最近、体内時計を扱う何人かの生物学者が、7日周期も昼夜の睡眠周期と同様に、生物学的に備わったものである可能性を発見している。その説によると、
人体内の心拍、血圧、感染に対す る反応等の変動など、一部の生体リズムが7日周期で回っているという。移植された臓器に対する拒絶反応の傾向は7日おきに最高点に達するらしい。細菌など、他の有機体にも、この基本的な生体 リズムがあるという。(デイヴィッド・ダンカン「暦をつくった人々」)
1年が365日であるというのは、エジプト文明などからも伝わる常識的な知識であったと思われる。またエジプトの場合は、そこに月の満ち欠けの観測結果を組み合わせて、1ヶ月30日が区分され、12ヶ月が考案された。そして1ヶ月の中は、10日からなる3つの週が組み込まれた。つまり1週は10日単位なのである。360日となるが、残る5日はまとめて1年の最後に付け加えていた。エジプトに永年寄留していたイスラエル人が、こうしたエジプトの1週10日になじまずに、1週7日を生活リズムに用いたのは、どうしてであろうか。確かにヘブル人においては、7という数字にはなにかしら魔力を感じたものか、7や7の7倍49が重要視された。その49年をもって1ヨベルという、イスラエル人独特の単位が生まれている。(もっとも7や49という単位は日本にも存在していて、例えば葬儀のときの初七日や、成仏する49日、753の祝い、など数多い)
さてそれでは聖書の創世記第一章に入ろう。「はじめに神は天と地とを創造された」、からスタートする。その創造の第1日だが、「光あれ」と宣言して、「神」による全ての創造が始まった。この光を昼とし、やみを夜として、日々が始まった、とある。しかし同じように「天の大空に光があって、地を照らす光となれ」と第4日にも言い、昼と夜にそれぞれ大きい光と小さい光(太陽と月)を置き、また星を置いた、という。このように、良く似た内容が1日目と4日目にある。これは原資料の整理ができていなかったのだろうか。それとも「光あれ」の光と、現実の太陽の光とは、光そのものがまったく別物なのだろうか。ここは基本の原点なので、天文学者がいれば本来なら統一したものに書き換えるだろうが、あえて原資料を併用したのには、基本的に「資料=伝承に手を加えない」ということと、メソポタミアあたりからの伝承資料(祭司資料)と、後世「主なる神」(ヤハウエストト資料)の時代に書き加えたものを、そのまま両方を残したということだろうか。
続いて第2日目には、「水のあいだにおおぞらがあって、水と水を分けよ」として、おおぞらの下の水と、上の水を分けた。このおおぞらを、「天」と名付けた。そして第3日には、おおぞらの下の水を一箇所に集め、それを「海」と名付けた、とある。それでは、この上の水というのはなんだろうか。大空に漂う雲から、水が雨となって降り注いだのを見て、大空の上には水の塊が雲となってあるのだろう、と人々は考えて、それをおおぞらの上の水としたのであろうか。それともおおぞらの上の、成層圏の上に膨大な水の層が氷となって存在し、地球を取り巻いているのだ、と観察していたのだろうか。
もし地球を取り巻く氷の層が存在したとすると、おおぞら(天)の上の水つまり氷は、その先どうなったのだろうか。天(成層圏)の上に水の層(これは氷状態)があって、地球を取り巻いている、という状態となれば、太陽系では土星もまた微粒子からなる美しいリングをもっているが、地球を取り巻く氷の環というのは、その土星の輪と似たような美しいリング状態になっていたのだろうか。それとも厚い雲に覆われた金星のような状態だったのだろうか。そこで、その氷が何らかの原因で、もし地上に落ちてくるとすれば、それは地球の生物にとって想像を絶するカタストロフイーになるだろう。その現象がすなわちノアの洪水だということか。となると、上と下の水についての指摘は、先古代の地球の状態を、正しく表現していることになるのだろうか。
たしかに、ノアの大洪水がやってきて、世界中を数千メートルの高さまで(5千m近いアララト山に箱舟が漂着する)覆うのが事実とすれば、そのときの莫大な水の出所が見当たらないのである。地球全体の5000mの山まで埋め尽くす洪水を引き起こす水の量は、自然現象では存在しない。津波ならば数十〜数百メートルのものが襲ってくることもあっただろうが、それは一過性であって、ノアの言うように40日40夜雨が降り注いで、150日の間山々を水が覆った、ということの原因にはならない。洪水伝説が事実に基づくものだとすると、その膨大な水の出所は、このおおぞらの上の水にしかないのではないか。その水が天空で、何らかの力の均衡が崩れたために、地上へ落ちてきたことが大洪水の原因であり、それが洪水伝説の物語とリンクしているのである。そのため大洪水伝説の存在と、上の水の存在とが密接に関係しているのである。
しかしながら、満ち溢れたその膨大な水は、そのあとどこへ行ったのだろうか。5000mの山まで埋め尽くした水の量は、引いて行こうにも行く場所がこの地球上にあるのだろうか。それを説明するとすれば、「大陸移動や地震や火山活動などでアララト山自体が隆起したので、この大洪水のときにはアララト山は500m程度だったのだ」(この説はあり得る話で、現に富士山も有史前はかなり低い山だった)、あるいは、「大洪水前には海の底は500mだったのが、大洪水の水量の重みで今のように数千mになり、その結果山から水が引いたのだ」、などの説明しかできないだろう。そして最後の説明は、「アララト山の5000bまで船が辿り着いた、というのは『白髪3千丈』のたぐいで、単なる絵物語か子供向けの童話として書かれた冗談なのだよ」ということになるのではないのか。洪水は程度の差こそあれ発生していたとしても、5000bへの漂着は多分に物語を盛り上げるためのお話しだったのだろうか。
ただし、最近聞かれた学説に、「大陸移動する前の地球は現在よりもおよそ半分の大きさだったのだが、地球中心部の核活動により圧力が増し、地殻を押し広げてきたのだ」というのがあるが、それだと地球表面の拡大により、その亀裂部分や空白部分に水が移動し、そこが広大な太平洋や大西洋になったのだとすると、なんとなくつじつまが合うのだ。
とはいっても、もし上の水が存在していたとすれば、その頃の地球は半透明のガラスに包まれた様な状態であり、ちょうど土星の輪が卵の殻のように広がっているように見えることだろう。現在、地球の表面には70%の海と30%の陸地が存在するものの、大洪水以前の地球は、海は現在よりも小さく、陸地が今の2倍程度に広がっていたのではないか。70%の陸地と30%の海。その陸地は、温室効果で気温は若干高めだが寒暖の季節の差は少なく、海や川のそばには、豊かな自然が溢れ、植物が巨大に繁茂して、酸素濃度も現在よりは高めとなり、もし人間がいれば知的活動を今よりも活発に働かせるとともに、紫外線を上の水で制限された影響で、その寿命もかなり長命となっていたのではないか。聖書に出てくる洪水前の長老たちが、軒並み数百年の長寿を謳っているのも、あるいは事実に近いのではないか。この状態で上の水が落ちてきて洪水が起き、海の水が倍に膨れ上がったとすると、洪水伝説はあながち間違ってはいないのではないか。ただ、漂流する方舟がアララト山5000bに漂着する、という一節を除いては。ただそれも、1万年前くらいに、アララト山系が地殻変動で隆起して、最初は標高500mだったものが、5000mになったのだ、ということがあれば、この大洪水の話は事実に近いものとなってしまう。
第3日には、「青草から樹木へ」第5日には「海の大いなる獣から水に群がる全ての動く生き物を」「さらに翼のあるすべての鳥へ」第6日には「地の獣を、家畜を、地に這うものを種類に従って」と創造が続けられてゆく。
この順序ならば、意外と「進化論」に則した流れであり、この創世記を著述するときに利用された「原資料」というのは、「科学的な知識」に満ちたもののようだ。この古代に何者かが著述したにしては、なかなか先駆的で不思議である。こうした古代に生きた司祭たちが、もし聖書を執筆しようとすれば、神の誕生から始まり、国土の創造、人間の出生、家畜や動植物、そして海中の生き物から鳥へと、展開してゆくのではなかろうか。それが逆であるというのは、科学者に近いような知識人がいたのだろう。ただし、地球が丸く、太陽の周りを廻っていることまでは、知識が及ばなかったようだ。後段で出てくるいくつもの天国や神の往来などの逸話では、すべて天動説になっていて、また東の地の果てがどうなっているのかは、「主なる神」も知らない様子だ。(それともそこまでは、イナゴのような人間どもに、本当のことを神は教えないようにした、とも考えられる。)
第6日にはいよいよ「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、魚と鳥と家畜と全ての獣と、地を這うものを治めさせよう」として、男と女の人を創造した。またこの「神」は人に、種のある草と木の実を食物として与え、また命ある生き物には青草を与える、と宣言した。つまり人間は、草食を基本とするように創られた、のである。この6日目の記述から2つの疑問が生まれる。まず、神が「われわれのかたちに」といって創造したのが人間であるのだから、神々の姿は人間と同じものなのか。それともこの意味するものは、象徴としての表現であるのか、あるいは単なる比喩に過ぎないのだろうか。
ここでいう神は原文によると「エロヒム」であり、それが万物を創造した神のようである。それを和訳聖書は、「神」と訳している。さて、その神が「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、魚と鳥と家畜と全ての獣と、地を這うものを治めさせよう」として男と女の人を創造した。家畜のほうが人間より先にいた、というのはご愛嬌だが、ここでは神が複数形で綴られる。もともとシュメールであろうがエジプトだろうが、ほとんどの古代社会は多神教が普通であり、それが常識だった。神々は複数いて、そのうちのどの神を主神とするかが、その土地の人民や民族で違っていたのである。だからここでもその常識どおりに複数の神々がいたので、エロヒムがわれわれにかたどって人を造ろう、と呼びかけたのだろう。それに呼応して、ほかの神々も協力して創造の作業に参加したのに違いない。これがシュメールではエンリル(大気神)であり、エンキ(水神)になる。
そして人の創造となるのだが、エロヒムはアダムとイブではなく、男と女の人を創造している。この人というのは、エロヒムとよく似た姿かたちをしていたのだろうが、全く同じものではない。もし同じものならば、わざわざ創造することもなく、神々が大勢の神の子供をつくればいいのである。そうではなく、神に似ているが神とは違う「人」を造る理由は、地上の生物を「治めさせる」ためであり、つまり地上の動植物の管理をさせるためなのであろう。
ところで現代の人間(ホモサピエンスサピエンス)に先立つ人類はアフリカを祖国として、およそ200万年前には誕生していると言われている。ホモサピエンスは誕生しておよそ20万年とされている。であるならば、このエロヒムの創造作業は、実に200万年前の時代のことを示しているのだろうか。どうもそうではなさそうである。200万年前の人類には、とても地上の動植物を治めるだけの余裕も役割もなく、ただひたすら生き抜くだけの生き様だっただろう。それからこのかた、人は創造されなくとも、地球全体に散らばって勝手に繁殖し、あちらにもこちらにも大勢住んでいたに違いない。それを横目で見て、新たに「自分たちに似せて」創造しようとする「人」というのはいったいどういう種類のものなのだろうか。それには、この神々というのがどういう姿かたちをしていて、どういう形質のものなのか、それがわからなければ類似点は判明しないのである。これからの道筋は、この神々の実態をいかに明らかにするかにかかっているのである。
そしてもう一つ注目すべきものに、神は「人に種のある草と木の実を食物として与え、また命ある生き物には青草を与える」、と宣言した言葉がある。すなわちこの神々の意図するところでは、人間は草食を基本とするように創られた、というか、草食を主食にするように指導された、ということである。だがこのあとの、「主なる神」が登場すると、穀物や農業には重きが置かれなくなり、肉食に重きを置いて、犠牲の動物を捧げるのが最上の行為となるのだが、そこには大きな違いが見られる。イスラエルの民は犠牲には、常に牛などの家畜を捧げていて、穀物は捧げはするけれど、主なる神はあまり喜ばれなかったようだ(カインの例)。
この基本的な食料についての対応の違いに限らず、全般的な世界観において、明らかに、ここまでの神々の世界と、次にやってくる「主なる神」の世界は別物であると思われる。勿論背景の時代が大きく異なるのだが、これは重大な問題を宿している。しかも「本当の神」は『われわれ』と呼んでいるところを見ると、複数いるようだ。これは神々ということを意味するのだから、複数の神々が集団で作業をしていたということなのだろう。
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2章.一週間で世界を創造するずば抜けたアイデア