19.ダビデとソロモン王、そしてイザヤまで
引き続いて、ユダヤの歴史を追う中で、ヤハウェがイスラエル民族に、どういう干渉をし続けたのかを、点検して行こう。
ダビデ王は年老いて、夜具を着ても温まらないので、イスラエルの領土からあまねく美しい娘を探して、アビシャグを得て、王の付き添いとさせたが、王は彼女を知ることはなかった。ダビデの子アドニヤは王となろうと決心して、自分の兄弟たちと王の家来をことごとく「へびの石」の傍らに招いた。そこでバテシバはダビデに面会し、ソロモンを次の王とする約束を果たすように迫った。そこへ預言者ナタンもやってきたので、ダビデは祭司ザドクと家来を連れて、ギホンでソロモンに油を注ぎなさい、と命じた。こうしてソロモンは王となり、アドニヤは許しを請うた。
ダビデは死に臨んで、ソロモンにヨアブの措置などを遺言して、死んだ。そののち、アドニヤはバテシバを仲介してソロモン王に、アビシャグを妻にしたい、と申し出た。しかし、ソロモンはアドニヤを撃って殺した。するとヨアブは自分が危ういと思って、主の幕屋に逃れた。そこでソロモンは部下に命じて、ヨアブを撃ち殺させた。ほかにシメイも撃ち殺した。
ソロモンは高いところで主に犠牲を捧げた。主は夢の中で「何を与えようか、求めなさい。」といったので、ソロモンは「民を裁かせ、善悪をわきまえることを得させてください、」と答えた。これは主の心にかなった。「見よ、わたしはあなたの言葉に従って、賢い英明な心を与える。」
こうして二人の遊女と一人の子の裁きの話しが生まれるのである。
そしてソロモンの財産とその豊かさや栄華の数々が綴られるが、やがてツロの王ヒラムが、主の宮を建てるのに、力を尽くすことを申し出たことから、神の宮と王宮を建て始めることになる。すべてが完成した時に、ソロモンは主の契約の箱を、ダビデの町・シオンから、主の宮へかつぎあげた。そしてソロモンは主に呼びかけて、長い祈りの言葉を発した。するとヤハウェはソロモンに語った
「わたしはあなたが立てたこの宮を聖別して、私の名を永久にそこにおく。あなたが全き心で、正しくわたしの前を歩むならば、王たる位を長く確保するであろう。」
あるとき、シバの女王はソロモンの名声を聞いて、難問を持ってソロモンを試みようと訪ねてきた。そしてソロモンの智慧に驚嘆し、贈り物を捧げ、またソロモンもシバの女王に贈り物をした。全地の人々はソロモンの神の英知を聞こうとして、様々な贈り物を携えてやってきた。
主はかって「異国の女と交わってはならない。その女は必ずあなたがたを異国の神に向かわせるからである。」といったが、ソロモンは異国の女も含めて、1,000人の女を持った。それで、ソロモンの支配を覆そうと、エフライム人ヤラベアムなどが立ち上がった。ヤラベアムはソロモンから逃れて、エジプトの王シシャク(シェションク1世は前945〜924, シェションク4世は前793〜787)の下へいった。ソロモンは40年治めて、死んで葬られ、その子レハベアムが王位についた。
注:ダビデ王の即位が前814年とすると、ダビデは40年統治したとあるので、ソロモンの治世は前774年〜前734年となる。となると、ヤラベアムがエジプトのシシャクの下へ行ったのは、シシャク4世の時代ではないか。とすれば、ソロモンの治世はもう15年ほど、繰り上がることになる。すなわち前790年〜前740年が妥当か。
ヤラベアムと人々はレハベアムのところへきて、父上の重い頸木を軽くしてください、といったが、レハベアムは長老の助言を入れずに、なお重くしよう、と返答した。するとイスラエルの民はレハベアムを離れた。ヤラベアムはイスラエルを立てたが、民がエルサレムへ巡礼し、いづれユダの国レハベアムに戻ることを恐れ、民に二つの金の子牛を造り、「あなたがたはもはやエルサレムに上るには及ばない。あなたがたをエジプトから導き上ったあなた方の神を見よ。」そしてそれを、ベテルとダンの高いところに置いて、礼拝した。
注:ここでも金の子牛が登場する。出エジプトから5百数十年が経過してもなお、イスラエルの民衆は、ヤハウェが子牛の姿をしていたと、伝承してるのだ。これはどう解釈したら良いのか。メソポタミアを始めエジプトでも、主な神々は人間の姿をしている。砂漠の民に信仰されたバール神(ミトラ神)なども、牛の角を持っているがその姿は人間である。
神の人が主の命令により、その金の子牛の据えられたベテルにやってきた。「祭壇よ、主は仰せになる『見よ、ダビデの家に一人の子が生まれる。その名はヨシュア。彼はお前の上で香をたき、祭司をお前の上に捧げる。また人の骨がお前の上で焼かれる。』」
ヤラベアムは、子供が病気になったので、預言者アヒヤのもとへ妻をさしむけ、容態の如何を問わせた。するとアヒヤは「ヤラベアムの家は絶たれ、イスラエルには別の王が立ち、そののちイスラエルはこの地から抜き取られ、ユフラテの向こうに散らされるでしょう。アシラ像を造って主を怒らせたからです。」ヤラベアムは22年治め、その子ナダブが王となった。レハベアムもまた、17年エルサレムで治めたが死んで、その子アビヤムに代わった。
3年後にはアビヤムの子アサが王位につき、41年治めた。アサの3年目にナブタはイッサカルの家のバアシャが謀反を企て、ナブタに代わって王となり、ヤラベアムの家を一人残さずことごとく滅ぼした。そして24年イスラエルを治めた。
しかしこのバアシャもまた主の前に悪を行った。バアシャの子エラが代わって王となって2年治めた。
アサの27年に、家来のジムリが背き、エラを撃ち殺して、王となり、バアシャの全家を殺し、ひとりも残さなかった。このあとジムリも殺され、次に2人が立って・・と歴史は続く。ユダのアサの38年にアハブがイスラエルの王となったが、バアルを拝み、アシラを造った。
ときにギレアデのテシベに住むエリヤに主の言葉が臨んだ。最初は川の水とカラスに養われ、やもめ女に養われた。そのやもめの家の甕の粉と油はつきなかった。また、その家の男の子の命を、生き返らせた。3年目に主の言葉がエリヤに臨んだ。そこでエリヤはアハブに会いに出かけた。そして、バアルとアシラの預言者それぞれ450人を呼び、祭壇に火をつけずに、神の名だけを呼ばわって火をつけられるか、競った。しかしバアルの方は火がつかず、エリヤのほうには神の火が襲った。そこで民はバアルの預言者をすべて殺した。
アハブの妻イゼベルはエリヤを殺しに行くと告げたので、エリヤはベエルシュバの荒野に逃れ、主に自分の死を求めて祈った。すると夜半、主の使いが現れ、パンと水を与えた。それでエリヤは40日40夜行って、神の山ホレブについた。その山の洞穴で宿ったとき、強い風が吹き、山や岩を砕き、地震もあったあと、主の言葉が臨んだ。「道を帰って、ダマスコのハザエルに油を注ぎ、スリヤの王として、またエヒウに油を注いでイスラエルの王としなさい。また、エリシャに油を注いで、あなたに代わって、預言者としなさい。」
エリヤはイスラエルの王アハジヤの招請を拒否し、使者の兵士50人を2度にわたって、神の力で焼き殺させた。そして3度目には、王の下に出向き、その死を予言したが、それは事実となった。
エリヤとエリシャが語っていた時、火の車と火の馬が現れて、二人を隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天に上った。そのあと、エリヤの霊がエリシャに留まって、エリシャの力になった。エリシャは死んだ子供を生き返らせたり、民の中で困っている人々に、数々の奇跡をもって助けた。その奇跡はあまりにも多く、それはすべて「わたしの仕えている主は、生きておられる」その神からの力だという。
この後、列王記は歴代のユダの王、スリヤの王、イスラエルの王の事跡の記録を連綿と綴ってゆく。その中には「ヤハウェの言葉に忠実な」ヨシヤ王も登場する。
このあと、20章では預言者イザヤが登場する。その後、最終章ではバビロンの王ネブカドネザルが登場し、エルサレムを征服したのち、ユダの人々を捕囚としてバビロンへ連れ去った。
続いて、エズラ記となるが、そこでは、ペルシア王クロスにより、イスラエルの捕囚は70年を経て、エルサレムに帰還を許された話となる。エルサレムに帰還した民は、再び主の宮の建設を始める。この宮はダリヨス王治世6年に完成した。なおこの10章では、イスラエルのうちで、異邦の女を娶ったもののリストと、その妻子を離縁して神の許しを請う話が出てくる。
また続いてネヘミヤ記ではネヘミヤが荒廃したエルサレムを悲しむ。そして王に願って、エルサレムの復興に派遣を要望した。そして、民を動員して、石垣を再建しようとした。城壁は52日で完成した。
次のエステル記はユダヤの娘エステルが王妃となり、ユダヤ人のために活躍する話となる。
また、ヨブ記では、神とサタンの狭間で試練を受ける信仰厚き正しい人、ヨブの話が綴られる。
神の前に正しい人とされるヨブがいた。そこでサタンと神が、ヨブの信仰心を試すことになり、ヨブの財産や子供たちを皆殺しにした。しかしヨブは「裸で元に戻ろう、主が与え、主が取られたのだ、主のみなはほむべきかな」と主に苦言をいわなかった。
また、ヨブの身体に腫れ物をもたらした。しかしヨブは苦言を言わなかった。こうしてヨブの過酷でかつ苦難に満ちた人生が綴られてゆく。
ヨブの自分を呪う言葉。ヨブの友人の激励の歌。それに対するヨブの返歌。友人の歌。そしてヨブの神を讃える歌。「彼はただひとり天を張り、海の波を踏まれた。彼は北斗、オリオン、プレアデスおよび南の密室を造られた。・・」そして友人の歌。ヨブの神を恐れる歌。友人の歌。絶望に耐え忍ぶヨブの歌。
こうしてヨブと友人たちの歌のやり取りが続いたあと、主がつむじ風の中から、呼びかけた。「わたしはあなたに尋ねる、私に答えよ。・・あなたはなお、わたしに責任を負わせようとするのか。あなたは私を非とし、自分を是とするのか。あなたは神のような声でとどろきわたることができるのか。・・」とヨブを詰問する。そして最後に、
「あなたはつりばりで鰐をつり出すことができるか。・・これが全身と、その著しい力と、その美しい構造について黙っていることはできない。地の上にはこれと並ぶものはなく、これは恐れのないものに造られた。これはすべての高きものをさげすみ、すべての誇り高ぶるものの王である。」.と、鰐への賛美が執拗に展開する。
ここでもヤハウェの神は、神の信仰心をテーマに試練に遭遇しているヨブに対しても、なんの思いやりもなく、気づかいもない。あまつさえ、神に責任を負わせようとするのか、とヨブを叱咤し、責任逃れを試みている。そして人間よりも、ワニのほうが美しく、素晴らしいと讃えるのだ。
こうした爬虫類への高い賛歌というのは、単なる詩篇を超えて、そこにこそ、このヤハウェなる悪霊の大いなる秘密が隠れているのではなかろうか。
イザヤは紀元前8世紀後半の預言者で、激動の時代を生き抜いた。そして幻の中で
ヤハウェの言葉を聞き、それを民に伝えた。そしてアークの行方は?
イザヤが見た幻
「天よ聞け、地よ傾けよ。主が語られた『わたしは子を養い育てた。しかし彼らはわたしにそむいた。・・あなたがたがささげる多くの犠牲は、わたしになんの益があるか。・・あなたがたの手は血まみれである。・・
わたしはわが敵に向かって憤りをもらし、わがあだに向かって恨みを晴らす。・・』と激烈である。続いて、
「終わりの日に次のことが起こる。主の家の山は、もろもろの山のかしらとして堅くたち、多くの民はきて云う『さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。』主は諸々の国の間に裁きを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。」
そして終わりの日では、「主が審判の霊と滅亡の霊をもって、シオンの娘らの穢れを洗い、エルサレムの血をその中から取り除かれるとき、シオンに残る者、エルサレムに留まる者、すべてエルサレムにあって、生命の書にしるされたものは、聖なる者と称えられる。そのとき主はシオンの山のすべての場所と、そのもろもろの集会の上に、昼は雲を造り、夜は煙と燃える火の輝きとをつくられる。」
またイザヤの見た幻では、「ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高く上げられた、御鞍に座し、その衣の裾が神殿に満ちているのを見た。その上にセラピムが立ち、おのおの6つの翼を持っていた。その二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び翔り、互いに呼び交わして言った
「聖なるかな、万軍の主、その栄光は全治に満つ。」その呼ばわっている者の声によって、敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。このときひとりのセラピムが火箸をもって、祭壇の上から取った炭を携え、わたしの口に触れて言った
「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの罪は許された。」わたしはまた主の言われる声を聞いた「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか。」その時私は言った「ここにわたしがおります。・・」
主、万軍の主は定められた滅びを全地に行われる。それゆえ主は言われる「シオンに住むわが民よ、アッシリヤ人がむちをもってあなたを打ち、杖を上げてあなたを責めても、彼らを恐れてはならない。しばらくして、わが怒りは彼らを滅ぼすからである。・・」
見よ、主の日が来る。残忍で、憤りと激しい怒りとをもってこの地を荒らし、その中から罪びとを断ち、滅ぼすために来る。天の星とその星座とはその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない。・・
そしてバビロンについての予言をする。「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。諸々の国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。あなたは先に心のうちに言った。『わたしは天に上り、わたしの王座を高く神の星の上に置き、北の果てなる集会の山に座し、雲の頂に登り、いと高きもののようになろう。』しかしあなたは陰府に落とされ、穴の奥底に入れられる。」
イザヤは各地の都市や国家についての託宣を繰り広げたのちに、その最後の日を予言する。
「その日、主は堅く大いなる強い剣で逃げるへびレビヤタン、曲がりくねるへびレビヤタンを罰し、また海におる龍を殺される。・・その日、主はユフラテ川からエジプトの川にいたるまで、穀物の穂を打ち落とされる。そしてあなたがたは、ひとりびとり集められる。大いなるラッパが鳴り響き、アッシリヤの地にある失われた者と、エジプトの地に追いやられた者とがきて、エルサレムの聖なる山で主を拝む。」
36章からは、それまでの箴言の詩文が一転して記録文書となり、アッシリアとの戦いを伝える。
アッシリヤの王は使者をユダの王ヒゼキヤに遣わして言った。「どうしてあなたは救われることができようか。わたしの先祖たちは、ゴザン、ハラン、レゼフおよびテラサルにいたエデンの人々を滅ぼしたが、その国の神々は彼らを救ったか。ハマテの王、アルパデの王、セパルワイムの王、ヘナの王、およびイワの王はどこにいるか。」・・・
それゆえ、主はアッシリヤの王について、こう仰せられる。「私は自分のため、なた、私の僕ダビデのために、町を守ってこれを救おう。」
主の使いが出て、アッシリヤ人の陣営で185,000人を撃ち殺した。人々が朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。
アッシリヤの王セナケリブは立ち去り、帰っていったが、ニネベの神殿でニスロクを礼拝していたとき、その子らに剣で殺された。
ここではアッシリア王の言葉に注目したい。ゴザン、ハランなどの土地の名が出てくるが、いずれも北シリアの町になるが、そこの住民の先祖はエデンからやってきた、ということなのだろうか。とすると、エデンというのは、ひとつの国のような規模で、文明的にも相当進んだ社会生活ができるところだったのか、その黄金時代の記憶が、周辺民族に残ったのだろうか。
続いて、そのアッシリア王の軍隊を壊滅させたヤハウェの戦果が謳われる。この時の戦闘は全く特異な成り行きで、こんなふうに神が直接、異邦人の軍隊を殲滅したのは、聖書の記録の中ではこれが唯一ではないか。アッシリヤ人をどうやって、夜のうちに撃ち殺したのか。病気や食中毒ということでもなく、皆死体になっていたというのは、どういう殺し方だったのか。
この戦闘に関係するものとして、シリア語バルク黙示録63があるが、そこには、真理の幻を司るレミエルという天使が言った言葉が出てくる。「全能者は天使レミエルに命を発せられた。そこでわたしは出陣し、指揮官の数だけでも、185,000にのぼり、そのまたおのおのがそれと同数の兵を率いているという大軍を滅ぼした。わたしはそのとき、彼らの内側の肉体を焼き、外側の軍服や武具は保存しておき、全能者の不思議がいよいよもって明らかになり、かつ彼の名が全土に唱えられるようにした。」
これはまさしく中性子爆弾を使った核攻撃ではなかろうか。こうして直接敵を殲滅できるのであれば、最初からイスラエルの敵であるすべての民族を、神は一晩で撃ち殺せば、聖書も数ページで済んだのだが。
38. 主の言葉がイザヤに臨んで言った。「行ってヒゼキヤに言いなさい『あなたの主は、あなたの祈りを聞いた。あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたの齢を15年増そう。あなたとこの町を、アッシリヤの王の手から救い、この町を守ろう。主は約束されたことを行うことの、しるしに見よ、
わたしはアハズの日時計の上に進んだ日陰を、10度退かせよう。』」すると、日時計の上に進んだ日陰が、10度退いた。
10度というのは、10回なのか、10度の角度か、角度ならば30分戻るということだが、10回ならば、その日の地球は10回戻ったことになり、自転が瞬間的に10回止まって逆回転したということか。それは物理的にありえない。するとこの10度引いたというのは、なにか手品のようなものを見せたということか。
40章では、呼ばわる者の声がする「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。・・」声が聞こえる「呼ばわれ」
私は言った「なんと呼ばわりましょうか。」「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。
主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。しかしわれわれの神の言葉はとこしえに変わることがない。」
あなたがたは知らなかったか。あなたがたは聞かなかったか。初めから、あなたがたに伝えられなかったか。地の基を置いたときから、あなたがたは悟らなかったか。
「主は地球のはるか上に座して、地に住む者をいなごのように見られる。」
イザヤに言わせれば、神は人間を「いなご」のように見ている、ということだ。そこには人間に対する慈愛や思い入れもなく、ただ、虫けらの一種類としてしか感じず、従ってその1匹1匹は、自分の目的を果たすための「駒」であり、何万匹を一挙に抹殺しても、痛痒を感じない。人間ならばそうした虐殺には、敵味方を問わず悲惨さを感じるが、この主なる者は、そうした感情が生じない種類のものたちなのだ。
ただひとつの関心は、自分を讃えて「自分の民が」常に犠牲を捧げてくれることと、自分を「最高の神」として認めさせ、異邦人がその神を捨てて自分にひれ伏すことであり、そうでなければ、その異邦人たちを殺しつくすことに喜びを見出すものたちなのだ。
こうした性質、性向、というのは、人間のようなものからは生まれず、これはやはり、「爬虫類」のようなものなのか、あるいは非常に暗い世界からやってきたものたちが、人間よりも数段先に進歩していて、その科学力を武器に、自分たちの種族を維持しようと、動き廻っているのではないか。
自分たちを讃えさせながら、このものたちは「姿を見せず」「名前も名乗らない」が、これには何か理由があるのではないか。例えば、「地球にやってきた外来のものは、地球の生物に介入してはならない」といった宇宙法があり、そうしたものに抵触しないために、身元を隠し、ひそかに人間の代理人を通じて、その歴史に介入しようとしている、ということもあるのではないか。
またアッシリヤ軍をせん滅した武器だが、ここに登場するものは明らかに中性子爆弾に類似している。武具はもちろん軍服でさえ、全く損なわれずに、中身の人体だけが焼けて殺される。ブリタニカによれば、中性子爆弾では、爆心より800mの範囲で人間は即死するが、物理的破壊は爆心130mを除いて起こらない、とある。もしこうした核兵器をもっていたのならば、7-800年遡ってモーセの時代からこの武器を使って、ペリシテ人を始め中近東に住んでいるすべての部族を取り除けば、イスラエル建国はもっと早く、スムーズに成し遂げられたのではないか。しかしこの武器は出エジプトの時代にはまだ実用化していなくて、数百年の歳月を経て、ようやく完成にこぎつけたのか。それとも存在していたが、あえて近道を選ばずに、イスラエルの民を鍛えるために、遠回りしていたのだろうか。イスラエルの民はいつもヤハウェの期待を裏切り、その信仰は何度も振り出しに戻っている。人間をイナゴと同列に見なしていたヤハウェだから、この武器があれば、最初からもっと積極的に使用していただろう。とすれば、ヤハウェも手持ちの武器の進化を進めて、ようやくこの段階へ到達したということではなかろうか。
イザヤの美しい詩文は続いてゆく。「わたしは主である。わたしのほかに神はない。ひとりもない。・・わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄を造り、またわざわいを創造する。わたしは主である。すべてこれらのことをなす者である。・・」
イザヤに続いて、エレミヤに神の言葉が臨む。彼の時代に、バビロンの王ネブカドネザルがユダを攻め、人々を捕囚としてバビロニアへ連行した。ユダの王ゼデキヤは子供らを目の前で殺され、自分は両眼をつぶされてバビロンに引かれていった。70年の間、民はバビロンで暮らした。2年で返されると民に語った預言者ハナニヤは、ヤハウェの怒りを買い、殺された。ヤハウェはネブカドネザルの頸木を、木から鉄に代えて捕囚期間を長くする、とエレミヤに伝えた。そしてエレミヤもまた、バビロンへ民と共に移った。このエルサレム崩壊のときに、アークとその中のものは、エレミヤによって、地の深くに隠されたということが偽典「エレミヤ余禄」「預言者の生涯」に記されている。
エレミヤは語った。「主よ、ご覧下さい。今わたしどもは、あなたが町を敵の手にお渡しになろうとしておられ、民をバビロンへ連れてゆくのだ、ということがわかりました。祭儀の聖器具はどのようにすればよろしいでしょうか。」そこで主は彼に語った。『それらを取り上げて大地にゆだね、こう言いなさい。「大地よ、なんじを造りたもうたお方の声に耳を傾けよ。彼は豊かな水の中になんじを造り、7つの時に7つの封印でなんじを封印したもうた。これらの後になんじはなんじの美しさを手に入れるだろう。神に愛されている民の集まる時まで、祭儀の器具を守るように。」』(エレミヤ余禄)
この預言者(エレミヤ)は神殿が敵の手に落ちる前に、律法の箱とその中に入っているものをとって、それらを岩の中に保管させた。そして供の者たちに言った。「主はシナイ山から天へ昇ってゆかれたが、再び力を持っておいでになる。その来臨のしるしとして、すべての異邦人が木を礼拝するようになるだろう。」「この箱はアロンの他にはだれも取り出す者はない。またその中の板は神に選ばれた者であるモーセ以外には、祭司も預言者もだれひとり開く者はない。復活に際しては、まずこの箱が第一に立ち上がり、岩の中から出てきてシナイ山に置かれる。それから聖者たちはすべて、彼らを殺そうとする敵の手を逃れて、その箱の許に集められて、そこで主を待ち望むのである。」
エレミヤは指で岩に神の名の封印をした。その形は鉄で彫ったもののようであった。雲がその名をおおったので、今日に至るまで、また終末に至るまで、誰もその場所に気付かず、その文字を読むこともできない。その岩は砂漠にあるが、そこは箱が最初にあった場所であり、つまりモーセとアロンが埋葬されているあの2つの山の間の地点である。(「預言者の生涯」)
エルサレムが崩壊して、エレミヤも連行されてバビロンに引き立てられるときに、アークを取り出してそれを運び出す余裕があっただろうか。エルサレム陥落のしばらく前というのであれば、ありうるかもしれないが、そのときには神殿からアークを運び出すエレミヤを見て、王や民が大騒ぎしただろうが、どうもそうした形跡もなさそうだ。アロンはエドムの国境に近いホル山に埋葬され、モーセはネボ山のふもとのモアブの地の谷に葬られた。その中間点といえば、ヨルダン側の死海湖岸のどこかになるのだろうか。
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