ノアの息子のセムから続く系図は次のようである。〈表示年はアダムが生まれた年から数えた暦〉
   Jセム(1556-2158)享年602    Kアルパクサデ(1658-2096)享年438     Lシラ(1693-2126)享年433  Mエベル(1723-2187)享年464      
    Nペレグ(1757-1996) 享年239       Oリウ(1787-2026) 享年239
     Pセレグ(1819-2049)享年230         Qナホル(1849-1997)享年148      
    Rテラ(1878-2083)享年205
     
   以下アブラハムが登場する時代
    Sアブラム(1948-2123)享年175      
 (21)イサク(2048-2228)享年180       ( 23)ヤコブ(2089-2236享年147   ◎ヨセフ(2150?-2260?享年110

● 参考: 2300に繁栄を迎えた北シリアの「エブラ」では、シュメール語と西セム語最古のエブラ語で書かれた粘土板が、王宮跡から発見された。その中には、アブラムやイスラエル、   アダム、エルサレムなどの言葉が見つかっており、また神々の名前の最後には、エルのほかにYaが使われているのもあり、ヤハウェの最初ではないか、との説もある。またアブラムの   出身がウルとされているが、メソポタミアの他に、このエブラ近郊にもウルが存在していた。●

  アブラムが生まれたときには、9代の先祖の全員が生きていて、ノアもまだ生きているが、これはどういう系図だろうか。大きな計算間違いなのか、それとも意図的に没年を変えているのか、あるいは事実だったのか。もし事実だとすれば、ノアから順に生存年数が減少し始めて、ナホルあたりで148歳だから、この辺なら理解も可能だろう。それにしても、これだけみな長命だったのはなぜなのだろうか。

  さて、この時代に歴史上有名な、バベルの塔事件が起きる。
人類の最初の王・権力者は、ハムの孫のニムロデであった。彼の最初の国はシナル(シュメール?)にあるバベルやエレクなどだったが、人々はその地に移り住んで、石の代わりに「焼きレンガ」、しっくいの代わりにアスファルトを使って、天に届く塔を建てた。主なる神は下ってきて、「同じ言葉、同じ民が、すでにこのことをし始めた」ので、「われわれは下っていって、言葉が通じないようにしよう」とした。主なる神々にとって、そうした建設のどこが不都合なのか。なぜ人間の発展・進歩を止めようとするのだろうか。


 こうしたことがあったのちに、アブラムの登場となる。アブラムはメソポタミアのウルの出身。(一説には北シリアのウルともいう)父と一緒にカナンの地へ行こうと旅立ち、途中ハランに着いたところで父は死んだので、そこでしばらく住んでいた。アブラムが75歳(2023)のときのある日、初めて、主なる神がアブラムに現れ、「親族と別れ、カナンへ行け、そこをあなたに与え、大いなる国民としよう。」と告げた。しかしカナンに来て見ると、人が大勢定着していて、アブラムの居場所はなく、イスラエル南部のネゲブまで下った。

 このハランからベエルシェバまではおよそ1,000km、遊牧の民が羊や牛を連れて、旅をするにも随分の距離になる。もともと天幕で旅をするのが身についているのだろうが、受け入れの親戚もなく、よく決断ができたものである。このアブラムの時代は紀元前2000年頃の中東を背景にしている。エジプトの「シヌヘの物語」は前1900年頃の中東での放浪譚だが、そこにも遊牧民の族長が登場し、地域の王たちと戦っている。

 考古学的にみると、南レヴァント(カナン)地区には、前33002300頃と、前20001550頃に、都市化の波が訪れ、その後の時代を中期青銅器時代U期と区分している。その時代は最盛期にはエジプトをも支配下に置いた。アブラムからイサク・ヤコブに至る物語も、この時代を背景としたものではないか、と見られる。エジプトでのヒクソス支配は前16501550のようだ。ヒクソスはセム系の人々で、エジプト側の資料でも脅威とされたことが分かる。この支配は、エジプト新王国(第18王朝)の創始者イアフメスが、ヒクソスをシャルヘン(南レヴァントのテル・エル・アジュール)に追放するまで続いた。そのときの都はアヴァリス(現テル・エル・ダバの発掘現場)で、ここにはセム系の奴隷がいたことは判明しており、後にラメセスが再建し、都となって、ラメセスと呼ばれた。


 また、アブラムは、ハラン経由でカナンに入ったが、ハラン周囲の地名に親族の名と同じものが多数ある。P代セレグ、R代テラの名は、新アッシリア時代の、Q代ナホルは古アッシリア・古バビロニア時代の文書から、ハブール川沿いのハランの東に地名として存在していた。さらにアブラムの名も、古アッシリア時代の文書に、この地方の地名として登場する。聖書はこの地方を「アラム・ナハライム」と呼んでいるが、アラムはイスラエルの敵であり、それが前2000年紀前半のこの地方はアモリ人のものだったので、そこからこの地名の基となる一族の伝承は、その時代のものだと、推測できる。アモリ人は遊牧的・部族的で、言語はへブルなどと同じ北西セム語だった。また、アモリ人の習俗とイスラエルの習慣には共通するものが多い。さらに、族長時代の名前にはエルのついたものが多い(イシマエル・イスラエルなど)が、これはシュメールの神名である。(図説・聖書考古学旧約編・杉本智俊)

 このアブラムが生存していた時代は、およそ紀元前2000年頃と推測されている。その頃の歴史的な状況を俯瞰してみたい。前21001740年の間、ウルの市民たちは、繁栄した都市の中で、きわめて高い水準の生活を享受していた。だが、ウルの北西に当たる地方では、定住地をもたず、遊牧をしながら、生の肉を食べ、死者をきちんと埋葬しない人々がいた。それらはウルの人から見ると、人間とはいえない者たちであって、それをアモリ人と呼んでいた。その連中が大勢でウルへ押しかけてきたので、ウルの王はバビロニアを横断する壁を建設して防いだ。やがてもっと多くのアモリ人が来て、壁を越えて侵略して、前2000年頃にはウルの支配を終わらせた。このアモリ人たちはウルなどの都会に住み着き、都市生活者となっていった。こうした家系のひとりがハムラビ法典で後世に残る有名なハムラビ王である。アブラムと彼の家族の名前は、非常にアモリ人的で、アブラムの生涯が前2000年頃かその前後であることを指している。

 おそらくハランあたりを出身とするこうしたアモリ人は、遊牧生活者のため、都市定住者(農耕生活者)に対する敵愾心が旺盛で、その機動力を生かして、近隣を常に脅かしていたのではないか。
 
 「神を自分たちの支配者と認めるのは遊牧民族だけであり、都市の住民や農民は人間を支配者に仕立てた。遊牧民族が都市や農村の周辺に群がって、その居住者が土地を所有することに反対し、これらの人に害意を抱き、彼らからも嫌われていたときには、双方の間に絶えず戦いが起きた。(イマヌエル・カント)」

 さて、ウルかあるいはハランで、アブラムになにか問題が起き、彼は故郷を捨てて、家族と共に南下を始めたのである。このへんのいきさつについては、ヨベル書の記述がより事実に近いのではないだろうか。
 アブラムとヤハウェの神との出会いから、民族神としてのヤハウェの立場が確立するまでの出会いについては次のとおりである。
 
 ヨベル書12.アブラムがウルに住んでいたとき、周りの人々が偶像崇拝していたので、彼はそれを止めさせるために偶像の祠を焼いたことから、民に追われることになり、逃れてハランにたどり着いた。ある年の7月、その年の雨がいつ降るのかを知るために、アブラムは夕暮れから明け方まで、星を観察しようと夜明かしした。すると彼の心に働きかける声があったので、彼は、『わが神よ、私の神はあなただけです。わたしはあなたとあなたの主権を選びます。』と無条件の帰依を願い出た。するとヤハウェの言葉が彼に送られた。『さあ、君の土地、一族のもと、父の家を出て、私が示す土地に行くが良い。わたしはきみを大民族にしてやろう。わたしは君の子らの、すべての子孫の神となる。これよりのちわたしはきみの神である。』、それから6ヶ月の間、神の使いがアブラムに、先祖たちから伝わる書物の内容を書き写させ、その内容をぜんぶ教えた。」とある。

 ここで、ヤハウェとアブラムの契約が結ばれた。ノアのときにも間接的に触れられたものが、今回はより明快にヤハウェの条件が示されている。すなわち、アブラムとその子孫に、繁栄を約束しよう。その代わりに、わたしを子々孫々まで、神として崇めよ、ということなのだ。

 イエスキリストが荒野で修行をしていたときに、悪魔が、私に帰依すれば世界をあなたに与えよう、と申し出る話と基本的な構図は一緒なのである。15世紀のドイツの文学者ゲーテの「ファウスト」には、悪魔メフイストフェレスがファウストに、あの世では悪魔に魂を売り渡すことと引き換えに、この世では栄耀栄華を与えよう、という契約を持ちかけて来るが、それと全く同じシュチエーションではなかろうか。自分に臣従(隷属)することを条件に、繁栄と栄華を持ちかける霊体というのは、常識的には「神」でも「仏」でもなく、悪霊か悪魔のたぐいである。しかもアブラハムの場合は、この霊体は皆が寝静まった深夜に、姿も見せずに、ひそかに話しかけて来ているのだ。こうまでして秘密裏に、働きかけてくるというのは、表向きは姿を現すことができない事情があり、また何者にも見られてはならない事情があるのだろう。

 こうしてアブラムはヤハウェと契約を結んだ。そして喜び勇んで、親族や家畜類を連れて遥か1千キロ近い旅路を辿って、約束の地であるカナンへ南下したのである。ところがカナンにたどり着いてみると、そこには人が大勢住み着いていて、とてもアブラムたちが自由に遊牧し、永住できるようなスペースはなかった。そこでしかたなく最南部のほとんど砂漠に近い荒野のネゲブに寄宿するはめになった。それでは、ヤハウェのあの「私の示す土地に行きなさい」という台詞はなんだったのだろう。ただ正確に読むと、この「カナンの土地をあなたに与える」、とは言っていない。「あなたの子孫にこの土地を与えます。」といっている。それも数百年後に、地域住民を皆殺しにした上で切り取れ、ということなのだ。信長でもさすがにここまでの大魔王にはなれないだろう。

 また、この12章の7に「時に主はアブラハムに現われて言った『私はあなたの子孫にこの地を与えます。』」という言葉があるが、この「現われる」という言葉は、ヘブライ原語では「見られた」が正しい意味だという。(「神の消失」リチャード・E・フリードマン)即ち、この神は極端に顔を見られることを恐れており、アブラハムにも顔を見られてしまったということだ。
 「その日には私は彼らに向かって怒りを発し、彼らを捨て、私の顔を隠すゆえに、彼らは滅ぼしつくされ、多くの災いと悩みが彼らに臨むであろう。」(申命31-17
 「私は私の顔を彼らに隠そう。私は彼らの終わりがどうなるかを見よう。」(申命32-20



エジプトまで流浪し、妻サラをもエジプト国王へ差し出すアブラム


 このカナンの土地で飢饉が発生したので、アブラム一族は食料を求めてエジプトへ下った。その際に、他国人が妻サラの美しさを聞いて、アブラムを殺して奪いさろうとすることを恐れて、アブラムはサラに「兄妹」だと言うように言い含めた。案の定、王宮から妻を差し出すように言ってきた。そこでアブラムはサラを提供し、その代償に多くの羊や牛やラクダ、男女の奴隷などのひと財産を得ることができた。しかしファラオの家に激しい疫病が充満したので、ファラオはその原因を調べると、サラには夫がありファラオのしたことは不道徳にあたることから神の怒りに触れたことが分かったので、ファラオはアブラムを召しだし、なぜ騙したのかと責めた。アブラムは稚拙な言い訳をするのだが、ファラオはアブラムの一族を追放することにした。


 歴史的にみると、エジプトでは前2060年前後に第11王朝のメンチュヘテプ2世が全土を再統一して、50年統治した。その息子メンチュヘテプ3世は高齢のため在位12年、そのあとメンチュヘテプ4世が6年在位し、その後宰相のアメンエムハトが王位を奪って、前1991年に第12王朝を開き、30年君臨した。その治世24年にはエジプト北東境界ガザ回廊に出没するアジア系の「砂漠の住民」に対して、遠征をおこなった、とある。その息子センウセレト1世は前19621926年に在位し、主に南方への遠征をおこなった。さらに3代目のアメンエムハト2世は、前19291895年の34年間統治したが、紅海遠征、プント国遠征、さらに南レバント地域との贈り物の交換などの記録が残っている。資料にレバント人の名前が目立って増加したのもこの頃で、おそらく各家庭で召使いとして働きに来た人々だろう。とすれば、この時代のどこかに、アブラムのエジプト下りがあったのではないだろうか。

 このときのアブラムは少なくとも75歳以上で、妻のサライは10歳下の65歳以上である。そのサライが「たいそう美しい人である」と見初められて、王宮に妾待遇で呼ばれた、というのはどうもおかしい。話の成り行きからすると、時代を大きく間違えているか、または年齢の換算が違うのではないか。年齢の算出が違うというのは、例えば、1年を二つに換算し、前の年と後ろの年といった数え方があった、とすれば、サライは半分の32歳位で、話に不自然はない。とすると聖書に出てくる年齢は、すべて半分に読み替えることになるが、そんな数え方は聞いたことがない。これについてはさらに研究したい。

 いずれにしろ、妻を詐欺のように提供してひと財産を得るというのは、道徳的にほめられたものではない。かなり卑劣な行為であり、身勝手きわまりない。ところが「主は激しい疫病をファラオとその家族に下した。」とあるが、これは逆ではないか。不義があったのはアブラムの方で、罰せられるべきはアブラムではないか。しかし「主」なるものの裁きはエジプトの王に向かっていく。このヤハウェの視点はすべて、アブラムの擁護に立っていて、正義も道理もあったものではないようだ。

●  「紀元前2000年前後、東方からの侵入者たちによって、エジプト社会は非常な混乱を巻き起こす。考古学者は、ウガリト・ビブロス・メギド・エリコ・旧ガザといった古代オリエントの町々が、ある期間に亘って完全に姿を消すのを確認している。これはすさまじい掠奪が起こり、町が捨てられたためだと思われる。侵入者たちは西セム系の言葉を話していた。ヘブライ語もそのひとつで、その中にはハビルあるいはハピルと呼ばれる特定のグループがいた。・・その集団には頭領がいて、数千の家来を引き連れて、傭兵となったり、相当の富を蓄えた商人になったり、時には町に攻撃を仕掛けたりした。アブラムは新たにやってきたハビル移住集団の一つの指導者だった。その勢力は「訓練された、彼の家で産まれた者318人」の記述からすると、かなりのものだった。エジプトという当時最強の国家と渡り合い、相手を欺くこともいとわなかった。妻サライをたびたび妹だと偽ったのは、その例である。」(「ユダヤ人の歴史」ポール・ジョンソン)  ●

 それにしても善良なファラオである。美しい旅の女性を見付けて後宮に入れて、その兄には充分な御礼を贈り、しかもそれがその兄の妻だったことが判明しても罰することもせずに、贈り物と一緒に立ち去らせるのである。このときのファラオは誰だろうか。
  
 さて、こうしてアブラムは「妻を差し出して」ひと財産を蓄え、その相手のファラオには得体の知れない疫病を与えることで、妻を取り返して、カナンへの路をたどることとなった。自分たちの利益のためにはどんな卑劣なことも辞さないこうしたやり方は、まさに問題のハビルの行動だ。寛大なファラオと対比するとなおさら、アブラムの卑劣な行為が浮き彫りになる。エジプトのファラオを相手にここまで立ち回れる胆力が、アブラムにあったのだろう。その行為を支援する背景には、アブラムについてまわるヤハウェの存在が間違いなく存在するようだ。ファラオの家に疫病を下したのは、このヤハウェだと聖書には書かれている。

 そうすると、ヤハウェが、こうした卑劣な詐欺行為を主導しているということになる。いったい詐欺行為を応援するような「万能の神」など、この世にいるわけがないことは、童子でも分かることだ。こうした悪意をなす霊体がいるとすれば、これは明らかに神などではなく、悪霊のたぐいに間違いがない。こうして「神」と呼ばせて、崇めさせて、その代償に便宜を与えてゆく、そして見渡す限りの麗しい土地を、そこには大勢の人が住んでいるにもかかわらず、しかもヤハウェ自身の土地でもないものを、いきなりそこをアブラムにやろうと言い、住民を虐殺させて、ジェノサイドさせながら、侵略させて行くことになる。そのとき、このヤハウェなるものの正体がはっきりしてくるのである。

 アブラムが卑劣漢であろうと、なんだろうと、とにかくアブラムと「契約」した以上は、とことんまでアブラムの利益になるように、力になってくれる「主」なるヤハウェ。ではどうして、このヤハウェはそこまでアブラムに肩入れするのだろうか。その理由は、ノアの時代よりこのかた、誰もこのヤハウェつまり「主」なるものを「呼び出さなかった」のだが、アブラムは366年目にして始めて、夜中にこの「主」を呼び出したことにあるのではないか。ランプの精のジーニーが、アラジンの願い事を叶えてくれるアラビアンナイトそのままに、アブラムは「砂漠の精なる『主』」を呼び出したということなのだろう。
 
 またもう一つの見方として、「供犠」が関係しているのではないか、と推測される。この「主」のために祭壇を築き、そこで獣を捌き、その肉を焼いて捧げる儀式である。「主」がその肉を食するのかどうかは、後ほど解説するとして、少なくともその臭いを嗅いで、その香りに魅せられるのは明らかである。その祭壇を、忘れずに、時に応じて設営してくれることが、この「主」にとっては、何よりもうれしいことなのだ。それが食料となるのかどうかは未だ判別しないものの、その供犠がこの「主」にとっては、なんらかのエネルギーの基となっているのではあるまいか。そうした背景を考えて、次の15章を見てみよう。


 アブラムは幻を見た。「主」の言葉が聞こえて、『あなたの子孫は全天の星のように増えるでしょう。』と言い、『このカナンの地をあなたに与え、これを継がせよう。』と言った。そしてその言葉に間違いがないことを証明するために、目に見えるように、犠牲の家畜を祭壇に二つに裂かせて置かせた。そして日が沈んで、暗闇になったときに、「煙の立つかまど、炎の出るたいまつ」が犠牲の間を、通り過ぎた。それが「主」なる神の契約のしるしだった、という。

 こうして「主」なるものは、犠牲の捧げものを好み、今回は夜の暗闇に紛れて、アブラムたちに見られることがないように、強力な煙と炎が立ち上がるバーナーのようなものを持ってきて、犠牲を焼いて廻ったのである。どうしてこの「主」なるものは、こんなにみじめったらしいことをするのだろうか。夜の真っ暗闇の中でしか動けない、人に見られてはいけない、犠牲の肉を焼く程度のことが契約だというのは、どういうことだろうか。ただ、当時の資料から見ると、契約や誓約の締結を、動物の犠牲でもって保証するという習慣が、広く行われていたのは確かなので、それを人間と神との間の契約保証書としたのだろう。

 だが、宇宙の主で、万軍の主で、唯一の神ならば、もっと公明正大に、真昼間の天空に、誰でもが見上げる中で、アブラムを呼んで、自らの姿を現して、堂々と天命を伝え、犠牲の動物を焼いて誓約を遂げ、そしてカナンの住民を他所へ移動させて、無人となったカナンを指して、アブラムにさあこの土地をあなたに与えよう、ということが出来ないものだろうか。そうした力もなく、ただ暗闇で人に見られないように、こそこそと、人間との取引に終始するだけの存在なのを見ると、この「主」なるものが神などではなく、暗黒に潜む「悪霊」の一員であることが、ますます明らかになってきたのではないか。

 次の16章では、妾の物語が出てくる。アブラムの妻サラは子を生まなかったので、サラは召使いのハガルをアブラムに与えた。
 (:1933年、A・パロはシリアとイラクの国境に近いユフラテ川沿いの古代都市マリの遺跡から、2万点に上る文書を蔵する書庫を発見した。続いてフリ人の町ヌズイで出土した粘土板文書を解読した。このヌズイ文書は紀元前16世紀頃のものだが、この中に、子供を授からない妻が侍女を差し出すという、聖書にそっくりなものがあった。これは当時の北シリア地域における一般的な風習だったことを裏付けることから、この聖書の記述は事実を元にしている、と推定できることになる。:)
 
 そこでハガルは身ごもったが、それを得意げに、女主人のサラに対して無礼な振る舞いを始めたので、アブラムはサラの要望によりハガルを荒野へ追放した。すると、荒野で難儀するハガルのもとへ、「主の使い」というものが現われ、主人のアブラムのもとへ戻るようにと奨め、「生まれる子供は将来数え切れないほどの子孫をつくることと、その子はすべての人に逆らい、すべての人が彼に逆らって、敵となるであろう」、と伝える。身ごもった子供が将来苦難の人生を歩むだろう、というご宣託だ。

 「主」なるものが悪霊の親玉ならば、この使いなるものは悪霊の手下なのだろう。実に凄まじい、呪いの予言を、荒野で難儀しているハガルのもとへ現われて、わざわざダメージになる言葉を伝えにやって来るというのは、どういう神経か。親玉にしても手下にしても、この連中は「人間らしいやさしさ」や「思いやり」といった慈愛の精神は全く見られず、「取引」と「人間そのものに対する冷淡さ」が押し出されてくるのだ。それが段々と拡大されてくるのだが、これからは随所にそれが見られることになる。

割礼が条件だと、今頃になってヤハウェはチップを吊り上げてくる

 アブラムが99歳になったとき、「主」が5回目の出現をした。そして「主」は、『わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立て、 永遠の契約となし、あなたと後の子孫との神となるであろう。そしてカナンの全地を永久の所有として与える。』『あなたと子孫は代々わたしの契約を守らなければならない。あなたがたの男子はみな割礼を受けなければならない。それが契約のしるしとなるであろう。』と告げた。

 さて、この5回目の出現において初めてヤハウェが、夢や幻覚でのお告げではなく、実際に姿を現したようである。アブラムは  ひれ伏して拝聴し、神が語り終わると、「神はアブラムを離れて、のぼられた。」とある。
 
 ここからアブラムは、神によりアブラハムと名乗るように言われた。


 またこの後続いて18章では、天幕の入口に座っていたアブラハムが目を上げると、「3人の人が彼に向かって立っていた。」そ こでアブラハムは彼らを迎え、地に身をかがめて言葉をかけ、急いで食事を用意させると彼らに給仕した。彼らの目的は、ソドムと ゴモラの実態を視察し、場合によってはそこを全滅させることだったので、アブラハムは「あなたは正しい者と悪い者を一緒に滅ぼすのですか?」と問いかけ、「全地を裁くものは公儀を行うべきではありませんか。」と疑問を呈した。そこで神は「・・もしそこに正 しいものが10人いたら、そのもののために滅ぼさないであろう。」と釈明した。しかし神はロトの家族を救い出したものの、結果的に この約束を反故にして、ソドムを全滅させた。なぜならソドムには大勢の「悪に染まらない」子供たちがいたはずである。神はこうし子供たちは、シゲにもかけず、数にもいれなかったのである。

 さてこの1718章にはいくつもの重大な疑問点が見られる。その第一は「割礼」である。神は子孫の民と契約を立てる証しとして、子孫に「割礼」することを義務づけた。なぜ人間の体の一部を傷つけることを、条件としたのだろうか。もともと人間は神の似姿として創造されたので、それはすなわち完璧な姿ではなかろうか。もしその一部を切り取ることが正しいのであれば、創造の業自体が失敗だった、ということではあるまいか。ただしこれが創造した神からの申し出ではなく、敵対する悪魔からの申し出であれば、神の創造の業を、冒涜する行為としてこれをさせるというのは、理解できよう。そうするとここからも、これを条件とするという相手が神なのか、悪魔なのか、おのずと明らかになってくることになる。

 それでこの「割礼」だが、当時世界的に眺めると、こうした風習をもっていた民族はほかにはエジプト人やエチオピア人があげられるという。アブラハムはメソポタミアのウルの出身だったので、そこには割礼という風習はなかった。ここでいきなり、子孫を保護する代わりに、男子は全員割礼を施せ、という命令はいかなる理由に基づくものだろうか。しかもそれはエジプトの風習なのだとすると、なぜ他国のものを取り入れたのだろうか。
 「他国民は、−エジプト人の風習を学んだものは別であるがー、陰部を生まれついたままにしておくが、エジプト人は包皮を切り取る。陰部に割礼を施すのも清潔のためで、体裁よりも清潔を重んずるのである。」(ヘロドトス「歴史」巻2)


 割礼のメリットとしては「性器の衛生上に(多少?)良い」「快感が減少するので性道徳上効果的で、淫乱になりにくい」といったあたりである。だがデメリットとしては、その効果とは比較にならない危険性があった。「粗雑な機具で施術するので失敗がある。」現代でも陰茎を損傷し、悲劇的事件を起こした例もある。(Wikipedia参照) 

 それではこうしたことも踏まえると、ヤハウェはどうして「割礼」を要求したのだろうか。しかもアブラハムは当時99歳だったという。もう余命もすくない者に、そこまで手術をしなければならない理由があろうか。
 もし理由があるとすれば、カナンに住む住民には、バール神を信仰して参拝する際に、神殿娼婦や男娼などとの卑猥な遊びをするのが習いだったために、そうした民族との道徳的一線を身体に染み込ませて置こう、ということか。あるいは後世、創世記を書き下ろす際に、エジプト出身のモーセが「割礼」をイスラエル人に持込み、その権威付けとして祖先のアブラハムからそれが始まったという歴史を作り上げた、ということだろうか。とはいっても、出エジプトに参加したイスラエルの民の男子は、すべて割礼をしていたが、モーセ自身は割礼をしていなかった。これはモーセがエジプト人だったという説に繋がりにくい話だが、やはりこの割礼はイスラエルの民の、アブラハムの時代からの風習なのだろうか。

 このアブラハムの時代に始めて「割礼」が、ヤハウェの命令により取り入れられたとするならば、その理由とは、やはり身体の中にヤハウェとの契約とヤハウェの存在を忘れないように、刻み込ませたということだろう。

  その場合のヤハウェの意図は、生まれて来る人間を、自分の勢力化にある者として支配権を明確にするために、導入させたに違いない。数多い人類の民族が興亡する中で、この民族だけは「私のもの」にしておきたいという、こうした支配欲を持つというのは、どういうことだろうか。やはりここには、人間の集団に対してその生活や行動に介入したいという、根強い欲望が根底にあるのではないだろうか。

 さて、ここでの大きな疑問点の第2は、姿を現したヤハウェなるものの実像である。ヤハウェは、夢の中や幻覚ではなく、天幕の入口に座っている老人・アブラハムの前に、いつのまにか佇んでいて、じっと老人を見ていた。そして老人の申し出を受けて、パンや牛肉、牛乳の食事に手を出して食べ、離れたところにいたサラの心のうちを読み取った。また食事後は立ち上がって、ソドムのほうに歩き出し、アブラハムと立ち話をすると、分かれて去って行った。アブラハムによる、この「主」なるものの、姿かたちについての記述は、ヒントも含めて全くない。これだけ詳細に記録を続けている中で、主人公の「主」なるものが、二人の手下を連れて現われたとなれば、自分と子孫の偉大な神を、その素晴らしい「お姿」を書き残そうとするのは必然ではないか。それがなんの記述もなく、実にそっけない。また、サラは遠くからそれを見つめ、自分のことに話しが及ぶと、せせら笑っている。こうしたことから推定すると、この「主」なる神の姿は次のようではあるまいか。

     一目見て、「主」だと分かる特異なところがあるが、一応、人間のすがたをしている。
     人間のように、食事をし、歩き、怒る。
     「み使い」も「主」も姿に変わりはなく、さらに「主」もその言葉の中に「主」という言葉を使っている。

 主はアブラハムに言われた「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を生むことができようかと言って笑ったのか。主にとって不可能なことがありましょうか、・・」
 ということは、つまり金太郎飴のように、存在している「主なる神」も「み使い」も、すべて「主であり、み使い」である、ということだ。こうした場合、「主なる神」というのは、彼らみ使  いにとっての「我々集団の総意」という存在であり、み使いひとりづつは個別的存在ではなく、その「総意」によって動かされるロボットのようなものではあるまいか。

   アブラハムはヤハウェを見慣れているのだろうが、サラは天幕の中にいて、この3人をもてなすために出てこない。これは遠慮するといったものではなく、気持ち悪くて近寄   らないためではないのか。その「主」の話をせせら笑ったのは、「言っている話の中身と、その神たちの姿かたちが不釣合いだから、つい笑いがこみ上げた。」ということだろう   。
 
     アブラハムが「主」に向かって、虐殺を止めさせようと説得する言い方は、至高の者に対するよりも、「言葉は尊敬語なれど、目下に対するような気迫」が感ぜられる。すな    わち、相手は、アブラハムよりも「小さくて」「貧弱な存在」だったので 、アブラハムとしても対等以上に話せたのではあるまいか。

 そうしたことを総合してヤハウェたちの姿を想像すると、この「主」なるヤハウェは、

 @ 比較的小さな、ヒューマノイド型で、人間と同じような姿をしている。食事もでき、顔の造作も、ほとんど人間と同じようなものである。(ただし、常時その姿とは限らない。
   これはたまたま人間の前に出現するために選んだものかもしれない)

 A テレパシー能力があり、手を差し伸べて何らかの霊力(人の目をくらますなど)を投げることができた。
  B ヤハウェとその仲間たちには、形態上の大きな違いはなく、ほとんど金太郎飴のようなものだった。
  
 ひとりひとりに名前はなくて、個性もなさそうだ。また、ヤハウェ自身は「主にとって不可能はない」という言い方をするが、本来なら「私にとって不可能はない」ではないのか。そうでないということは、このヤハウェはダミーであり、伝言者である。本来のヤハウェというのは、別にいるのだろう。ただし、それは個体の形態をもっているのだろうか。ひょっとすると、ヤハウェというのは彼らの「連合集団意識」ではないのだろうか。

              6章. アブラムが夜中にヤハウェを呼び出した

















































































































































































































































































      










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