北陸鉄道唯一の非電化路線で、中能登の中心羽咋市から半島の西側を通って輪島まで延長するという壮大な計画の下に誕生した鉄道だそうです。
 しかし、25.5キロ先の三明迄で早くも計画は頓挫。せめて富来町まで。三明止まりはあまりにも中途半端でした。
 しかしこの路線も夏の海水浴シーズンには国鉄のC58が牽く金沢からの直通列車「はまかぜ号」が柴垣まで運転され、それはそれは賑やかでした。

昭和47年6月25日営業廃止

三明駅跡にある記念碑(平成19年4月1日)


羽咋駅の4連

 故西尾博保氏より懐かしい写真の提供をいただきました。
撮影年月は不明ですが駅員の姿では夏ですね。海水浴客のためでしょうか4連とはすごいですね。
キハ5201の他はわかりませんが一番向こうはキハ5102ではないでしょうか。


冬の昼下がり

昭和43年11月 羽咋

国鉄からやって来たキハ5251。当線では一番の大型で走りっぷりも貫禄がありました。


堂々としています。


七尾線の車窓から

キハ5001は機関を降ろし付随車になっています。
昭和41年




大好きなDC30の牽く能登線の貨物列車をイメージして作りました。
機関車はアダチのキット組立、貨車はエコーです。


                                                           

発車前のひととき

DC301+コハ5301 この当時はまだキハではなくサハでした。この写真は兄が撮影したもので昭和28年〜31年だと思います。

当線唯一の機関車 DC30

この頃にはすでに貨物輸送はありませんでしたが、除雪用として残っていました。貨物輸送がある頃には三明駅から木材を積んだ貨車を数量牽いてロッドを忙しくカシャカシャと回しながらDC301と共に頑張っていました。



ホームの端で一服のキハ5201

キハ5201は1形式1両で羽咋寄りにだけ荷台がありました。(昭和44年 本多勝哉氏撮影)


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臨時列車「はまかぜ号」のりば


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