A  古代エジプトの驚異・ピラミッド




  エジプトを旅する人は、先ず何をおいても、カイロ郊外ギザの3大ピラミッドと、スフインクスに魅了されることでしょう。エジプトには、南部のルクソールにある神殿群、王家の谷、ハトシェプスト葬祭殿などを始め、アブシンベル神殿やイシス神殿など、数限りない遺跡があります。しかしそれらの中でも、このギザにある巨大なピラミッドは圧巻です。その重量感と荘厳さによって、畏敬の余り、言葉もなく見上げるだけになってしまいます。このページでは、そんな古代エジプトの偉業の歴史と、ピラミッド建設の謎の中から、先ず最初に、王朝の歴史と、ピラミッド建設の概略を見てみます。

  

  @  エジプトの最初の王朝は、紀元前3150年頃に、エジプトの南部地帯(ナイル川上流)を揺籃の地として、ヒエラコンポリスあたりで生まれてきたようです。それが第0王朝とされますが、「さそり王」(スコーピオン・キングという映画もありましたね)「ナルメル王」(戦勝記念を描いたナルメルパレットに出てくる王として有名)などがいたと見られています。

  
  A  その次が最初の
第1王朝で前3050年頃からです。文献等にも登場する「エジプト最初の王メネス」のモデルとみられる「ホル・アハ王」から始まり、7代160年続きます。この最初の頃のエジプト全土の人口は、およそ50万人くらいと言われています。この頃の王たちは、メンフイス(下エジプト)に王宮を建て、墓地は北(サッカラ)と南(アビドス)の2箇所に、マスタバ墳といわれる10〜25m×20〜50m(およそ700u=200坪前後)の箱型の墳墓を造り、その中の地下深くに、殉死者(3代蛇王は174体)も含め、葬られました。
   
    文献によれば、初代のメネス王の死因は、「カバに連れ去られた・・・」となっています。「カバ狩り」で事故ったのでしょうか。統治したのは62年間とされているので、死去した時はかなりの高齢ですが、それで「カバ狩り」に行ったのでしょうか。ちょっと不思議です。また3代目の蛇王ですが、この王の統治時代に、巨大な飢饉が襲ってきました。そのとき彼は、ピラミッドを建てたとされていますが、それは現在見当たらず、現実には彼のマスタバ墳があるだけです。なお、これらの言い伝えは「マネトー」の「エジプト史」に記述されています。

  
  B  さてその次の
第2王朝は、前2890年から約204年間、5代の王が統治します。最初の王はヘテプセケムイ王で、この王のときにブバストス(ナイル川下流のデルタにある街)で大地が裂け、多くの人が亡くなったとあります。大地震があったのでしょう。また、4代目のセト・ペルイブセン王は、王朝伝来のホルス神と、敵対したセト神の争いが絡み合う中で、あえてセトを名乗った王です。最後の5代目カセケムイ王のときには、エジプトの南北戦争が勃発して、死者47,000人と記録にあります。この時代の人口では、ちょっと考えられない数字ですね。この第2王朝は考古学年代では5代で終わりですが、マネトーの文献では、7代目の王のときにナイル川の水が11日間、蜂蜜が混ざって流れたという話や、8代目の王は身長が2m50もあったとするなど、面白そうな話が続きます。
 

  C  続いて
第3王朝に入ります。この王朝は前2686年からの、5代73年で、初代はサナクト王です。この王の在任中、リビア人の傭兵?が反乱を起こしたと、記録されています。そして、次の2代目ジェセル王が、史上最初のピラミッドを建設した王です。19年間統治をしたようですが、その期間に、宰相イムホテプがサッカラの地で、日干しレンガづくりの、既存のマスタバ墳を改造して、縦121m×横109m高さ60m、6階段の石のピラミッドと、関連施設(コンプレックス)を建造しました。このイムホテプは(「ハムナプトラ」という面白い映画の悪役でしたね)メソポタミア出身との説もあり、であれば、ウルなどにあったジグラットを、モデルにした可能性もあります。この巨大な階段ピラミッドを創り上げた偉業で、イムホテプは後世、神のように崇められたようです。

  D  そして次のセケムケト王は、もう少し大きい7段のピラミッドを、建設し始めましたが、在位6年と短いためか、2段目の途中で、建設は放棄されました。
  
  【こうした中途での建設放棄というのが、結構多いんですね。何故なのか、もうひとつ理解できないところです。王朝全体では行政官などが、しっかり組織されているから、こうした巨大プロジェクトを進められるのでしょう。その途中で王が死ねば、そこを中途で放棄するというのは、王に対する忠誠心が、全く無いわけですね。これは次の王にとっても、安心のならない許しがたいこと、ではなかったでしょうか。】
    
   そして次のカーバ王も在位6年、ギザの南8Kのザウエイト・エル・アリヤンに、未完成の重層ピラミッドを残して消えました。一番最後のフニ王は在位24年で、十分時間がありました。メイドウームでの崩れピラミッドを手掛けた模様ですが、しかし何故かそれは最後まで、フニ王のものにはならず、実際にはマスタバ墳を造って、そこに埋葬されたようです。
  
  E  そしてピラミッド建設の最高潮にあたる
、第4王朝に入ります。前2613年からの、7代115年の王朝です。最初の王はスネフェル王で在位24年。レバノンやシナイ半島、そしてスーダンあたりまで遠征しました。メイドウームに崩れピラミッド(縦横144m高さ92m)を建設し、次にダハシュールの屈折ピラミッド(縦横188m高さ105m)と、赤(北)ピラミッド(縦横220m高さ105m)の、3つの巨大ピラミッドを建設しました。しかし、最後はどこに埋葬されたのかは不明です。
   
   2代目の王が有名な
クフ王で、彼が世界最大の大ピラミッド(縦横230m高さ146m)をギザの地に建設しました。他に、王妃たちの3つの小ピラミッドや衛星ピラミッド、太陽の船を納めた2箇所の舟杭、そして親族や家臣たちのマスタバ墳団地を、東西に建設しました。まさしく総合的な、「死者の町」建設プロジェクトを推進したのです。

  F  クフの後を継いだ息子のジェドエフラー王が、ギザの北8Kアブ・ロアシュに、縦横106m高さ67mのピラミッドを建設し始めたが、在位8年目で死去しました。そのためそこは、基底部だけで中断されました。
    その弟の4代目カフラー王は、在位26年ですが、ギザの大ピラミッド横に、縦横215m高さ144mのカフラーのピラミッドを建てました。さらにスフインクスや、葬祭神殿・河岸神殿・衛星ピラミッドを建設しました。
    そして次に即位したのは、ネブカ(
バアウエフラー)王と見られますが、ギザ南のザウエイト・エル・アリヤンに、縦横200mのピラミッドを計画しましたが、これは未完成に終わっています。

 
  G  そして6代目がメンカウラー王で、在位28年ですが、縦102m×横104m高さ65mの、クフ王の1/10の体積のピラミッドを、カフラーの横に造りました。さらに周囲には、王妃の3つのピラミッド、葬祭神殿などを建設しました。
    さて、この王朝の最後が、シェプセスカフ王で、在位4年です。この王はピラミッド建設をやめて、縦100m×横74m高さ18mのマスタバ墳を造り、埋葬されました。

   
  F  このあとは、前2498年からの
第5王朝に入ります。最初の王ウセルカフが在位7年で、縦横73m高さ49mで、クフ王の大ピラミッドとの体積比では、わずか3.4%の大きさになるピラミッドを建てました。
    その後8代の合計153年に、5つのピラミッドが建てられました。しかしいづれも、大ピラミッド体積比では4−5%程度にしかなりません。小規模なもので、建設技術も退化したのか、現存するものはいづれも崩れてしまって、小山のようになっています。この後は、第13王朝まで、断続的に2−30個造られていますが、同じく小規模なもので終わっています。これが、ピラミッド建設の大まかな歴史です。   

  G  カール・レプシウスによって、「ピラミッドの規模は、それを建てた王の治世の、長さによって決まった」という成長理論が提唱されました。これは第3−4王朝には一部あてはまるものの、5−6王朝まで含めると、厳密には比例しません。むしろピラミッド全体を見渡すと、王の治世とピラミッドの大きさには法則がなく、ましてや中断されたピラミッドの理由には、共通したものは見当たらず、建設技術の進歩する方向性も、必ずしも一定ではないことが分かります。むしろそこにはなんの法則性もないのが、このピラミッドの歴史です。それらを俯瞰して見ると、第4王朝で建てられた6つの巨大ピラミッドの、巨大性ばかりが突出しているのが、実態ではないでしょうか。
     各王が、治世1年に付き、どれだけの石材を利用したのか、をみることで、治世の長さにより建設規模が決まったのではない、ということが分かります。
    

【ピラミッド一覧表】  このホームページでは※を6大ピラミッドとします。

王朝代目    王名 治世年 ピラミッドの基底部×高さ(m) 付記 在位1年当たりに利用した石材の体積・立方メートル
3−2 ジェセル 19 121・109×60 階段ピラミッド 17,389
4−1 スネフェル  8 144×92       ※   メイドウムの崩れピラミッド 79,841
在位24年を仮に3つのピラミッド建設に分割 188×105      ※ ダハシュールの屈折ピラミッド 154,630
220×105      ※ ダハシュールの北(赤)ピラミッド 211,750
4−2 クフ 23 230×146      ※ 大ピラミッド 112,316
4−3 ジェドエフラー 106×67 中断・未完成 16,380
4−4 カフラー 26 215×144      ※ ギザの第2ピラミッド 85,042
4−5 ネブカ 200 未完成
4−6 メンカウラー 28 102×104×65   ※ ギザの第3ピラミッド 8,399
4−7 シェプセスカフ 99×74×18 (マスタバ墳)
5−1 ウセルカフ 73×49 12,558
5−2 サフラー 13 79×47 7,426
5−3 ネフェルイルカラー 10 105×72 25,725
5−6 ニウセルラー 32 79×52 3,519
5−8 ジェドカラー 39 79×52 2,765
5−9 ウナス 30 58×43 1,579
以下略

   
   なおこの表を見ると、スネフェル王時代は1年365日の毎日、1立方メートルの石に換算して、407個を切り出し、運搬し、据えつけていることになります。なんだか凄い量に見えます。ジェセル王のときは毎日47個です。第5王朝では平均毎日15個です。これくらいなら、ごく順当な感じですね。

 


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   【閑話休題】
   「マネトー」ですが、前3世紀に、プトレマイオス王朝の初代または2代目の王に、エジプトの歴史を伝えるために、「エジプト史」を書き著したヘリオポリスの神官長です。その本の中でマネトーは、エジプトの王朝を31に分類し、それぞれの王朝の事跡を記述しました。だがその本自体は散逸してしまって、今残っているのは後世に、アフリカヌスやエウセビウスが収集し写本しましたが、それが本の一部と見られます。その中の記述は、考古学上の事跡と比較的良く符合するので、エジプト歴史の基本資料とされています。