしく、その姿は死だ。
     ・・・さそり人間は男に向かって叫んだ。・・・「何故お前は私のところまでやってきたのだ。
     
渡ることの難しい海を越えて。お前の来た目的を私は知りたい。」
   
   D 「わが父ウトナピシュテイムに・・・死と生命のことを私は聞きたいのだ。」さそり人間はギ
     ルガメシュに言った「それをなしたものは、だれもいない。
山の通路を越えたものは、だれ
     もいない。」・・・「行け、ギルガメシュよ、マーシュの山を越えることを許そう。山々と山地を
     越えてゆけ。
山の入口は、お前のために開かれる。」
   
   E 
太陽の道にそって彼は行った。12ベール(24時間または128km)まで暗闇で、光がない。
   
   F 12ベールすぎると、光があった。彼の前に
石の木々があるのをみて、彼はまっしぐらに進
     んだ。紅玉石は果実をみのらせていた。ぶどうの実がたれさがり、見るからに好ましかっ
     た。青玉石は青葉をつけていた。
   
   G 「ギルガメシュよ、それはかって生じたことのないものだ、私の風が水を駆り立てる限りは」
     (
太陽神)シャマシュは困惑し、彼のほうに向き直った。「お前はどこまでさまよい行くのか。
      」・・・
   
   H ・・・彼は怒ってそれらを打ち砕いた(
石像?)。彼はもどってくると、あの男のところへ、上っ
      ていった。ギルガメシュはウルシャナビにむかっていった「私はウルク、エアンナからきた
      ものだ」山々を横切ってきたものだ。
太陽ののぼるところからの遠い旅だった。私はすべ
      ての
国々をさまよい歩いた。私は険しい山々を越えてきた。私は全ての海を横切った。」
   
   I  ・・・そしてギルガメシュはここでウトナピシュテイムと出会い、「大洪水伝説」を聞いた。そ
      の伝説の中で、助かったウトナピシュテイムは、神々によって「
遥かなる地、川々の河口
      に住め
」と命ぜられた。話が終わると、ギルガメシュはウトナピシュテイムから、6日6晩
      の不眠の行を申し渡されたが、それに失敗し、また手に入れた永遠の草も蛇に横取りさ
      れて失意のうちに帰路についた。
   
   J  ウトナピシュテイムの所を離れて、
20ベール行って食事をし、30ベール行って夜の準備
      をした。そのときに水浴をしたが、そのすきに蛇に永遠の草を横取りされた。「大地のラ
      イオンに恵みをやってしまった。もう
20ベールも流れがそれを)運び去ってしまった。私
      が水取口を開き、・・私へ合図として置かれたものを見たからには、私は退こう。そして
      小舟を岸に残そう。」
20ベール行って食事をし、30ベール行ってウルクの城に着いた
      以上がウトナピシュテイムの住んでいるところへの道筋だった。(合計100〜120ベー
      ル=1070km〜1280km)(
以上矢島文夫訳「ギルガメシュ叙事詩」筑摩書房 )

  
 C  この中の手掛かりになるものは、赤字で示した部分です。それをリストアップすると、次のようなことになります。
     
    【ウルクから1070〜1280km離れた距離の、西の方向に(
太陽の道と太陽の昇るところからの部分を推定すると西の方向となるので)向かって、山々や、渡るに難しい海を越えてゆきます。すると、頂上は天の川の岸に届き、麓は冥界に届くような、双子の山があり、それをさそり人間が守っていました。その山には入口があり、進むと24時間は真っ暗で、それを過ぎると石の木々がある石の楽園に出て、そこの水路を小舟で渡ったところに、そこは川々の河口になる場所ですが、ウトナピシュテイムはそこに住んでいたのです。】

 D  それでは現実の世界の中に、上記の条件に当てはまるものがないか、検証してみましょう。
     
    まず、ウルクから(
とりあえず直線で)1000〜1300kmの範囲で、西に向かうと、ヨルダンのアカバ(アカバ湾)周辺の紅海沿岸、地中海に面したベイルートからテルアビブあたり、が候補地としてでてきます。この中では、レバノン杉で知られていたラシード山脈に近いベイルート周辺は、絶好の候補地です。ここを目的の場所だ、とする説もあります。険しい山々も近くにあるので、双子の山を探せばたぶん、それらしきものはあるのではないでしょうか。この近くに、あるいはここから舟で渡った対岸のトルコ南部沿岸に、川々が注ぐ河口があれば、断然これで決まりでしょう。しかし、残念ながら河口は見当たらないようです。
    
    南へ向かうと、ウトナピシュテイムが安住の地としたとの伝説のある、そして子孫の名前の彫られた石碑が発見されたという、「エデンの園」の原型とされるディムルンの島、ペルシア湾に臨んだ現在のバーレーン島がありますが、そこまでは720kmです。ここは石碑の発見があるので、大変有力な候補地です。ただ、周囲は砂漠地帯で、山々も河口も見当たりません。また、南へ向かうのもどうかと思われます。尚この先400kmには、現代のエデンの園になるのか、ドバイがあります。
    
    それでは海と河口があるところはないでしょうか。
    北へ向かうと、アルボロス山脈を越えたところに、カスピ海が開けてきますが、その沿岸まで750kmです。そしてカスピ海を舟で越えると、対岸にはヴォルカ川やウラル川などの大河が注ぐ河口があります。ここも可能性のある場所です。ただウルクの東北東にあたることが問題です。
    
    次に北西へ向かってみます。すると、グルジアとトルコの国境地帯に、突然黒海が開けてきます。そこにあるバトゥーミの町あたりで、ウルクより1260kmです。しかも箱舟が着岸した伝説のある、アララト山に近く、その山系からの川が多々あります。この黒海南岸から、西岸へ渡ったところがウトナピシュテイムの居住地だ、とする説もあります。そこにはドナウ川を始め、様々な河川が流れ込んでいます。それではこれが、ギルガメシュの目指したところでしょうか。双子の山と、石の楽園は見当たりませんが、それも標高5165mのアララトを始め、たくさんの山々が聳える北アナドル山脈がありますので、モデルには事欠きません。さそり人間はいませんが、これはたぶん架空のお話なのでしょう。

 E  しかしちょっと待ってください。もう一つ候補地があります。それはエジプトです。エジプトのカイロだと、ウルクからは1440kmと、ちょっと範囲を超えそうなのですが、ここはウルクの真っ直ぐ西にあたります。まさに「太陽の道」を辿ってくると、このエジプトのデルタ地帯、ナイル川が幾筋にも分岐して地中海に注ぐ河口に到着します。このエジプトが目的地だとすると、叙事詩は次のように読み解かれるのではないでしょうか。

   (A) ナイルデルタに辿り着くには、数々の砂漠や山脈、紅海などを超えてきます。渡るに難しい海は見当たりませんが、ベイルートあたりから一部地中海を400kmくらい、舟旅をして入る事も可能ですので、その際にこの地中海の沿岸が航海しづらいことがあったのでしょうか。
   
   (B) そしてナイルデルタの河口に到着し、それを遡上していったナイルの分岐点に、頂上は天にまで届きそうで、地下は冥界と言われている双子の山があるではありませんか。それがクフとカフラーの(
両王ともこの時代未だ生まれていませんが)ピラミッドです。実際にはもう一つ小さなピラミッドがありますが、この二つが並外れて大きく、またそっくりだったことから、双子としたのではないでしょうか。またこの山の頂上が「天の岸」、つまり天の川の岸辺にまで届いているということは、傍らを流れるナイル川が天の川に例えられることから、自然な比喩ではないでしょうか。
   
   (C) さて、この山には「入口」があり、中へ入ると24時間は真っ暗な中を進みます。確かに大ピラミッドには入口があり、照明器具がないと中は真っ暗で、進むのにも相当の困難があります。終点の「王の間」までは、24時間もかからないと思いますが、もし一部の石をこじ開ける必要があった場合は、かなり時間がかかるでしょう。
   
   (D) さらに入口を守る「さそり人間(
夫婦)」です。そのさそり人間が、「何故私のところまでやってきたのか」と誰何する場面がありますが、これは1平民が問いかけるセリフにはみえず、この地の王族・支配者の問いかけのようなニュアンスがあります。また、ギルガメシュが少人数の供を連れてこの門に到着した場合には、東の遥かな地にあるウルクの王が何故訪れたのか、これを糾すのはやはりこの地の支配者ではないでしょうか。

   (E) そしてこの、さそり人間という名前です。つまりスコーピオンです。この名前に気がつかれたでしょうか。そうです、エジプトの先王朝時代(
前3100年以前)に、名前だけが残っている「スコーピオン王」です。この王と、この王の統治する政体が、この双子のピラミッドを守護していて、その許可なしには中へ入れなかったということではないでしょうか。
   
   (F) ウトナピシュテイム自身は、神々の一員として長寿を得て、この大河の河口である、ナイル川の川端のギザ地区に住んでいたのでしょうが、大洪水以来相当の年月が経過したため、すでにその姿はなかったのでしょう。跡には、ナイルの氾濫を避けて、石で造った宮殿や石像が配置された園が残されてあり、そこにウトナピシュテイムの冒険を記した、石版が置かれてあったのではないでしょうか。それを読み解くことで、ギルガメシュは永遠の生命の手掛かりを得ようとしたのでしょう。彼が石像などを打ち砕いたのは、目指す人が既にいないことに、いらだったためとすれば理解しやすいでしょう。こうして最後は、大ピラミッドの中に、永遠の生命を記した秘密の記録を探索しようとしたのが、ギルガメシュの採った方法です。しかしその中には暗黒だけがあって、何も得るものはなかったのです。

   (G) 失意のうちに帰路についたギルガメシュでしたが、途中、永遠の生命の草を蛇に盗まれたという部分は、あとから付け加えた、それこそ「蛇足」の物語です。こうして物語は終わるのですが、ウルクから遥か1400kmを隔てたギザの地に、ギルガメシュを向かわせたものは、「永遠の生命を記した秘密の記録」がそこにあるという風聞が、古代エジプトから古代メソポタミアへ、さらには古代世界全体に拡がっていた、という下敷きがあったのではないでしょうか。そして、その本当の「秘密の記録」とは、それこそが「トートの書物」ではないでしょうか。

   こうして古代シュメールに始まる大洪水伝説と、その永遠の生命を探索する物語は、古代エジプトの先王朝より遡ること1000年の、遥かな時代の「トート」の伝承に辿り着くのでした。実にこの紀元前4200年の、オシリスの悲劇とトートの建設したピラミッドの驚異が、古代世界を導いていたのでした。



            「古代エジプトと大ピラミッドの謎」シリーズはここで終了します」
                                            2008.3.10

          

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