I 巨大な悲劇が襲い掛かってきた、その正体は?
@ セトは、兄のオシリスを姦計で殺害した張本人ですが、神話では、「セトは全世界の大地と海を災いで満たした、5−6角形はセトに属する」(エウドクス)
「セトは赤ら顔で肌の色はロバに似て、声はラッパの音、そこでエジプト人はセトに赤い牛を奉げる。」(プルタルコス)
「セトの骨は鉄でできているとされた、それは神秘的な性質なので、天の金属と呼ばれた。」
「セトは轟音とともに、母親のわき腹を突き破って、飛び出して生まれた。」(プルタルコス)
そしてこのセトの出現が、オシリスの死を招きました。
「天のナイル川が溢れ、その水が大洪水となって地上に落下してきた。それは雨ではなく滝だった。そのとき地上にいた神はオシリスひとりだった。−我は洪水の中より出現せり、この洪水を氾濫せしめたるは我なり。−オシリスはこう宣言した。」
そのあとは、オシリスを助けようとする、イシスたちの活躍になります。
「ただちにイシスとネフテイスを呼ばねばならぬ、オシリスが自らの水に溺れてしまった。ホルスがイシスとネフテイスに言う、『急ぎなさい、父上をつかまえるのです。』イシスとネフテイスは言う『今行きます、あなたを救いに』しかし、イシスたちは河口の近くで、死亡したオシリスを発見したのでした。」
A この話は、何を顕しているのでしょうか。一連の流れを見ると、このセトのエピソードは、「普通の人間」が巻き起こしたものではなく、人間集団や権力者の行為でもない、何か自然現象を表しているような表現です。火山活動なのか、地震や洪水なのかといえば、そうでもなさそうです。とてもダイナミックな、自然災害のようなものです。ここから想像できるものは、空からの天災なので、その中身は小惑星か大隕石の、地上への衝突ではないでしょうか。
「セトはそもそもヒヤデス星団に、結び付けられていた。おうし座の頭の部分に相当する、V字型の星団である。オシリスの弟らしく、彼は空でもオリオンのすぐ近くに、位置していた。」(ジェーン・セラーズ「古代エジプトの神々の死」)
こうしてセトは、おうし座流星群からやってきた、小惑星の元凶として、おうし座の赤い目であるアルデバランに象徴されて、民衆の記憶に、永く伝えられてきたのではないでしょうか。
B それではこの時代に、そうした小惑星などが衝突した痕跡が、今でもあるのでしょうか。それに該当する可能性のあるものに、前4400年頃に南アラビアのワバーに落下して、91Mのクレーター痕を残した、小惑星の衝突が挙げられます。これは直径10mぐらいの小惑星ですが、衝撃力はおよそ100kトンくらい(広島型原爆の5個分)で、衝撃力はそんなに大きくはないと見られます。(金子史朗「巨大隕石が降る」)
他方、今でも謎とされている、1908年のツングース爆発は、シベリヤのタイガの巨木を数十キロに亘って薙ぎ倒し、ヨーロッパ上空まで数日間銀色の雲を広げて真夜中をも明るくしましたが、それは直径60mで、20−100メガトン(TNT火薬)とみられています。
C そこからすると、前4400年のものは、それ自体では威力は限られますが、ただ問題は、これが一個だけなのかということです。よく観測されるケースでは、こうした小惑星は数個に分裂して突入することがあり、1994年木星に突入したシューメーカー・レビ彗星は、20数個に並んで突入したのは、記憶に新しいことでしょう。1996年のホンジュラス小惑星は、3個に分裂して突入したのが観測されました。すると、このワバー小惑星もまた、複数で突入した可能性があり、その他の痕跡が地上にないとすれば、場合によっては、海に突入した可能性が捨て切れません。
D そして、この海に落下した場合の方が、被害は大きくなるようで、例えば直径1kmの小惑星が海に秒速30kmで衝突すると、その衝突地点から1千km離れたところでの津波の高さは、実に300mという凄まじいまでの高さになる、ということです。そして海に衝突したものは、残念ながら痕跡は残らないのです。(日本スペースガード協会「小惑星衝突」)
神話では、セトに殺害されたオシリスは、また大洪水に巻き込まれて、命を落とした様子が描かれますが、小惑星の出現と、それと連動した大洪水とは、こうした現象が起きたことの、記憶の断片ではないでしょうか。
E また、バージニア工科大のホワイトロー教授は、世界各地から無作為に1.5万個の生物化石を集めて、C14で測定したところ、不思議なことに、実質年代の前4430−3795の間の標本が、極端に少ないことを発見したといいます。(久保有政「オーパーツと天地創造の科学」)
そしてエジプトのナブタ遺跡は前4350頃に突然消滅しています。また、この小惑星がモデルとは断言できませんが、こうした衝突伝説は、別の形でエジプトにも残っています。
F レニングラード・パピルスに、「難破した船乗りの話」があり、その中に、大蛇が島で自分の子供を含め75匹の仲間と暮らしていたが、星が落ちてきて、自分以外の全てが焼死してしまった物語が出てきます。この物語の成立年代はかなり古いそうで、古王国時代後期から第1中間期頃と見られます(近藤二郎「パピルス文学」)から、伝承の発端そのものは、もっと前に遡る可能性があります。
G 一方、その小惑星衝突より1千年ほど時代は下がりますが、前3150年頃に中国に小惑星が衝突し、全地球的な気候変動を招いたことが、これは「黄帝伝説」として今に伝わっています。
「大昔、天を支えている4本の柱が折れ、天空が落ちてきて、大地が裂け、猛火が拡がり、川や海の水が溢れ、・・・女禍がこれを修理したが、共工がその1本をまた折ったので、天が西北に傾き、東南の大地が欠けて、そこに大きな海ができた。」
H こうした記録は他にも多々あり、小惑星ほどの衝突は少ないにしても、隕石や彗星片の衝突は史上数多く起きていることが、過去の記録に挙げられています。近いところでは、
1930年8月13日 アマゾン上流クルカ川に大きな火の玉落下、3度の爆発とM7クラスの地震、直径1.6kmのクレーター、推定1メガトン。
1908年6月30日 シベリアのツングースカ川源流上空10kmで、直径30mの石質隕石爆発。推定12−100メガトン。
1954年 アメリカ・アラバマ州に3.8kgの隕石落下。
1996年11月22日 中央アメリカのホンジュラスに小惑星落下、50mのクレーター。衝撃で100km離れたところでも地震を感知。3個目撃されたので、一列に突入した可能性。
I こうした実例からみると、小惑星の衝突は、歴史的には頻繁に起きていて、20世紀の中でも4回ありました。地球に衝突した過去の、全ての小惑星の痕跡として、およそ160個が発見されています。しかしこれは、陸上で確認されたものだけで、地球の2/3を占める海の中は、発見が困難ですので、場合によっては、衝突事例そのものは、最大3倍に上る可能性があります。また過去1万年以内で、小惑星の直径が100mに及ぶ事例(衝突時100メガトン)は、8件あるということです。これも実際には、その倍以上だった可能性があります。さらに、衝突時のクレーターの大きさで、破壊の規模が算定されます。6500万年前のメキシコの、チクシュループに落下した小惑星は、直径が10kmあり、地上に直径180kmのクレーターを作り、爆発力はツングースカのおよそ100万倍で、津波の高さは数千m(!)と推定されますが、これが地球上の全ての恐竜を絶滅させた、原因と見なされています。
J また、古代エジプト文明に先行する文明として、メソポタミアのシュメール文明がありますが、そこでは「ギルガメシュ叙事詩」が創造されていて、これは古代オリエントを代表する英雄物語として有名です。この作品の中にも、大破局が綴られています。
半神半人のウルクの王ギルガメシュは、野人エンキドゥとともに杉の森の怪物フンババを退治しました。そのギルガメシュの英姿に魅せられた大女神イシュタルは、結婚をしてくれるように迫りましたが、ギルガメシュに断られた挙句に、イシュタルの奔放な性遍歴を罵られました。これに怒ったイシュタルは天上の父神アヌに訴え出ました。以下はその訳文です。(矢島文夫訳「ギルガメシュ叙事詩」)
〔彼女の父アヌにむかって言った〕「わが父よ、『天の牛』を作りたまえ。〔ギルガメシュを滅ぼすために〕・・・・だがもし〔私に『天の牛』を作らぬならば〕・・・私は〔死者たちを甦らせ、生者のように食べさせて〕やろう。〔死者が生者より多くなるようにしてやろう〕。ア〔ヌは語るために口を開き〕、〔輝かし〕きイシュ〔タルにむかって〕言った。〔もし〕お前が〔私に〕頼む〔ことを私がなすならば〕7年間の不〔作がやって来るだろう〕。〔お前は人々のために穀物を〕集めたか。〔獣たちのために〕お前は草を繁らせたか。・・・イシュタルが準備が出来ていることを告げたあとに、『天の牛』は地上に降りて、多くの人々に危害を加えたようですが、その部分の楔形文字は欠落しています。その次は「第3の鼻息とともに、それはエンキドゥにむかってとびかかった。エンキドゥはその突撃を受け流した。エンキドゥは飛び上がり、『天の牛』の角をつかまえた。・・・」このあと、『天の牛』はギルガメシュとエンキドゥに止めを刺されて殺されます。
この物語で登場する『天の牛』は、地上の生けるものに甚大な被害をもたらすもので、それがやって来ると、7年間は地上の作物は実らないという代物です。その角は青玉石で出来ていて、非常に厚いと記されています。そしてこの『天の牛』という表現は、おうし座のアルデバランとプレアデス星団にも、シュメール語で表記されています。その成立はごく古いとみられます。つまりこれは、過去の地上に大きな被害をもたらした、おうし座からの厄介者(小惑星)の記憶を、英雄譚の中に取り込んだのではないでしょうか。古代エジプトと古代メソポタミアのいづれにも、おうし座が主人公となって破局をもたらす物語が伝えられるというのは、やはりそこに歴史的な事実が横たわっているのでしょう。
さらにこの矢島氏の本によりますと、科学史家W・ハートナーは、近東の美術表現に、獅子が牡牛に噛み付いているのが多いことから、これは星座を表したと推定し、紀元前の天体配置を復元する中で、紀元前4000年2月10日におうし座がしし座に追われて、太陽と一緒に消えて、同年3月21日におうし座は太陽とともに昇ることから、この天体現象が土台となった、とする説も紹介されています。
(メソポタミアでは獅子が王権の象徴のようですが、エジプトでは牡牛が王権の象徴のように表現されているようです。とすれば、メソポタミアとエジプトでは、かなり古い時代から覇権戦争があったのではないでしょうか。)
K ピラミッドを建設しうるだけの、高度な力を持った文明社会が、全く跡形もなく消え去るという、恐るべき大破局が起きました。残された少数の人々にとって、何としてもこのことを、遥かな先の世代にまで、伝えなくてはならないという決意を生み、それがピラミッドを造る要因となった、のではないかと推測します。また、この時代の次の時代、前3900年(100億立法メートル/年)からは、急激にナイルの水位は減少し、前3600−3300に至っては、10億立法メートル(/年)以下へ、それまでの1/10以下に減少しました。これも大きな破局のひとつで、この乾燥化のため周辺からの遊牧民の流入と大動乱、大飢餓などによる文明の破壊が起きたことでしょう。また「黄帝伝説」の小惑星がもたらした、更なる破局の到来で、ナイル周辺に築かれた文明の痕跡は、災害の渦に押し流されていった、それがこの前3900−3200年の時期だったのでしょう。
L その直前の、前4200年から前3900年の時代にかけて、大災害から漸く立ち直ったこの王朝の人々は、黄金時代だったオシリス王朝を回顧し、オシリスの信仰と伝承と悲劇を、民族の遺産とともに、未来永劫にそれを保存し、残そうとしました。そして、セトに勝利したホルスを、その伝承の中心に据えることで、次の新たな王朝を幕開けさせようとも、目論んだのでしょう。
大神官のトートは、この悲劇を総括し、赤い小惑星の襲来により、オシリスともどもエジプトの文明がおおきな打撃を受けたことから、それがおうし座流星群に原因があると判断して、天空のオシリスの星−オリオンの三ツ星と、それに襲い掛かるおうし座の赤い目アルデバラン(凶星セト)を、地上に写し取ることで、未来永劫この悲劇を、地上に刻印しようとしました。
M オリオンの三ツ星はギザの3大ピラミッドとなり、王が玉座に座るときの順序を現して、中央がオシリス王(カフラー・ピラミッド)、その左には妻のイシスの大ピラミッド(クフ)、そして右には長子のホルスを象徴した小さいピラミッド(メンカウラー)を建てたのです。この、3大ピラミッドの中での、王と王妃の並び方は、エジプト博物館1階中央ホールに鎮座する、アメンヘテプ3世と王妃の巨大像でも明らかなように、王妃は王の左に位置しています。第4王朝の葬祭神官セネブ家族像でも、妻は左に座っていますが、これがエジプトでの妻・王妃の位置でしょう。従って、中央のピラミッドが王であり、左の大ピラミッドがイシスの位置と見て、良いのではないでしょうか。
そして他のピラミッドの位置と役割は、次の通りです。ナイル川を天の川に見立てて、その岸沿いに、おうし座の「赤い目」、アルデバランに当たる位置のダハシュールに、セトになぞらえた赤いピラミッドを建てました。さらに、おうし座の「顔」にあたるヒアデス星団の代表の、74エプシロンの場所に屈折ピラミッドを建て、セトの妻のネプテイスとみなしました。そして太陽系は、昴で知られるプレアデス星団の、アルキオネーを中心に、公転していることから、それが地上ではメイドームにあたるので、そこにトート自身を示す、崩れピラミッドを建造しました。
N このようにして、オシリス王朝に起きたこの悲劇を、永遠の石造建築に表現しようとしました。それと同時に、自分たちの持っていた優れた文明の成果を、併せてピラミッド内部に貯蔵し、迫り来る次の悲劇に備えようとしたのです。即ち、前3700年からの、寒冷乾燥化によるナイルの水位低下や、大変動と混乱、前3150年の小惑星落下(黄帝伝説の源)などを避けて、ホルスの王統を伝える未来の王の世代に、その成果と智慧を届けることを、目論んだと思われます。
つまり、悲劇の記録と智慧の伝承が、ピラミッドを建てた目的であり、またこうした目的でなければ、これだけの巨大モニュメントを建てる動機に、至らないのではないでしょうか。大神官のトートたちにすれば、次の時代がどうなってゆくのかは、その卓越した予言と透視の力で、また古代の科学を駆使しての分析力で、ある程度予測が着いたのではないかと思われます。
(これは現代でも、的中率90%の預言者現れるなどというように、未来がどうなるか、予言や予測をすることが不可能ではないことからも、ありえることだと思われます。現に私たちの時代は、この先、4106年6月22日に、小惑星1990UAが地球に46万kmまで接近する、といったことが予測できるのですが、古代の人にそうしたことができなかったと断言はできません。)
O 最後に蛇足ですが、面白いことに、マネトーの「エジプト史」に出てくる神話の年代を辿ってみると、ヘブライの聖書の年代記を意識して、原初のアダムの誕生から、ノアの大洪水までを年表上対比しようとしていますが、その中で、エジプト年代の方から、ノアの大洪水を逆算してゆくと、その大洪水は前4253年に発生しています。この時期というのは、先ほどの小惑星到来時期と、どこか近時していて、何か関わりがあるような感じがしませんか。
【閑話休題】
Hの章で、オシリス王とイシス王妃が、320年統治したというのは、歴代の後継者が、オシリス王と王妃のイシスを名乗って、連綿と続いたからだ、と申しました。それに関連するのですが、神話によれば、オシリスはセトによって、14片に切り刻まれて、エジプト各地の秘密の場所に、埋められたとなっています。
「エジプト全土から拾い集められた王の遺骸は、すべてで13になった。最初に気づかったように、鰐に呑まれたものもなく、切り離された王の肢体はこれで完全に集まったが、ただ一つだけ、どうしても見つからないものがあった。それは王の陰茎で、魚に呑まれたのだといい伝えられている。」(名著普及会「世界神話伝説大系・エジプトの神話」)
それをイシスが探し出して、身体を繋ぎ合わせて、生き返らせたが、オシリスはそのまま地下の世界に下りて、冥界の王となったのです。そこでこの13+1片の肉体の、逸話の解釈です。伝説として伝わるときに、こうした13+1という数字を後世に伝えるのには、訳があるのではないでしょうか。普通なら、「多くに刻まれた」とか、きりのいい「10や100に刻まれた」でも良いのに、13+1という数字を伝承する理由ですが、この意味は、これこそオシリスが14人いたという、歴史の記憶ではないでしょうか。14人いたというのは、14代続いたということです。それを神話の中に、暗示したのではないでしょうか。
日本の皇室は、伝説も含めると、紀元前660年の神武天皇元年に、神武天皇が即位なされてより、連綿として1989年の昭和天皇が崩御なさるまで、124代を数えました。これを計算すると、1代平均21.4年です。この平均値を応用すると、320年のときを統治したとすれば、それはおよそ15代(14.95)となります。条件が違うので単純比較はできませんが、それでもこの近似値には、考えさせられるものがありませんか。