7章. イサクは本当にアブラハムの子供なのか

アブラハムを訪問した後、「主なる神」と分かれた、ふたりの御使いは、「夕暮れにソドムに着いた。」どうもそのまま歩いて行ったようである。ところがソドムの門に、ロトが座っていて、この使いを見ると、
 「わが主よ、どうぞしもべの家に立ち寄って足を洗い、お止まりください」と声をかけた。やはりロトも一目見るなり、「主」(実際は使いだが)だということが分かる、そんな姿かたちなのだ。
 しかし、他の町の民衆には、普通の男にしか見えず、それも「やさ男」風なので、男色の相手をさせようと詰め掛けた。ロトはみ使いをもてなし、パンをみ使いに食べさせている。


 そこで、み使いはロトの手をとって町の外へ連れ出し、避難するように言ったが、ロトは彼らに言った「わが主よ」・・ここでもこの御使いが「主」とされている。ロトにとっては、「主」というのは単独のものではなく、このみ使いの誰でもが「主」であるのだろう。つまり彼らは「主なる種族」であり、み使いの誰もがその一員であるのだ。しかも彼らには個性というものが存在しないのか、一人ひとりが独立したものではないようで、そのために個別を示す「名」がないのではないか。これは後ほど出てくるヤコブが戦った「主」なるものが「なぜ名前を聞くのか」と、不思議そうに聞く場面や、士師記でサムソンの母がみ使いと遭遇したときに名前を聞き、み使いが「不思議と言うが、なぜ名前を聞くのか」と問い返す場面などに示されるように、名前自体がないのであり、ということは、彼らは個体的に独立したものではないのではないか。


 さて、家族と共にソドムを逃れたロトが、近くの小さな町「ゾアル」にたどり着いたとき、ソドムとゴモラの町に「硫黄と火」が降り注いで、滅亡した。しかしロトの妻は、一緒にゾアルにたどり着いたはずなのに、後ろを振り返ったので、「塩の柱」になった、という。逃げ遅れてソドムの近くで被害にあったのか、それとも避難はしたのに、滅亡の瞬間を直視したためにそうなったのか。直視したため石になる、というのはギリシア神話に出てくるメドゥーサの目の話が有名だが、ロトの妻については、ソドム周辺の砂漠地帯に散在する石柱のいわれを説明するための創作なのだろう。降り注いだ硫黄と火の凄まじさを表現するために、すなわち神の怒りの凄まじさを印象づけるための、ロト妻の「塩の柱」化、を挿入したのだろう。

  さらに、この脱出劇の主人公ロトというのは、ソドムの中の唯一の義人として、神の救済に与かったのだが、その後二人の娘たちと共に山の洞穴に逃れ住んだときに、娘たちと通じてそれぞれに子を産ませた、と記述されている。またその原因は娘たちにあり、孕ませた行為は酒に酔っていたときのため、ロトには責任がないのだ、とされている。なんとも言い訳がましい記述で、実際にしていることは、鬼畜のような近親相姦劇であった。これが「主」なるヤハウェによって選ばれた「義人」の正体であることからすると、ヤハウェには「人を見る目」など備わっていないのだろうか。とすれば、ソドムですべての住民を「硫黄と火」で消滅させた中に、大勢の罪もない子供たちは勿論、ロトほど下劣ではない住民もいたのではなかったか。そうした選別も満足にはできないで、ただ皆殺しをするだけの神がヤハウェなのだ。

 ソドム周辺には火山などはないので、「硫黄と火」が降り注ぐというのは、地震が発生し、地下から天然ガスが流出したところへ引火して、巨大な爆発を起こしたのではないか。という推測説もある。

 一方、アブラハムの方はネゲブの地に移って行き、ゲラルの王アビメレクに自分の妻のサラを「これは妹です」といって差し出した。そこで王はサラを後宮に召しいれた。・・どうもこの話は、エジプトの話の2番煎じのようである。一つのこうした事例があったのを、二つの話に創作したのか、それともエジプトでうまくいったので、今度はこのペリシテ人の土地で再度試みたのだろうか。

 もしこれが2度目の試みだとすると、このときのアブラムの目論みは、遊牧の民として定着できない自分たちの居留者生活を解消して、どこかに定着する土地を得たい、ということではなかったか。それを窺わせるように話は展開する。
 サラがアブラハムの妻だと判ったので、王アビメレクはサラを返し、羊・牛・男女の奴隷をアブラハムに与えて、「わたしの地はあなたの前にあります。あなたの好きなところに住みなさい。」という言葉を与えたのである。それからしばらくして、アブラハムとアビメレクの間で井戸をめぐる紛争が起きたので、アブラハムは羊と牛を差し出してアビメレクと契約を結び、その井戸の権利を確保した。そこがベエルシバという地であり、このことでアブラハムは初めて、カナンに定着することができたのである。つまりこれを分かりやすく見ると、サラを提供し、その代償にカナンに定着することができた、ということである。

 そしてサラはここで初めて妊娠したのである。だが、その父親はアブラハムで間違いないのだろうか。どうも疑問になるところがある。というのは、このときアブラハムは99歳だったのだが、この年にはまず神が現われて、割礼を施すように伝えたので、アブラハムを初め一族の男子全員が割礼をした。それからしばらくして神が、天幕の前でアブラハムに現われ、ソドム行きを告げた。そのときサラが子を生むというお告げを伝え、サラに笑われた。そしてしばらくすると、アブラハムはネゲブに移り、ゲラルに留まったが、そのときサラをアビメレクに差し出した。そしてアビメレクに主が現われ、サラを返せ、と伝えたので、サラはアブラハムのもとへ返された。するとサラはみごもり、アブラハムが100歳のときに、イサクが生まれた。

 この時間の流れから行くと、サラが身ごもったのは、アブラハムが99歳のときであり、そのときはアブラハムは割礼後の状態であり、アビメレクに差し出す前後の時期だったろう。おそらくアブラハムは、夫婦の営みが絶えていた時期に、妻をアビメレクに差し出したのではなかろうか。しかもこのあとしばらくしてアブラハムは100歳を向かえ、妻の妊娠が発覚している。ということは、サラの妊娠の相手は、アビメレクではなかったのか。夫婦になって数十年、いまだかって妊娠したことのないサラが、ゲラルの王アビメレクの後宮に入れられ、その後妊娠していたということは、アビメレクの子である可能性が高い。そしてアブラハムはそうすることで、自分たちの居住地を手に入れることができたのである。

 どうしてそういう推測をするのか、といえば、アブラハムとその子のイサクとの関係を見ると、もし他人の子だとアブラハムが知っていたのならば、なるほどと理解できるところが多々あるのである。その最初は、モリヤの丘での、犠牲の羊の一件である。

 神はアブラハムを試みて彼に言われた『あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい。』アブラハムは朝早く起きて、ろばに鞍を置き、ふたりの若者とその子イサクを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出掛けた。・・・有名な「イサクが燔祭の小羊となる」場面となる。アブラハムが刃物を取って、イサクを殺そうとするところで神が止めるのだが、その場面にいたるまでアブラハムが、実子殺しをさせられることへの嘆きや、イサクへの憐憫の情など、修羅場にふさわしい愁嘆場は出てこない。いたって簡潔に、冷静にイサクは殺されるのである。寸前で、神の待ったがかかるのだが、そのときもアブラハムは格段喜びも現さず、イサクに対するいたわりなどは示さない。これはどういう神経か。
 ここまで事務的に夢遊病者のように、子供殺しを遂行しようとしているのは、なにか催眠術にでもかかっているのか、それともあまりの過酷さに、感情をなくしたのだろうか。また、それに対する神の使いの言葉は、あいかわらずの「子孫を増やす」約束の繰り返しで、中身のない言葉ばかりである。ただ今回は、「ひとり子を惜しまなかった」アブラハムの信心深さに喜びを感じただけなのだ。誰かに対して、「どうだここまでわしを信じているのだぞ、どうだ凄いだろう、見てみろ。」とでも自慢するために、試したのが目に見えているではないか。そうした神の仕打ちへのアブラハムなりの抵抗が、この淡々とした子殺し遂行なのだろうか。それもあろうが、実はイサクは自分の子ではないという確信を、アビメレクの子だという確信を、アブラハムは持っていたのではないか。それで子殺しといっても、実は他人の子なので、ちょうどいい処分だと内心では抵抗もなかったのではなかろうか。


 それはつまり、神もそれを知っていて、それで燔祭にして処分しろ、という仰せなのだと自分で理解していたのではないか。

 このあと、サラが127歳で死ぬと、アブラハムは137歳になっていたが、サラの死を契機に、次々と妻や妾を増やして子供をなして、175歳まで生きることになる。サラが生きている間は、そうした浮気は慎まなくてはならない事情があったのだろう。それはとりもなおさず、サラの存在が、アブラハムの資産の源泉となったことから来る負い目か、あるいは一族家庭内でのサラの強い立場があったのだろう。なので、サラが死ぬとその墓地を確保するためのアブラハムの必死の交渉ごとが、このあと縷々綴られるのである。
 そしてイサクの嫁取りの話が続く。後から出てくるヤコブの嫁取りは、ヤコブ自身が活躍し、自分の目で嫁を取るのだが、このイサクの場合は、本人は全く嫁取りの中身に携われずに蚊帳の外で、アブラハムに命ぜられた年長の僕(家宰)が全権をもって嫁探しに行き、連れてくるのである。イサクの出る幕はない。そしてイサクが次に注目を浴びるのは、アブラハムの孫でイサクの二人の子たちの、長子争いの場面である。第26章にはイサクとペリシテ人との井戸をめぐる争いと、ゲラルの王アビメレクとの和解が書かれているが、どうもこれはアブラハムが遭遇した件の焼き写しのようだ。アビメレクが父親だという話が出ないように、アリバイにもう一度井戸を巡る争いを書き足したのではなかろうか。

 こうしてイサクがアブラハムの子ではない可能性を追ってみた。ただし、それが正しいとすると、アブラハムの正規の血統はいきなり終わるのだが、しかしここでアブラハムの孫にあたるヤコブが、実はアブラハムの実子ではないか、という疑惑が浮かんでくるのである。そうすれば、アブラハムの血筋は、イサクを飛び越して、ヤコブからその子孫へと、連綿と続いてゆくのである。

 まずイサクの子供が誕生したいきさつを見よう。イサクの妻はリベカで、そのリベカは父アブラハムの家宰が、アブラハムの出身の国アラムから連れてきた娘だった。結婚したのはイサクが40歳のときだったが、子供には恵まれず、ようやくリベカが双子を生んだのは、イサク60歳のときだった。双子の最初の子はエサウで、そのエサウの足を握って次に生まれてきたのが、ヤコブであった。この二人は性格や体の見かけも大きく違い、長子の権利を巡って様々な争いをするのだが、そこで最初に疑問となることは、双子という場合でも見かけが大きく違うことがあるものだろうか、という点である。
 
 双子は同時に生まれるので、民族や時代を変えても、二人をひとりとみなす見方が自然だったようである。
時には双子が忌み嫌われることもあり、ひとりを間引きするようなことも民族によっては見られた。また、どちらを兄とするかは時代によっても違い、日本では最初に生まれたのが兄とされるが、比較的最近までは、後から生まれた方を兄とすることもあった。この聖書時代においても現に、第38章ではタマルに生まれた双子は、後から出てきた方を兄としているのである。ただいずれにしても、双子はみかけの相似性に加え、一卵性・2卵生を問わず、双子同士の心理的結びつきが強くて、他の人間との交友が比較的苦手の傾向にある。

 ところがこのエサウとヤコブは、みかけも大きく違い、エサウは羊のように毛深く、ヤコブは全く無毛だったことが記されている。また性格的にも全く反比例のようで、エサウは日頃から野山で獣を追っていて、粗野な性格だったのに比して、ヤコブは天幕の近くにいつもいるような子だった。その二人が「長子」の特権を巡って争う、というか、ヤコブの方が長子の特権にこだわり、エサウからそれを奪おうと企んでいたのだが、果たして二人は本当に双子だったのだろうか。これだけの違いが見られるならば、二人は年子か、あるいは何歳も離れた兄弟ではなかろうか。そしてイサクがエサウを溺愛し、またリベカがヤコブを「異常なまでに」溺愛するというのは、そこに隠されたなにかがあるのではないか。それを明らかにするのが次の資料である。

 ヨベル書22アブラハムの臨終の場面で、「彼(アブラハム)はヤコブを呼び寄せて言った『わが子ヤコブよ、近寄ってわたしに接吻しておくれ、お前は私の言葉を肝に銘じ、お前の父アブラハムの命令を守れ。わが子ヤコブよ。アブラハムの子よ。』ヤコブが眠りから覚めるとアブラハムは氷のように冷たくなっていた。ヤコブは叫んだ『父さん、父さん』ここでははっきりと、ヤコブがアブラハムの子供とされている。つまりアブラハムは息子の嫁のリベカと密通し、子を設けたのだろう。それはイサクが自分の子ではなく、そのまま子孫を拡大し続けることに抵抗があったのと、リベカを嫁に選んだのはアブラハムの権限だったことから、そこでエサウを産んだリベカに、今度はアブラハムのために子を為すことを求めたのではないか。リベカがイサクの方針に逆らい、異常なまでにヤコブへの長子相続権を後押ししたのには、このアブラハムの子孫への禅譲という要求に賛同したからではなかろうか。

 イサクはその妻リベカ以外には、他に女を持たなかったが、遊牧の首長としては潔癖すぎるほど、律儀だ。一方、アブラハムもヤコブも、妻妾を同居させ、数多くの女に子を産ませている。イサクと、父アブラハムならびに子ヤコブとを対比すると、そうした性向は全く対照的である。こうしたことを総合すると、イサクはアブラハムの子ではなく、アブラハムの本当の子はイサクを通り越してヤコブに繋がるのではないか。

 ● アブラハムに限らず、イスラエルの歴代族長には大変な長命が多い。アダムの930歳やノアの950歳は論外としても、アブラハムの175歳やヤコブの147歳など、神に祝福されたとはいえ、こうした古代社会での長命は常識的には理解できないものがある。これは後代の書家が、先祖の偉大さを印象付けるために、年齢を割り増ししたということだろうか。しかし勝手に年齢を書き換えるというのは、小説ならまだしも、こうした民族の記録を「適当に書き換える」といった接し方は普通しないものだ。

 そこで考えられることとして、乳製品を中心とした食生活と遊牧生活をしている族長たちだから、それは人間にとってベストな環境になるのか、現在でもコーカサス地方の村落では長命者が多いのは事実だ。さらに、こうした長命者の子孫は時代を下がる毎に、短命になってくる。ということは、先祖の時代には、より長命になれる環境が存在していた可能性もある。例えば、酸素の濃度がより濃密であったとか、水が近現代よりも「純粋」であったとか、もちろんなんの裏づけもないのだが、そういう可能性もあるのかもしれない。だがこれでは空想の域を出ないことになる。

 それよりも、もう一つの可能性としては、年齢の数え方に、違いがあったのではなかろうか。「古代ユダヤ暦法は1年を12ヶ月とし、各月の始まりは繊月を初めて見た日の夕方午後6時に始まる。・・年は春の月であるニサン、あるいは秋の月のチシュリに始まるものの2通りがある。この古代経験的暦法は、多分4世紀まで使われた。ちなみに創生(記)紀元は紀元前3761107日から始まる。」(「暦入門」渡邊敏夫・雄山閣)
 こうした数え方からすると、春と秋の二つでそれぞれ一歳を積み上げて、1年で2歳年が進む、ということもあったのではないか。古代倭人にも2倍暦があった(春と秋にそれぞれ1歳を加える)とする説もある。(「日韓がタブーにする半島の歴史」室谷克実・新潮新書)
 そうすると、アブラハムやその妻サラにまつわる物語が、より理解しやすいものとなるのである。つまりアブラハムが神によりカナンへ行くことを命じられたのが、75歳ではなく38歳、エジプトでサラが宮廷へ召しだされたのが、65歳ではなく32歳、アブラハムとサラにイサクが生まれたのが、アブラハムの100歳ではなく50歳で、サラは10歳下の40歳、そしてアブラハムの死亡が175歳ではなく87歳だとすると、年齢的にはすこぶる、みな納得のいく適齢になるのである。

 だがこうして年齢を1/2にしてゆくと、ヤコブからヨセフを経てモーセに繋がる歴史がすべて短縮され、再検討を必要としてしまうこととなる。すなわちエジプトでの苦難の時代が、430年とあるのは215年となるのだ。判断に苦しむところである。 ● 



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