G では、いったい誰が建てたというのか


  @  考古学上ピラミッドを建てた記録は、ジェセル王以前にはないとされていますが、ただマネトーの「エジプト史」では、第1王朝3代目のウエネフェス(ジェト・蛇王)がその治世のときに大変な飢饉がエジプトを襲ったとして、彼はChoの町のKochomeの傍にピラミッドを建てた、と記述しています。これがどこなのか、分かりません。また事実なのかどうかも、判明しません。学会には無視されているようです。
  そこで、第1−第3王朝に建設された形跡がなければ、それは先史時代または石器時代にまで遡ることとなります。果たしてそんな時代に、6大ピラミッドを建てることが可能なのでしょうか。もしピラミッドの建造年代がはっきりすれば、そこから推論ができるのですが。
 
  A  ところが、大ピラミッドを始めこのギザの建造物を、年代測定したものがあることが、分かりました。それは1980年代に、エジプトのアメリカ研究所が、ワシントン大学の歴史家RJウエンケの指示で、実施したものです。もちろん石の年代は測定できませんが、石の隙間に存在していた漆喰に、含まれる木や炭のサンプルのC14測定です。そこでこのC14測定方法ですが、これは実際の年代とは、過去へ遡れば遡るほど、大きな誤差が生じてくることが確かめられた、という説があります。それは、大気中のC14濃度が、一定ではなく、大きく変動しているからです。それを樹木の年輪など、正確な暦年代(実質年代)で補正すると、例えばC14で前3000年ならば実質で前3730年となることが、樹木年輪その他の比較で判明したとするのが、安田喜憲氏の説です。(
「大河文明の誕生」
   
  B  そこで実質年代でピラミッドの木や炭サンプルの測定結果をみると、大ピラミッド上部は前4169年+−160年(以下+−は省略)、同・木サンプル前3290年、同・下部の炭サンプル前3279年、カフラー王のピラミッドは前3406年、メンカフラー王のピラミッドは前3257年、そしてスフインクス神殿は前2856年となりました。第4王朝のスネフェル王の治世で、前2600年頃なので、これでは1000年以上も遡ることになります。また、スフインクス本体に限って言えば、地質学者のRMショック博士は、水による侵食風化の進行状況から推定して、これが前7000〜5000年に築かれたとする説を発表しています。
  

【ピラミッドのC14年代測定と実質年代での修正】

 

場所 C14測定年代 実質年代修正(概算) 参考
大ピラミッドの上部の炭サンプル 紀元前3809(±160)年 紀元前4329−4009年
同上 上部の木サンプル  前3101(±414)年 前3704−2876年
同上 下部のサンプル13個 前3090−2853(±1−4世紀)年 前3679−2587年
カフラーのピラミッド7サンプル 前3196−2723年 前3406−2829年
メンカウラーのピラミッドの6サンプル 前3076−2067年 前3257−2050年
スフインクス神殿のサンプル2個 前2746−2085年 前2856−2080年

   注;C14年代より実質年代を算出し、それに±の数字は修正せず、そのまま加減したのを、
      実質年代として表示しました。

      


  C  それでは大ピラミッドなどが、前4300年〜前3200年頃までに建造されたとすると、エジプトの歴史はどう対比されるのでしょうか。エジプト考古学では、最初の第1王朝は、前3050年頃のホル・アハ王から始まっています。その前には第0王朝とも言うべき、蠍王やナルメル王の時代があったとしていて、それは前3150年あたりが起源とされています。ヒエラコンポリスより出土した奉納品から、さそり王⇒ラ王⇒セシェン王⇒ナルメル王と続くことが判明しました。さらにこの時代(前3100−3000年期)には、ナイルデルタの西に、7つの要塞都市が描かれているという、リビアパレットが見つかっています。
   
  D  さて、前3150年以前は、王朝になる前の地域の豪族や部族が、割拠した時代であり、先王朝時代ともあるいは、新石器時代とも言われます。これが前5000年〜前3150年を占めています。そのうち前4550〜4350年は、ナブタ後期新石器文化期です。しかしこれは、前4350年に突然消滅しています。またその後の、前4000年頃にはエジプトとメソポタミアの間に、交流があったことを示す遺品が出土する、ナカダ文化期が始まっています。注目すべきは、この時期の出土品には、
手作業で造られたとは思えない、完璧な円形の陶器や花瓶が発見され、それは技能的にあまりに、非エジプト的だったので、ペトリはこれを「新文明」と呼んでいます。
     
    
  E  その後、前3700年に入って、エジプトの周囲は寒冷乾燥化が進み、ナイルの水位が低下し始めます。周辺牧畜民が、ナイル川流域へ移動してきて、農耕民と衝突したりしました。そこから地域に権力や町が誕生し、やがてその地域同士の衝突と連合によって、王朝が生まれる基盤が、熟成されつつ推移した、と見られます。さて、そうした時代のどこに、ピラミッドが生まれる余地が、あるのでしょうか。また、ピラミッドを造る程の文明は、社会一般も高度な文明時代に、突入しているでしょう。そうすれば数多くの、そうした文明の遺物が、ざくざくと出土し、先史時代の前に、ピラミッド時代とでも名づけられる時代が、考古学的にも裏付けられるのが当然ではないか、という疑問にも遭遇します。
  
  F  一方マネトーの「エジプト史」によれば、この先史王朝時代は神々の時代であり、半神たちの時代でもあるといいます。それでは、マネトーの歴史を詳細に見てみましょう。まずマネトーの歴史年表には整合性に乏しい部分や数値があり、王朝や各王の記述には、考古学年代から確定されたものとは相容れない、とんでもなく多い治世年があったり、とんでもなく多い王の数だったり、数多くの「間違い」とされるものがあります。そこで次のように見方を変えてみることにしました。
 
   (a)各王の治世年合計と、その王朝合計年が合わない部分。これはどうも各王の治世が、次の王と1年重なっていることにある。後世には摂政あるいは共同統治もあるのだが、マネトーでは共同統治期間も、それぞれの王ごとに加えている。そこで、(3つの)写本どうしの中での王朝年比較では、すくないカウントを優先して基本とし、そこから王の代数×1年をマイナスした。
 
   (b)アフリカヌス写本で、王名と治世年が記述されていても、エウセビウス写本で、「残りの王には言及するものはない」とされているものは、その王たちの存在自身が、根拠がないと見なして、マイナスすることにする。
 
   (c)エジプト学ではいくつかの王朝が、並立しているような場合、マネトーはそれぞれの王朝を縦系列で積算しているが、考古学上並列と見なされる王朝は、マネトーでも並立に並べ直すことにする。
   
  G  以上の修正を加えてマネトーの「エジプト史」を、逆出発点の前332年の第31王朝終焉の時から、順次各王朝を並べて行きます。すると、まず第17王朝の始まりが前1662年となり、エジプト学(考古年代)とは1年の誤差になります。さらに遡ると、イルフラン・パピルスで古代の天文学的年代測定の基本とされる、12王朝の5代目センウセレト3世の7年目にあたる、「夜明け直前のシリウス星出現記録」のある前1871年は、マネトーではセンウセレト3世の14年目にあたっています。こうしたことから、マネトーの古資料には大きな信頼が置けることが分かってきます。
  
  H  またさらに遡ると、マネトーでは、エジプト第1王朝の初代メニ王の治世の始まりは、前3231年となりました。ここから更に遡ると、マネトーでは半神たちの時代が1058年あり、その始まりがホルスとされていますが、それは前4289年です。更にその前は、320年続いたオシリスとイシスの統治で、それは前4609年から始まっていました。そして尚遡ると、その前はヘファエストスの神の統治時代で、前5366年が最初の時であり、そこからエジプトが始まっているということです。
  
  こうしたことから、前4300年〜前3100年の間のピラミッド建設時期は、ホルスが統治を始めたころから半神たちが活躍した時期であり、考古学的にはペトリが「新文明」と呼ぶナカダ文化期に相当するのです。   

 
  


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【閑話休題】   
   「こうした奇跡とでも言える大ピラミッドを建設できたのは、古代の、それも未開の人間には無理な話である。建設できたのはUFOに乗って、宇宙からやってきた神々である。あるいは、月を宇宙船に仕立てて、崩壊する惑星を逃れて来たヒューマノイドの一団が、地球に植民したときの記念碑である。それか、前10500年頃に繁栄したアトランティスの、大破局を逃れた人々が建設したものだ」など、想像を飛躍させた説が多々見られます。お話としては夢があって面白いのですが、あまりに破天荒過ぎて、証明ができないものばかりで、残念ながらアカデミックな分野では、検討対象にもならないようです。
   ステイーブン・ウエッブによれば、「フェルミ・パラドックスに基づいて、この銀河系で、知性のある種族がいる確率をはじくと、@恒星の条件、A惑星の位置、Bその軌道、C危険率、D惑星の運動、E月の存在、F生命の誕生、Gその進化、H文化と言語の発生、のそれぞれの数値を落とし込んでゆくと、最後の数字は1となり、結果地球一個だけの結論になる。」といっています。『宇宙人は、どこに、いる?』・・・したがって人間の存在というのは(地球の存在も含めて)、宇宙で唯一の、特異点であるということです。宇宙に文明の痕跡を捜し求めているSATI探査においても、全く成果が上がらないのは、そうした「現実」によるからではないでしょうか。
   ただし、カール・セーガンは若い頃、「相対性理論に基づいた恒星間宇宙船による、銀河文明同士の直接コンタクト」で、進んだ文明が銀河系に、豊富に存在する可能性(ドレイク方程式より)と、そうした文明が、ほかの太陽系に向かって、宇宙船を打ち上げる確率を、統計分析した結果、地球は数千年に一回の割合で、異星人の訪問を受けている、という結論に達しました。それならば、地球を訪れた異星人が、訪問記念に、ピラミッドを建てて帰る可能性も、ゼロではないということです。そのときは、異星人により建設されたと推測される、証拠が見つかればよいのですが。
   イギリスの小麦畑に描かれた、複雑なミステリーサークルは、とても人間業では出来ない、UFOの仕業だと騒がれましたが、結局2人のイギリス人の「いたずら」だったことが分かり、彼らがいとも簡単に複雑なサークルをつくる様子が、テレビで放映されました。「残念」な結果ですね。
   
   もっとも、古代エジプトで飼いならされたのがきっかけで、人間と同居するようになった猫ですが、実はその異星人ではないか、という説もあるようです。何故なら、猫は死んだ姿を見せない、彼らは最後は空中に消えてゆく?・・・