大ピラミッドの内部の秘密に迫る


   @  さていよいよ大ピラミッド内部の、秘密に近づきましょう。まず第1の疑問です。何故ピラミッドは四角錐なのでしょうか。ピラミッドのようなモニュメントに似たものに、マスタバ墳のような四角立体や、階段ピラミッド、マヤ遺跡の梯子階段風のピラミッドに、メソポタミアのジグラットなど色々な形態があります。それらの中で、建設に一番危険が伴うと思われる、急角度の角錐で、それも頂点を一点に収斂することで、建設に極度の正確さが必要な、これほど困難な建造形態を、何故選んだのでしょうか。しかも、東西南北の方向を数センチも違えない程の、とてつもなく超正確な工事です。階段ピラミッドと大ピラミッドでは、建造技術に格段のレベル差がありますが、それを赤ピラミッドひとつで練習することで、技術を獲得できたというのでしょうか。
   
   A  ここまで困難な建造に、挑戦するからには、どうしてもこの形態でなければならない、理由があるのでしょう。では、それは何なのでしょうか。それを解くには、この四角錐という形態を、よく観察する必要があります。つまりこれは、正八面体の上半分である、ことに留意したいと思います。5つある正多面体のひとつである正八面体は、不思議なことにその中に、正六面体を内蔵しています。さらに、その正六面体の中に、また正八面体が存在していて、この関係は永遠に繰り返して行くのです。こうした特異性は他には、正12面体=正20面体でもありますが、その2つの組み合わせだけです。

   B  そして、この正八面体の上半分を、地上に置き換えたのがピラミッドですが、その斜面の3角形を見ると、大ピラミッドの場合は横が230Mなので、正四角錐の高さは115Mとなるのですが、実際にはもう少し高く146Mとなっています。角度にして、45度を51.5度に変えています。これは何故でしょうか。正確な正八面体は、45度で構成されるのですが、その角度ではピラミッドに、容易によじ登れるのを、恐れたからでしょうか。
   
   C  ただ、こうした角度を違わすことによって、45度と51.5度の3角形の造る重心点が2つ出来ます。そしてその2つの重心点の、ど真ん中を、大回廊が貫いているというのは、偶然でしょうか。また、51.5度の四角錐の中に出来る正六面体の、そのまた中に出来る正八面体の3角形の重心は、通称「女王の間」の位置に存在しています。そしてこれと対比される地下の3角形の重心は、「地下室」の位置にあります。これらは偶然でしょうか。そして、さらに3つ目の正八面体の3角形の重心は、女王の間の直下に、地上より11.5Mの高さに、位置してきます。それはそこに、もうひとつの部屋があるのを指し示すために、あえてこの形態が採用されたのではないでしょうか。
    ちなみに、「地下室」に通じる下降通路は、角度26.34.23度で、ピラミッドの中と、地下の岩盤を一直線に、59.1m貫いていますが、その直線には1cm以上の誤差はないという、驚異の作業です。大ピラミッドの仕事は、現代の精密工事を超えるとてつもない正確さで、何故ここまでしなければならないのか、信じられません。

   D  次に第2の秘密ですが、それは大回廊です。大ピラミッドを訪れると、外観の威容もさることながら、大回廊の不思議な荘厳さが、見る人に強烈に迫ってきます。そこは数十トンの花崗岩を、ピッタリ繋ぎ合わせた、せり出し構造になっています。高さ8.7M長さ46.7M角度27度の上昇空間です。この巨大なピラミッドの中に、こうした空間を創造するには、大変な労力と緻密な設計が必要となるでしょう。そこまで強大なエネルギーを費やして、この空間をつくった目的は何なのでしょうか。これと似た構造物は、屈折ピラミッドと赤いピラミッドにも、その小型版が見られます。しかし、第2や第3のピラミッド、メイドウームのピラミッド(
玄室はせり出しだが、回廊ではない)には見られません。そこでこの、回廊のあるピラミッドを並べると、ある共通点が浮かんできます。
  
   E  回廊のあるピラミッドに該当する持ち主は、イ シスであり、ネフテイスであり、そしてセトです。神話では、セトは子をなすことが出来ない、両性種だとされています。
    「ホルスとセトの戦いで、ホルスは片目を失い、セトは精巣を失った。」
    そこから推理すると、この回廊というのは、つまりは女性を顕しているのではないでしょうか。すなわち女性自身を象徴するものだ、と考えられます。そしてまた、イシスの妹のネフテイスの場合は、セトと結婚していながら、オシリスとの間に一子アヌビスを設けたことで、2重の性向を持つため、2つの入口を持ち2つの稜線を持つという、屈折ピラミッドとして、表現されたのではないでしょうか。
  
   F  一方、男性のピラミッドの場合は、回廊がなく、地下の玄室へ向かって、一直線に掘り下げられています。そこから、これら6つの巨大ピラミッドの意味するところは、それぞれのピラミッドが、神々の「からだ」を表現しているのでしょう。男神であり、女神であり、それで持ち主を指し示したのです。と同時にピラミッドそのものが、「神々のからだ」として、尊崇されたのでしょう。そのため、これらの「神々のからだ」には、傷をつけてはいけない、ヒエログリフも絵画も、書き込んではいけない、ということになったのです。白い石灰岩を磨いて、「素肌のままの」光り輝く存在であった理由が、そこにあるのではないでしょうか。
    「人間は神の似姿に創られた。その身体の全ては神の真実の姿であり、裸体こそが最も美しい神の栄光である。」(
ミケランジェロ

   G  そうすると、大ピラミッドの「王の間」や「女王の間」から伸びる、通称通気孔(といっても、外装石や途中の石に阻まれて、外へ開かれてはいません。)の役割が判明します。女性の人体の構造上、大回廊が女性自身であれば、「王の間」は子宮に該当します。そこに繋がる(通気孔)管は、すなわち栄養を届ける血管であり、胎児につながる命の綱という存在です。
     訪問者が、女神イシスの体内に入り、この「王の間」という子宮で、女神イシスの、生きとし生けるものへの深い愛情を、感じることが重要です。そうして初めて、次の王は、あるいは次の文明の世代は、そこにイシスが授けてくれるメッセージを、見つけられるのではないでしょうか。
     ピラミッドは輝く外装石で覆われて、その入口の場所すら定かではなく、ましてや内部は秘匿されていました。その中に、用途の不明な、巨大な大回廊を建造することで、その意味合いが理解出来ない者には、女神イシスは秘密を、明らかにしなかったのでしょう。

   H  そして最後の、第3の秘密は、「王の間」と石棺についてです。この部屋は広さが33畳あって、高さが6mあり、天井を50トンくらいの巨岩が8枚渡されています。その片隅に、花崗岩をくり貫いた石棺が、忘れ物のように置かれています。
     過去そこには全く遺物や遺品は、見当たりませんでした。ここが玄室として、墓室の役割を果たした形跡はないようです。もし墓室だったならば、ここに残されている石棺を利用したことでしょう。しかしこの石棺は、木棺や2重棺などを入れるには、余りに小さいのです。石棺の大きさは縦2.24m横0.96m。石の厚みを除いた内側は、縦1.94m横0.66mとなっています。
    ツタンカーメンのミイラの場合は、3重の木棺や金棺に入れられて、石棺に納められていました。その3重の棺の一番小さいもので、1.87mの長さとなっています。ですから、この大ピラミッドの石棺では、例え王が小人だったとしても、棺を1個入れるのも難しいようです。こうした窮屈な石棺を、何故設置したのでしょうか。ただこれが、小柄な女性を想定して造られたとすれば、納得も出来ます。
    
   I  またこの王の間を、玄室として利用したとするならば、ミイラや副葬品はすべて盗掘されたとなります。その場合、石棺の蓋やミイラの骨まで、何も残さずに持ち去るでしょうか。花崗岩の堅い石材を、わざわざ砕いて、その欠片まで持ち出す理由は、なんでしょうか。また、墓室として建造すれば、石棺には利用した王の名前程度は彫りこむでしょう。現に、近くのマスタバ墳から見つかったクフの息子の石棺には、ヒエログリフで名前や装飾が施されています。ましてや強大な権力を行使した王が、そうした装飾も施されずに塞がれたとは、考えられません。
   
   J  また王の墓室は地下に設けられるのが、それまでの通例です。それはラーが天空を超えて行ったあとに、夜は地下の冥界を旅して、また明け方に東の空に戻ることから、死者の赴くところは地下の冥界と定められているからです。大ピラミッドでは、この玄室を地上43Mの空中に設けた、というのでしょうか。しかも入口から入って、高さ1M強しかない滑り台のような、上昇通路を30Mも引き上げて、さらに大回廊を50Mも滑り上げて、棺を運び入れたのでしょうか。こうしたことは、それまでの古代エジプト遺跡では、例を見ません。
     従って、この「王の間」の用途は、別のところにあるのではないでしょうか。また、大ピラミッドの中では、「女王の間」や「地下室」もありますが、そこには石棺もなく、墓室として利用した形跡は見当たりません。
   
   K  そこで古代エジプト人になったつもりで、「王の間」の利用方法を考えて見ましょう。例えば神官や王が秘密の相談をしたり、集会を開く場所、王室の子息の英才教室、瞑想や魔法などの修行の場、秘密の儀式の部屋、音楽を楽しむホール、盗賊用に設けたダミーの宝物庫、テレポーテーションできる部屋、図書館か貴重品の保管庫、ピラミッドパワーの医療室、など並べて見ましょう。しかしどれも違っているのです。
   L  何故なら、ここは出入りができなくて、入口は閉じられており、永劫に暗闇である完全な密室です。入口を塞ぐ前に、保管するものがなかった場合、この部屋を造る必要がありません。しかしこの部屋を造ったのは、造る必要がありながら、この部屋には、保管するものがなかったのです。それはどういう謎かけなんでしょうか。

 

 
   

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  【閑話休題】
   1986年にフランスの発掘隊が、大ピラミッドの中の未知の空間を求めて、中段にある「女王の間」に通じる水平通路の途中を、ドリルで2−3mの奥まで穴を開けたら、突然砂の層に行き着いて、その砂が噴出してきたので、今は鉄の楔で塞いであるということです。そこから、ピラミッドの内部にはかなりの砂が詰められているのではないかと見て、その量を試算したところ、ピラミッド内部の砂による空間率は、40%にも上るのではないか、と見られました。この砂にはかなりのレベルの放射能が検出された、ということです。そうすると、この砂の役割は、いったいなんでしょうね。
   内部に石ではなく、40%にもなる砂の空間を造ると、上からの重量で、その部分は押し広げられて、結局崩壊してゆくのではないでしょうか。考えられるのは、内部の石を動かしたり、入口を塞ぐなどの用途で、ごくわずかだけ、砂を使った動力構造を考案して、そのために保存されているものではないでしょうか。
   また、ギリシアの歴史家ストラボン(前64〜)は「ピラミッドの中間あたりに、取り外しの出来る石があり、外すと玄室まで行くことが出来る」と記述しています。とすれば、アル・マムーンが始めて、大ピラミッドの内部へ入ったとされる、紀元7世紀よりはるかな前に、もう誰でもが出入りできた、可能性があります。ひょっとすると、前2000年前後の混乱した中間期に、もう盗掘の通路が、掘られたのではないでしょうか。いやひょっとすると、クフ自身が、トートの秘密の書を求めて、盗掘させた可能性はないのでしょうか。?