14章.モーセに従わず、背を向け反乱する民
こうしてモーセがヤハウェ神から直接律法と石板、さらに詳細なアークの説明書などを受けているとき、民はすでに40日近く、モーセが山に登って帰らないので、アロンに集まって、彼は死んだのかもしれないので、これから先を連れて行ってくれる神を造って下さい、と迫る。
そこでアロンは、民から金の耳輪を集め、それを鋳て子牛を作ったので、民は言った「イスラエルよ、これはあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である。」そして飲み食い、踊り戯れた。
それを見て神は怒り狂い、「わたしをとめるな、わたしの怒りは彼らに向かって燃え、彼らを滅ぼしつくすだろう。」、
それでもモーセは神にとりなしをして、思いとどまらせた。
モーセは宿営に近づき、子牛と踊りを見たので、怒りに燃えて、石板を投げて砕いた。子牛を取って火に焼き、こなごなに砕き、これを水にまいて、民に飲ませた。そしてアロンを責めた。それからレビの族を集め、それぞれの族民を合わせて3000人殺害した。
エジプトから連れ出した民であっても、神の怒りに触れれば、子牛の像を求めた首謀者や、踊り騒いだ者たちを皆殺しにする、その峻厳な厳しさ。神は皆殺しを求めたが、モーセが執り成して一旦は殺さないことになったが、しかしモーセは実際の現場を見て思わず怒りに駆られ、結局3千人を殺すことになった。ただその殺される者たちの選別は定かではなく、裁きもなく、怒りにまかせて手当たり次第のような状況だ。ただレビの一族だけは殺す側に廻っていて、被害者にはなっていない。
この事件の最大の背教者であり首謀者であるアロンはレビの一族であるにもかかわらず、一族は勿論アロン自身も、責められこそすれ、死を免れている。どうもこの大量殺害は、片手落ちのようなのだが、それはなぜだろうか。これはアロンがモーセの兄ということからくる、身内びいきのお目こぼしだろうか。それでは殺されたイスラエルの民の家族から、アロンはもとよりモーセ自身も恨まれるだろうし、ヤハウェ神もまた納得しないだろう。しかしどちらからも、この件についての不満は見えない。それはあえて記録に残さなかったということか。
神に背く行為の一番の悪人はこのアロンなのだが、なぜか彼の罪は免責されて、踊らされた他の民が、3千人も虐殺されるのでは、モーセの、そして神の怒りは、どこへ向かっているのか、方向違いである。しかもエジプトの過ぎ越しのように、神自身が殺しまわるのではなく、今回張本人のアロンを戴くレビの一族が、他の民を殺しまわる。ひょとすると、この子牛というのは神の姿に近いので、それを持ってアロンを処刑できなかったのではないか。そこで乱痴気騒ぎをした罪で、その騒ぎの首謀者たちを殺そうとしたのだろうか。それにしてもこのヤハウェ神は、怒り狂うと殺しまくり、人の命を虫けらのようにしかみていない。また、犠牲を捧げさせるにも、血まみれの動物の焼いたものを好み、その匂いを嗅ぐのが(それを食してもいるのかもしれないが)何よりの安らぎになるようだ。この神は、果たしてどういう正体なのだろうか。
24章で、アロンは神と面会している。またその前にも、モーセと一緒に、面会しているかもしれない。それで神の姿を造るときに、「子牛」を造った。すると、山で面会したのは、子牛の姿をしたものだったのか。この鋳造のときには、前回山腹で神と遭遇した70人の長老たちもいたのだろうが、彼らからはこの鋳造した子牛に対する異論は聞かれない。そうすると、子牛というのは神の姿に非常に近い、ということだろうか。しかしこの子牛だが、これのモデルとなったのは、シナイ山の主なる神もそうなのかもしれないが、出自そのものは、エジプトのメンフイスで信仰される聖牛アピスではなかろうか。
「ヘブライ人たちが出エジプトをしたときに、牛の神像を持っていって、シナイ山のふもとでアークを作ったわけです。」(太陽の哲学を求めて・吉村作治・梅原猛・PHP研究所)
ゴセンとメンフイスとは、同じナイルの下流湿地帯なので、エジプトで生活していたときには、イスラエルの民はこの子牛を日頃尊崇していた可能性もある。このアピス信仰は第1王朝時代からもうすでにメンフィスで始まっており、またメンフィスの近くで、太陽信仰の中心地ヘリオポリスでの聖牛ムネヴィスもまた同時代からのものである。もしゴセンの民がヒクソスの流れを汲むならば、バアル神を尊崇していておかしくない。だが子牛崇拝に帰るというのは、エジプト寄留生活が長引く中でバアルからアピスに変化していったのだろう。
● ヨベル書より 1章
「わたしのいるこの山に登って来い。律法と掟の2枚の石の板をきみに授けよう。・・わたしが彼らの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、乳と蜜の流れるこの土地をきみたちの子孫にやろう、彼らは飽きるほど食べられるであろう、といった土地に彼らを導きいれる以前の、彼らの反抗と頑固さをわたしは知っている。彼らはわたしに背を向け、どんな苦境からも彼らを助け出すことのできない他神に走るだろう。・・わたしは心と魂をこめて、彼らを義のひこばえとして移し植える。わたしはわたしの聖所を彼らの中に建て、彼らと共に住み、彼らの神となり、彼らは真実と義に基づくわたしの民になる。・・」 ●
こうしてシナイ山の麓での惨劇も片付いたときに、モーセは幕屋を作った。そしてモーセが幕屋に入ると、雲の柱が下って、幕屋の入口に立った。そして主はモーセと、顔を合わせて語られた。
「しかしあなたはわたしの顔を見ることは出来ない。わたしを見て、なお生きている人はないからである。あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見ないであろう。」
この期に及んでも、顔を見られたくないというヤハウェ神である。さて、ここで再度神から石板の文字が与えられる。モーセは40日40夜そこにいて、十戒を板の上に書いた。そして山を降りた時、モーセの顔の皮から光が放たれていた。それで「顔覆い」をつけた。
2度目の十戒の引渡しだが、今回はモーセ自身が石板に文字を刻み込んで、作成したことが書かれている。それも前回と同じく、40昼夜かかっている。ということは、最初の石板授与も、実はモーセ自身が刻み込んで作ったものではないのだろうか。刻み込む作業現場では、ヤハウェ神が近くで文案を教授していたのか。
幕屋と聖櫃アークの製造
そこで後日、石板をアークに収めるのだが、アークの大きさは縦・高さ66cmで、横幅が109cmとある。すると、石板は40cm四方くらいで、厚さが5〜8cmくらいだろうか。それが2枚あるとすれば、到底ひとりでは持ち運べない。ヤハウェから授かった律法の諸々は、たぶん羊皮紙に書かれて、おなじアークに収められたのだろう。
そして出来上がった幕屋を、神の指示通りに使用する様が書かれている。
「雲は会見の幕屋をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の幕屋に、入ることが出来なかった。雲がその上に留まり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。雲が幕屋の上にのぼるとき、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。しかし雲が上らないときは、その上る日まで道に進まなかった。すなわちイスラエルの家の全てのものの前に、昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。彼らの旅路において、常にそうであった。」
「ビジュアル大百科聖書の世界」によれば、幕屋の入口は幅4..5mで奥行13.5mの、長方形のテント。およそ36畳の広さだが、三角テントなので実質20畳程の縦長の空間確保となる。この幕屋(聖所)の前半分には机や燭台、金の祭壇が置かれ、さらにその奥には分厚い垂れ幕が下がっていた。その垂れ幕の奥、およそ6畳部分は至聖所とされ、床の間に置かれるように、黄金の飾り蓋に覆われた横幅109cmのアークが鎮座していた。幕屋の上には雲がたなびき、夜になるとその雲は輝いていた。そのときは、ヤハウェが臨在している。そして、雲が上空へ上がってゆくと、ヤハウェはいなくなるので、イスラエルの人は幕屋を解体し、アークを先頭に次の宿営地へと向かうのである。
「わたしはその場所で、あなたたちと会い、あなたに語りかけ、イスラエルの人々に会う。そこはわたしの栄光によって聖別される。」と言うように、この幕屋の中でヤハウェがモーセたちとコミュニケーションを執ることになる。とすれば、ヤハウェは雲の中に隠れて幕屋に出入りしていたのだろうか。それだと大勢に露見する危険がある。むしろ、このアークは何らかの通信手段を兼ねているので、それを使って会話をした可能性の方が高い。アークが通信手段だとすれば、幕屋の上の雲というのは、強力な電波か磁力の放電現象のようなものなのか。通信機器のアークに、遠隔でスイッチを入れると、強力な電磁波力でプラズマが発生し、光と同時に、アークに入れている何かを熱して煙が立ち込める。それで、通信準備ができるということではないか。後日、このアークから光線がほとぼしって、大勢がその光に打たれて死ぬが、それは誰かを狙って殺すことではなく、この機械の不調か、整備不良による故障ではなかろうか。もっとも、アークの内側にどういう装置が置かれたのかは、全くわからない。石板と羊皮紙が納められた、とあるが、密かにこうした機器も内蔵していたのではなかろうか。
また、キリストはこの幕屋の状況を解釈して、ヤハウェが「われらのうちの幕屋に住まわれた」と後世述べている。
● 閑話休題 「聖書」 アラビア半島アシール地方起源説
旧約聖書に出てくる地名はすべて、アラビア半島のメッカ南方500kあたりの、アシール地方に現存する村や土地の名前に該当し、そこが実際の舞台となったのではないか。という説が、ベイルートのアメリカン大学のサリービー教授によって提唱された。(「聖書アラビア起源説」草思社)
この説によると、聖書に書かれている言葉は古代ヘブライ語で、この言語には母音文字がなく、子音だけで綴られている。従って、発音の際には、母音をどう入れるかによって幾通りもの選択肢があり、地名ひとつでも特定するのが難しい。そこで原文のmsrymをエジプトと訳したのが最初の誤訳であって、これはアシール地方のmsrm村のことで、パロといわれているのは、この村の酋長のことを指すと見られる。そこでモーセの一行は、この村で下働きを余儀なくされていた同胞を連れて、この地方の周囲100kmを流浪して、アールシャリーム村(エルサレム)方面へ近づいた、と解釈されている。この地方には、子音だけだと、イスラエルにちなむ地名のほとんどが見られるのだという。この説が生まれたきっかけは、シナイ山で出会った神というのは、火山の神で、その雷鳴と火の中から呼びかけたと見られるが、シナイ山は活火山ではなかった、ということからだという。
ネブ゙カドネザル王による軍団が、この地方にも押し寄せて、民衆はバビロニアまで拉致されたが、その後解放されたときには、故郷まで戻らずに、現在のパレスチナに定着し、そのときに故郷の地名をそこに付けたのだ、と説明している。多少苦しい言い訳になる。これもひとつの見解としておこう。 ●
祭儀に関する諸規定、それがレビ記だが、過酷な掟が、事細かに綴られる。
続いて5書の3番目となるレビ記に入ることとなる。この中では、捧げ物の扱い方や、日常生活のうえでの律法などが、こと細かに綴られてゆく。さらに十戒の、繰り返しと追加のような規範が、書かれてゆく。
章別に要点を挙げると、次の通りとなる。
1章は「牛の燔祭での牛やヤギ、鳥のさばき方と捧げ方」
2章は「麦粉の供え方や種を入れてはいけないや、供え物には塩をつけるなどの注意点。
4章は「司祭が過ちを犯したときの、子牛を犠牲にするほふり方、会衆が罪を犯した場合のほふり方、司たるものの罪は雄
ヤギで贖う、一般の人の場合は雌ヤギなどの規則
5章は「偽証した罪、汚れた野獣などの死体に触れた罪、誓いをたてた罪には小羊または鳩または麦粉をささげる」
6章は「人を欺き、不正をなしたら償った上で、1/5を加えること」「燔祭は燃え続けて、消してはならない」「主に記念の分とし
て捧げて、アロンの子らは、その他の残りを食べなければならない」
7章は「愆祭のときの屠り方や供え物の食べ方」「獣の脂肪はすべて食べてはならない」「同じく、その血を食べてはならな
い」「主の火祭は犠牲を手ずから携えてきて、主の前でその犠牲の胸を揺り動かさなければならない」「その胸とももは、 祭司アロンとその子孫が、永久に受ける分である」
8章では「モーセはアロンとその子らを会衆の前に呼んで、司祭の服を着けさせ、犠牲を捧げさせた」
9章は「8日目にアロンに言って、犠牲を捧げさせ、祭儀を執行させた。そして主の栄光は総ての民に現われ、主の前から火 が出て、祭壇の犠牲を焼き尽くしたのを見て、民は喜びひれ伏した」
10章では事件が起きる。
アロンの二人の子が、主の命令にないことで、香炉に火を入れ捧げたところ、主の前から火が出て、その二人を焼き滅 ぼした」このとき主は言った「わたしは、わたしに近づく者のうちに、わたしの聖なることを示し、すべての民に栄光を現
すであろう。」そこでモーセはアロンたちに忠告をするのだった。「これからさき、死ぬことの無いように、幕屋に入る時は ぶどう酒と濃い酒を飲んではならない。」
11章は。食べて良いものと、食べてはいけないもののリスト。
「すべての獣のうち、蹄の分かれたもので、反芻するものは食べられる。だがその中でも、ラクダ、狸、野ウサギ、豚は食 べてはならない。」 「水の中のものでは、ひれとうろこのあるものは食べることが出来る、しかしひれとうろこのないものは 、食べてはならない」
「鳥のうち、食べてはいけない鳥20種類のリスト、さらに、羽があって4つの足であるくすべての這う ものは食べてはならない」 「地に這うもののうち、ねずみやトカゲは汚れたものである。またすべての地を這うものは忌 むべきである」などと、数々の動物類が分類されてゆく。
神は創世記の9章で、「生めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。」と教えた。しかしヤハウェの神は、その創造神とは明らかに違っていて、事細かに食べてはいけないものを、執拗にリストアップしている。これはヤハウェの嗜好によるものだろうか。それとも遊牧時代の先祖たちの、食料における経験上の忌避するものを、ただ羅列したのだろうか。
続いて12章では、「女は男の子を生むと、血の清めに33日、女の子は66日を必要とする。清めの日には燔祭を捧げなけれ ばならない」
13章は「らい病の判別と隔離や、やけどとらい病の判別と処置、ならびにらい病患者の処置と衣服の処置」
14章は「らい病でなかった人の燔祭の捧げ方、らい病患者が出た家の対処」
15章は「肉から流出する汚れの対処について、また精を外に漏らすことは汚れで、水ですすがなければならない、さらに女 の血の流出は、7日の間不浄。」
16章は「主の幕屋に入り、贖罪所(アーク)の前に出るには、亜麻布の服・股引・帯・帽子を見に着け、雄牛とヤギを屠り、水に身 をすすいで、香ばしい薫香の雲で、贖罪所の上を覆わなければならない」
17章で「民はだれでも、牛・羊・ヤギの犠牲を捧げなければ、断たれる。また、血を食べるならば、わたしはその人の敵となり、 民のうちから断つ。すべて肉の命はその血だからである」
18章は「あなたがたはエジプトやカナンの習慣を見習ってはならない。あなたがたは、肉親のもの、父の妻、姉妹、息子の娘 、娘の娘、父の姉妹、母の姉妹、父の兄弟の妻、息子の妻、兄弟の妻、女とその娘を一緒に、妻の生きているうちにその 姉妹を、犯してはならない」また、「月の障りの不浄の女、隣の妻、男(同士)、獣、と交わってはならない」といった性生 活の上でのタブーが造られてゆく。誇るべき先祖のアブラハムとヤコブは、明らかにこの禁忌に反した行いをしていたの だが。
そして19章ではもう一度、十戒を下敷きに、およそ33条に及ぶ「禁止事項」が綴られてゆく。
@ 主なるわたしは聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。
A その母とその父をおそれなければならない。
B 安息日を守らなければならない。
C むなしい神々に心を寄せず、神々を鋳て造ってはならない。
D 犠牲を主に捧げる時は、(掟どおり)受け入れられるように、捧げなければならない。
E 地の実りを刈り入れる時は、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。
F 盗んではならない。
G 欺いてはならない。
H 偽ってはならない。
I 隣人を虐げてはならない。またかすめてはならない。
J 耳しいを呪ってはならない。目しいの前につまづくものを置いてはならない。
K 裁きをするとき不正をしてはならない。貧しいものをかばい、力あるものを曲げて、助けてはならない、ただ正義を以っ て裁かなければならない。
L 人の悪口をいいふらしてはならない。
M 隣人の血にかかわる偽証をしてはならない。
N 心で兄弟を憎んではならない。
O 隣人をねんごろにいさめて彼の罪を身に負ってはならない。
P あだをかえしてはならない。
Q 人々に恨みをいだいてはならない。
R あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。
S わたしの掟をまもらなければならない。
21 あなたの家畜に異なった種をかけてはならない。
22 畑に2種の種を蒔いたり、2種の糸の交ぜ織りの衣服を身に着けてはならない。
23 婚約している女奴隷と交わったならば罰を受ける。
24 果物の木を植えるときは3年の間食べてはならない。5年目には食べても良い。
26 何をも血のままで食べてはならない。
28 占いをしてはならない。魔法を行ってはならない。
30 びんの毛を切ってはならない。
28 死人のために身を傷つけてはならない。
30 刺青をしてはならない。
32 娘に遊女のわざをさせてこれを汚してはならない。
31 白髪の人の前では起立しなければならない。
32 他国人が寄留していたら虐げてはならない。同じ国に生まれたもののように、あなた自身のようにこれを愛さなければ ならない。
33 枡においても物差し、秤においても不正をおこなってはならない。正しい天秤、正しいおもり石を使わなければならない 。」
この律法・掟では、生活をする上での一部の事柄を、ランダムに脈絡なく綴っているが、隣人を愛せよなど、おおむね正しく身を処す生き方が、まとめられている。とりわけ19のような隣人愛は、そのままイエス・キリストの説教に繋がるものである。ただ中には女奴隷と交わるなとか、魔法を行うななど、その背景を考えさせるものも含まれる。また、びんの毛をきるな(頭の左右の毛)、というのはどういうことから定められたのか、興味のあるところである。
これは主なる神が語ったというが、本当はモーゼが、エジプトやバビロニアの法典をもとに、まとめたものではないのだろうか。でないと、やがてカナンに入って、隣人である他民族を皆殺しにすることを求める主なる神であれば、どうにも矛盾し過ぎである。それともこうした定めというのは、イスラエルの民の中での掟であって、他の民族は対象外ということなのだろうか。これから起きる数々の虐殺を見ると、どうも現実はそのようである。
しかしこうした正しい掟とは裏腹に、このヤハウェ神自身が、血に飢えた本性をさらけ出してゆくことになる。人間に対する慈悲心に欠けた、絶滅思想がこの先現われてくるのだ。
20章では、「その子供をモレク(カナンの他民族の神)に捧げるものは、必ず殺さなければならない」そしてこのあと、前章の戒めを破ったものへの罰則が綴られる。父母を呪うもの、人妻と姦淫するもの、男色、獣姦、姉妹の裸を見たもの、月経中のおこない、また占いをするものなど、すべてが、「殺さなければならない。」
さらに罰則が続く。「だれでも身に傷のあるものは、近寄って、神の食物をささげてはいけない。目しい、足なえ、鼻のかけたもの、手足の不釣合いなもの、足の折れたもの、せむし、こびと、目に傷のあるもの、かいせんのもの、かさぶたのあるもの、こうがんのつぶれたものなどである。」
これらはまさしく身体障害者に対する蔑視、嫌悪感むき出しである。こうした欠格のものに対する姿勢は、捧げものの動物にも及び、欠格のある動物を捧げるな、とヤハウェは告げている。
そうしたことから、24章では主をのろったものが出たので、モーセは神に命令されて、そのものを石打ちの刑にかけた。「だれでも神を呪うものは、・・必ず殺されるであろう。全会衆は必ず彼を石で撃たなければならない。」
さらに26章では、「偶像を造らず、戒めを守って、これを行えば、あなた方の地に安らかに住むだろう。
しかし戒めを守らず、わたしの掟を忌み嫌って破るならば、あなたがたに恐怖を臨ませ、敵の前に打ち倒され、・・それでもなお聞き従わなければ、怒りを持って臨み、あなたがたは息子の肉を食べ、娘の肉を食べるだろう。」という脅しの言葉が続く。善良な正義の言葉を吐く傍らから、その掟を逸脱するものへの、こうした空恐ろしい脅迫の言葉を吐くというのは、これが正義の神といえるのか。人間モーセが、神に代わってこうした脅しの言葉を残すというのは、民を統率する上で、理解できなくもない。だが、これがヤハウェ神から出てくる言葉だとすると、この神は「自分を讃え、崇拝しない輩には、容赦しない」性格を持っている。