17.謎の言葉「アアメン」 申命記
22章でも指針は続く「迷っている牛・羊は見捨てておいてはならない・・」
「女は男の服を着てはならない。また男は女の服を着てはならない。主はそのようなことをするものを、忌み嫌われるからである。」
「女をめとった男が、処女でなかったといいがかりをつけた場合、父は処女の証拠を長老に示たなら、男を撃ち懲らしめ、・・また、ほんとに処女でなかった場合、女を石で撃ち殺さなければならない。」
(これだと、日本の若い女性は半減するのではなかろうか。)
さらに、婚約した女を犯したときや、それを野原で犯したときの見解などと、事細かに定めは続く。
「去勢したもの、私生児は会衆に加えない」「アンモンびととモアブ゙びとは加えない、何故なら・・エジプトから来た時、パンと水を持って出迎えなかったからである。」また。「陣営での用便のしかたや、離縁状の扱い」さらに、「鞭打ちの刑は40回をこえてならない」「夫が死んだら兄弟がその妻に入ること」「正しいおもり石を用いること」「エジプトから出てきた時、道でアマレク人がした事を忘れず、アマレクの名を天の下から消し去らなければならない」
こうした定めの他に、民の未来についての定めもまた、規定される。
「カナンに入ってそこに住む時には、地のすべての実の初物を、携えて祭司のところへ行く」「第3年にはすべての産物1/10を納めて、祝福を願う」「ヨルダンを渡ったならば、石の祭壇を築かなければならない」
「そのとき6部族はゲリジム山で祝福を呼ばわり、他の6部族はエバル山からイスラエルの人に大声で告げて言わなければならない。」
「刻んだ像、鋳た像をひそかに安置するものはのろわれる。」民は答えて、アアメンといわなければならない。
「父や母を軽んずるものはのろわれる。」アアメン「隣人との土地の境を移すものはのろわれ「盲人を道に迷わすもの」「父の妻を犯すもの」「獣を犯すもの」「姉妹を犯すもの」
「妻の母を犯すもの」「隣人を撃ち殺すもの」「賄賂を取って罪なき者を殺すもの」「律法の言葉を守らず行わないものは呪われる」
これらについてはみな、民はアアメンと言わなければならない。・・
民数記5章に「アアメン」が始めて、呪いの水を飲むときに登場するが、それに続いて今回は、やはり呪いの言葉とともに、言葉の説明も由来もなく、再び登場している。そしてこの言葉は数千年後には、キリスト教の拡大とともに、神への祈りの言葉と同列になってゆく。
だがこの旧約聖書に登場する「アアメン」は、後世とは違って、明らかに呪いの言葉の「補助語」というか、「・・呪われる」さあ、アアメンとともに地獄へ落ちろ、といった意味合いになるのではないか。あるいは少なくとも、「・・呪われよ!」(アアメン=鎮魂の言葉)ということになろうか。いずれにしろ、神を讃える言葉ではなく、「地獄行き」を意味する言葉である。つまり言葉自体が、呪いを含んでいる呪文である。
そしてその出所は、エジプトのアメン神からきているのではなかろうか。「・・・者は呪われろ、アメン(神と同じように)(神のように)」という使い方をする可能性があるのではないか。それではエジプトにおけるアメン神とはどういうものだろうか。
アメン神:エジプトの古都テーベ(現ルクソール)の街の8柱神の中のひとりで、7人のテーベ出身の王が君臨した第12王朝初代アメンエムハトの時代に、主神として優勢になった。なおこの神への信仰が頂点に達するのは第21王朝で、この時、アメン大司祭ヘリホルが自らファラオを宣言することになる。
さて、アメン神の実体だが、その姿と名は決して明らかにはされなかった。本名の刻まれた本体は、冥界の奥深くに眠っているとされた。そこでこの神の秘密に伝わる名称は、『隠されたもの』と呼ばれる。神像では羊の姿で現されることもあるが、多くは王冠をかぶった男性像である。
この「隠された神」という状況は、ヤハウェの性質と近似しているのが、不思議だが・・。。
そこで、こうしたアメン神を呪いの対象とするものといえば、アテン神を信仰するもの以外には見当たらない。第18王朝8代トトメス4世から10代のアクエンアテンにかけての3代の王は、アメンの神官団の専横や横暴に怒り、それを廃してアテン神の信仰に国民を導こうとした。とくにアクエンアテン王の16年間は、都もアテンの地平線と呼ばれるアケトアテン(エルアマルナ)に遷都し、そこを中心にアテン神信仰を広げようとした。
アテン神とは、太陽神ラーが、地平線から昇るときと、沈む時に呼ばれる別称で、そのアテンは単数形の一神であり、「地平線で歓喜する、二つの地平線の支配者」と呼ばれる。神アクエンアテンが起草したアテン賛歌には、以下の言葉が綴られている。
「あなたは天の地平線から美しく現れ出でる。生きるアテン。生命を生み出した者よ。
あなたは東の地平線から昇り、あなたの美しさで全土を充たした。・・あなたが西の地平線に沈むと、大地は闇の中で、死んだようになる。・・・あなたの行うことの何と多いことよ。それは(人々の)視界から隠されている。
唯一の神。それ以外存在しない者。あなたは一人で、あなたの心のままに大地を創った。
人類、大家畜、小家畜、地上にいて、その両足で歩むすべてのもの、空中にいて、その翼で飛ぶもの、カルウとクシュの国々、エジプトの国を創った。・・・
あなたは私の心の中にいる。あなたの息子であるネフェル・ケペル・ラー=ウワ・エン・ラー=アクエンアテン以外に、あなたを知るものはいない。あなたは彼に、あなたの計画とあなたの力を知らせる。」
アテン神以外の神々を「迫害」するために、例えば前王のアメンヘテプ3世の名前の、アメンの文字を削ることまでもなされた。そして、唯一神としてのアテンが賛美された。
太陽神ラーと地平線のラーは同一なのに、なぜ地平線のラーをアテンと呼んで、信仰するようになったのか。確かに地平線の太陽は、頭上にあるものと比べると、より美しくなる。サンセットビューが好まれるのは、美しさによるものであり、また太陽を直接眺めることができることにある。頭上にあるものは、眺めると目を傷め、さらに、なによりも灼熱過ぎて、暑すぎる。アフリカの一部では、太陽は「悪魔」と信じる部族もいるほどだ。とすれば、太陽神ラーを崇拝することは変わらないが、頭上にある間はマイナスイメージなのでそれを拒否して、地平線に近い時間帯のラーを崇拝することで、より美しく崇高な気品をそこに見出したのだろう。それにアテンという名前をつけて、新しい信仰としたのだ。砂漠地帯にいる遊牧民は特に、日中の太陽からは衣で身を隠して忌避し、朝夕の太陽は尊重したのではないか。
ただし、このアテンの神と、モーセがシナイ山で崇めたイスラエルの神は、類似点もさることながら、性格的に歴然とした違いもある。
類似点:・唯一神 ・創造神 ・民の代表者ひとりを通じて意思疎通 ・アメンを呪う
相違点:・人間のように話しかけ、動き、食事し、感情をもち、部下(使い)をもち、それぞれの国の住民を生かし恵みの光を 与えるアテンに対し、自国民だけを保護するイスラエルの神。
ただ、こうした共通点を拾い上げると、モーセがシナイ山で目論んだのは、エジプト時代のアテン信仰を底流として、その唯一神の大枠をもとに、あとはイスラエルの民族神としての特徴を付加して、「生ける神」を創造しようとしたのだろうか。
とすれば、エジプトの主神だったアメンを誹謗することは、イスラエル民族の悲惨なエジプト時代を振り返ることと、アテン信仰を達成できなかった悔しさを晴らす2重の意味が含まれているのだろう。
また一方では、シナイ山で民はモーセの留守中に、子牛のアピスに回帰して帰依しようとしていた。そこにはエジプト在住時代の神に、親しみを持ち続けている面も見えるのだが、ただアメン神には呪いの感情しかない、ということになるのだろうか。
そうすると、アメン神をここまで呪いの対象にしようとする背景には、間違いなく、アメンを敵視したアテン神信奉者の存在があるのではないか。エジプトを命からがら逃げ出した一行には、改革の夢破れて再起を図りたいアテン神信奉者がいて、そこでシナイ山においてアテンの一神教を基礎に、「生ける神」を創造し、民をその信仰の元に結集して、やがてパレスティナの地域へ侵攻を図り、その地に一神教の王国を創り上げたい、というのが彼らの求めた筋書きなのだろうか。
その教義にあたる律法を示すにあたり、愛と平和のアテン神の信仰は、砂漠に追われた環境の中では、戦争と厳しい律法の教えに変革していったということだろう。
申命記の29章でモーセは「わたしがあなたがたの神、主である」と宣言して、この出エジプトを総括し、そして民に遺言するのだが、そのあと、どこへ行ったのか
さて、そこでこうしたヤハウェの律法を守らないならばどうなるのだろうか、28章でモーセは語る。
「あなたが、あなたの神、主の声に聞き従い、命じるすべての戒めを守り行うならば、祝福はあなたに臨み、あなたを頭とならせ、尾とはならせないだろう。多くの国民に貸すようになるが、しかし主の声に聞き従わないときには、あなたはのろわれ、疫病を身につかせ、ついにあなたを滅ぼすだろう。・・(このあとあらゆる悪い結果が語られる)
・・あなたもあなたの先祖も知らない国に移され、木や石で造った他の神々に仕え、そうすると、地の果てから一つの民を攻め来たらせ、その言葉を知らない民、顔の恐ろしい民であって、・・敵に囲まれて、あなたは息子・娘の肉を食べ・・主は地の、このはてからかのはてまで民を散らし、あなたを船に乗せ、再び見ることはないといった道によって、エジプトへ連れ戻す。」
29章でモーセは言った「わたしは40年の間、あなたがたを導いて荒野を通らせたが、・・こうしてあなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であることを知るに至った。・・主の契約と誓いとに入ろうとしている。これは主が、あなたを立てて自分の民とし、またみずからあなたの神となられるためである。・・わたしはただあなたがたとだけ、この契約と誓いを結ぶのではない、きょうここで、我々の神、主の前にわれわれとともに立っているもの、ならびに共にいないものとも、結ぶのである。・・主を離れて、ほかの神々にに行って仕えるならば・・ソドムとゴモラの破滅のように、主はこの地に怒りを発し・・」
ここでは、翻訳上の間違いなのか、それとも原文の字句通りなのか、不思議な文章が綴られている。「モーセは言った『わたしはあなたがたを率いて荒野を歩いたが、こうしてあなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であることを知った』」
つまり、モーセ自身が、神であり主である、ということを意味しているのだ。これはついに、ポロリと本音が漏れたのか、それとも翻訳の字句上のミスということなのか。民は一度たりとも主なる神を目撃していない。声も聞いていない。それは濃い雲の中だったり、雷の音だったりしている。
その自然現象を(?)モーセが民に、神の意思として通訳していたのであろうか。聖櫃の石板も、2度目はモーセが自分で作った、といっている。だから神には、普遍的な人類愛などは縁がなく、イスラエル民族だけの利益を援護し、神に盲目の忠誠を尽くす者のみを可愛がる。そうしたところは人間の負の面を表していて、いたって人間の感情そのままである。
ただし、神の出現はすべて自然現象かというと、一部には「得体の知れない『主なる神、あるいは、み使い』」が出没し、動き回っているのも事実だ。とすれば、モーセの神とは、モーセがシナイ山で出遭った、得体の知れない存在(人間型爬虫類?)で、それが持っている科学的知識と力を利用することで、「イスラエルの神伝説」をつくり、その伝説の中で、永年のアテン神信仰と民族教育を行い、排他的な民族経典を纏め上げていった、というのが、真実ではなかろうか。つまりモーセは演出家であり、ヤハウェ神はモーセに憑依した霊体なのだろうか。
もうひとつは、モーセがヤハウェと共同でこの出エジプトを成し遂げて来たが、その事業の責任者はあくまでも「いいだしっぺのモーセ」であり、ヤハウェは「逃亡事業」を助けてくれる補助者だ、という認識を、モーセは抱いていたのではなかろうか。だから民が契約する相手はモーセそのものであり、「主なるヤハウェ」の役割は、この段階ではもう終わったのだ、ということを暗に示唆してはいないか。そしてそんなモーセの認識に対してヤハウェは怒り、ネボ山での死を求めたのではなかろうか。
モーセの遺言は続く。
「心をつくし、精神をつくして、主の声に聞き従うならば、・・たといあなたが天の果てに追いやられても、あなたの神、主はそこからあなたを集め、そこからあなたを連れ帰られるであろう。・・見よ、わたしはきょう、命と幸い、及び死と災いをあなたの前に置いた。すなわちわたしは、きょう、あなたにあなたの神、主を愛し、その道に歩み、その戒めと定めと、おきてとを守ることを命ずる。・・」
(こうした文言には、律法と定めの大半はモーセが創ったものであり、それを神に代わってイスラエルの民に、モーセが与えたのだ、というニュアンスが感じられる。つまり膨大な律法の大半は、民が荒地を流浪していた40年(?)の間にモーセ自身が創作して、記述したものなのだろう。だから、「わたしがあなたの前に戒めと定めを置く」という言葉がでてくるのだ。
そして、モーセは彼らに言った。
「わたしはきょう、すでに120歳になり、もはや出入りすることはできない。また主はわたしに
『おまえはこのヨルダンを渡ることはできない』と言われた。・・
あなたの神、主は自らあなたに先立って渡り、あなたの前から、これらの国々の民を滅ぼし去って、あなたにこれを獲させられるだろう。・・7年の終わりごとに、イスラエルのすべての人の前で、この律法を読んで聞かせなければならない。」
モーセがこの律法の言葉を、ことごとく書物に書き終わった時、モーセは主の契約の箱をかつぐレビびとに命じていった。「この律法の書をとって、あなたがたの神、主の契約の箱のかたわらに置き、その所であなたにむかってあかしをするものとしなさい。」
続いてモーセは、イスラエルの全会衆に次の歌の言葉を語り聞かせた。
「天よ、耳を傾けよ、わたしは語る、地よ、わたしの口の言葉を聞け・・主の分はその民であって、ヤコブはその定められた嗣業である、主はこれを荒野の地で見出し,獣の吼える荒地で会い、これを巡り囲んで労わり、目のひとみのように守られた。・・主はただ一人で彼を導かれ、ほかの神々はあずからなかった・・しかるにエシュルンは肥え太って、足でけった。自分を造った神を捨て、救いの岩を侮った。彼らは神でもない悪霊に犠牲を捧げた。それは彼らがかって知らなかった神々、近頃出た新しい神々、先祖たちの恐れることもしなかった者である。主はこれを見、その息子、娘を怒ってそれを捨てられた。そして言われた。
『わたしはわたしの顔を彼らに隠そう。わたしは彼らの終わりがどうなるかを見よう。・・』
ヤハウェはモーセに言われた
「あなたはモアブ゙の地にあるアバリム山すなわちネボ山に登り、私がイスラエルの人々に与えて獲させるカナンの地を見渡せ。
あなたは登ってゆくその山で死に、あなたの民に連なるであろう。・・
これはあなたがチンの荒野にあるメリベテ・カデシの水のほとりで、わたしにそむき、
イスラエルの人々のうちでわたしを聖なるものとして敬わなかったからである。」
そして最後の34章で、モーセの最後が伝えられている。
「モーセはモアブの平野からネボ山に登り、エリコの向かいのピスガの頂へ行った。そこでヤハウェは約束のカナンの平野を指し示した。『わたしが誓った地はこれである。あなたはそこへ渡って行くことはできない。』
こうしてモーセは主の言葉どおりに、モアブ゙の地で死んだ。主は彼をモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はいない。死んだ時、目はかすまず、気力は衰えていなかった。イスラエルの人々はモアブの平野で30日の間モーセのために泣いた。
目もかすまず、気力も衰えない(元気な)者が、いきなりネボ山の頂で、神を聖なるものとして敬わなかったために死んだ、ということは、神によって殺された、ということではないか。モーセは、神の仕事を手伝い、獅子奮迅の活躍をしてきたが、ただひとつの失敗(それも余分の言葉を漏らしただけのこと)により、神より死を賜ることになった。
しかも、モーセの出番がなくなり、もう役に立たなくともいい頃に、始末されることになった。そしてその墓は秘密のうちに処理され、後世誰も参ることができない。アブラハムや先祖は、それぞれ墓地が指定され、それは現在にまで伝わっている。
しかしイスラエルの民族にとって最大の英雄であり、功労者であり、民族の創造者とでもいうべき立場のモーセが、神によって処刑され、その墓地も知らされない、あるいは葬られたのかどうかも定かではない。これはいったいどういうことなのだろうか。
● いくつかの考え方があるが、まず@には、モーセが自ら引退し、ネボ山の周辺で隠遁した、という見方。カナンの地へ一緒に入りたいのはやまやまなのだが、第一世代は全員、荒野の骨となったことでもあるし、自分だけが目的地へ行くのは気が引ける。ここは次の世代に任せて、行く先を見守っていたい、ということで集団を離脱した、という見方。
しかしこの説だと、それでは家族や近親者が何故モーセにつき従わなかったのか、が理解できない。高齢の老人一人を置いて、皆が行ってしまうだろうか。ネボ山のふもとには誰かが残るだろうし、そうすればそのことが記録に残り、その人たちが死体も発見し、墓も創るだろう。
Aの説では、モーセ自体が架空の人間だった。エジプトを出て、荒野を放浪し、幾多の試練を乗り越えてきたイスラエルの集団がいくつもあって、その集団ごとに長老たちの指導があったものの、特定の統一した指導者はなく、そうした集団の言い伝えや伝説を後世まとめてひとつの本にするときに、物語作家がモーセという強力な指導者像を創り上げたのである。最後にカナンへ侵攻するところからは、歴史時代に入るので、実在の人物ではないものがそのまま描かれれば、いずれバレルので、あえてカナンへ入る前に始末をつけたのである。
この説の問題点は、それならモーセをもっと偉大で、完璧な指導者として描けばよいのではないか、ということ。出エジプト全編でもモーセの弱さがいたるところに出てくるし、そのあとの記録でもモーセの失敗は多い。そして優れた作家だと、最後のくだりは、偉大なるモーセが神とともに天に昇る姿を描きたくなるのではないか。これこそイスラエル民族の誇りである、というように。
しかし聖書では、最後は神によって失踪させられるという、不思議な結末となるのだ。しかも聖書の言葉は恨みがましく、「目もかすまず気力も衰えていなかったのに、(なぜ死なねばならないのか?)」と付け加えている。これは当事者でないと言い切れない、神に対する一種の抗議の文章ではなかろうか。だからこのモーセ物語は、誰かによって書かれた創作の英雄譚だ、というのは的を得ていないのではないか。
Bは、モーセの強圧的な律法支配が民衆の反感を買って、モーセに対する反乱が起きて、モーセは殺害されたのだ、とする説。この場合の殺害はネボ山で行われたのではなく、シナイ荒野を放浪中に発生していて、その断片がやはり歴史的事実に基づき、モーセは詰め腹を切らされたのだという説。そしてモーセを死に追い込んだのは、得体の知れない「主なる神」というもので、そのいきさつをモーセから聞かされているので、そのまま34章を書き加えたのである。
なにしろ言葉は絶対に、一字一句変えてはならず、7年ごとに全文を読み上げねばならない。そのために専任の暗誦者がいただろうし、羊皮で作った巻物も存在していた。だから後世内容を書き換えることは、犯罪どころか、神に対する冒涜で、信仰者として絶対してはならないことであった。だから、この記述のままを事実と見るのが正しいのではないか。
すると、モーセと主なる神の特異な関係が見えてくる。モーセと神の確執、互いに利用しあう関係、主導権を取り合う関係、民からの賞賛を競い合う関係、そして君臨するものとひれ伏すものの関係。
この神は「民族の神」としての絶対的信仰を要求し、犠牲を強要し、敵にも味方にも、冷酷で残忍で苛烈な態度をとる。モーセとその信奉者にしてみれば、エジプトからの脱出と祖国復帰が目的だったのだが、シナイ山でこの神に遭遇し、その支援を仰いだばかりに、藪蛇ではないが、とんでもないものに魅入られた、ということではなかったか。「こんなはずではなかった!」
したがって、シナイ半島放浪の40年には、神に対する民の不満や不信が数多く現われただろうが、とうとう最後にはあきらめていいなりとなることで、マインドコントロールされたということなのだろう。しかしそれでも言葉の端々にはつい本音が出てしまう。その最後の言葉が、「目はかすまず、気力は衰えてはいなかった」という、ささやかな抵抗ではないのか。
永年の功労に報いることもなく、100の忠勤がありながら、ただひとつの「ささいな」落ち度を取り上げて、冷然とこのような仕打ちを、平気で成し遂げるのが、この「主なる神ヤハウェ」なのだ。 ●
