5章. 大洪水はどういう自然現象なのか。
ノアが洪水に遭遇したのは、アダム暦1656年600歳のときである。
人が地のおもてに増え始めて、娘たちが彼らに生まれたとき、神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好むものを妻にした。そこで主は言われた『わたしの霊はながく人の中に留まらない。彼は肉に過ぎないのだ。彼の年は120年であろう。』そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちに生ませたものである。・・主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかること が、いつも悪いことばかりであるのを見られた。主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、『わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう』こうして神は大洪水を起こすことにした。」
この大洪水を引き起こす原因のひとつを造ったのは「神の子たち」なのだが、彼らは何者なのか。その神の子と人間の娘との通婚により生まれた次の世代からは、「神の霊が人の肉体には120年しか留まらない」ために寿命が120年を上限とされてしまったのだ、という。確かに人間の寿命は最大120年といわれるが、これは現代の科学では細胞分裂の数から定説とされている。それが数千年前のこの古代の時代に、こうした洞察ができたのは素晴らしいことだ。
さて、このときに産まれた第2世代が、「ネピリム」といわれるが、その中身は「勇者・巨人・英雄」あるいは「半神半人」だとしているものの、その実態はいまひとつはっきりしない。ただ古代の歴史の中に、身長が2mを遥かに超える巨人がいた、という伝説は数々存在する。
そして大洪水を起こした原因とは、人間の悪事がはびこったためとしているが、続いての記述には「時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた、」とある。
だが、ヨベル書 5.では「人類が地の表に増え始め、彼らに娘が生まれたとき、主のみ使いたちは、彼女らが見た目に美しいことに気付き、自分で相手を選んで結婚した。彼女らは子を生んだが、これが巨人であった。暴虐が地上にはびこり、すべて肉なるものは、人間から始まって家畜、獣、地上を歩くすべてのものに至るまで、その道と定めを退廃させ、とも食いをはじめた。・・」と、書かれている。すなわちネピリムたちが地上にはびこり、彼らが暴虐なふるまいで地上を汚したことが、神の怒りに触れたと類推できる。従って大洪水を招いた原因は、すべて人間にあるとは思われない。むしろネピリムを産ませた「神の子」たちに第一の責任があるのではなかろうか
しかしヤハウェはこうした「神の子」たちの放埓をコントロールすることもせず、傍観していただけだ。その結果、悪逆が地上に満ちると、今度はその責任を人間に求め、その存在を一掃しようとする。ここから考えられることは、この「神の子」に対しては、ヤハウェも手を出せないのか、それとも放任をしているのだろう。つまり彼らは同じ「仲間」であり、「種族」なのである。ただ、その「神の子連中」が大勢で「同 じ神の子同士」の結婚をせずに、人間を相手に結婚するということは、「人の娘が美しい」といった、個人の好みの問題ではなく、何か別の事情が存在しているのではないか。
つまりエデンの園に人間を拉致したことを、それを人間の創造といい、何かの実験材料に利用していたのだが、その目的は、神の子と通婚できるよう人間の「雌」を改良するためではなかったのか。その結果、ようやく神の子との通婚が可能となり、そこで大勢の第2世代を産ませたのだろう。そうだとすると、これはヤハウェ自身の方針であり、神々の人間に対する基本政策ではなかったか。
それを実行するため、アダム・イブたちの意識を麻痺させて、臨床実験がスムースにできるようにしたのだろう。ではどういう改良手術したのか、それを見つけるには、25万年前の人類と現代の人類とを比較して、一番大きな違いを探せば、それが答えではなかろうか。
およそ700万年前にアフリカで誕生した人類は、発掘されただけでも数十種の変種を経て、ホモサピエンスへとたどり着いた。その進化の過程では、肉食動物がうごめいているサバンナでの過酷な生活を過ごす初期人類の中から、ある日突然に、足指の奇形が基で、直立歩行を始めた種が生まれた。その奇形の子孫たちはそのことで移動の利便性を獲得し、居住の世界を拡大することとなった。だが、直立歩行できるというその利点は、雌体にとっては、産道の狭隘さに繋がるため、出産に大変な困難をきたすことになった。そのため、子宮での養育期間を半減させて、未熟児の状態での出産をせざるを得ないことになった。そこから生まれた未熟児は、幼形のまま生育(ネオテニー)することから、ゴリラやチンパンジーのような体毛を持たないものとなった。
とすれば、ホモサピエンスを特徴づける進化上の改良手術とは、この「無毛」ではないだろうか。25万年前の人類は、少しの衣を身に付けてはいたものの、身体はほとんど体毛に覆われていたのである。それが現代になると、ほとんどの人類は無毛となった。勿論要所には毛が濃く生えていて、本来はそれが身体全体を覆っていたものだが、今では体の一部に過ぎず、あとはほとんど無毛になってしまった。特に女性は男性よりも、ホルモンの影響でヒゲが生えないだけ更に少ない。
こうした毛むくじゃらの動物から、無毛の人体へと改良を施せば、それはたしかに「人間誕生」といっても決して言い過ぎではないといえる。
それでは、どうして人間を「無毛」にしたのだろうか。生物学的には、この「無毛」になった理由は、幼形成熟説で理解できる。子々孫々、衣服を身に付けてきた影響で体毛が少なくなった、というのは実は逆で、体毛がなくなったから衣服を身につけざるをえなくなったのだ。また、水中生活をする哺乳類などは無毛になりやすいのだが、人類全体が水中生活するものにはならなかった。また、ほかの説としては、「性的刺激に敏感に反応するため」にそうなった、というのもある。
しかしもしこれが、ヤハウェや神々の干渉でなされたことだとすると、神々の視点では「無毛の方が美しいから」というのが理由となった可能性がある。なぜ、美しいのか。それは神々自身が、実は無毛の体質者であるからなのではないか。彼らは身体に体毛がなく、魚類か爬虫類のようにすべすべした肌であるので、体毛で包まれた人間を改良して自分たちに近づけようとした、というのが実態ではなかろうか。そしてその雌が美しいのを見て情交をした、というのは、彼らと人間の間でハイブリッドを創造しようとしたのだろう。
とはいっても、神々と人間の遺伝子や染色体の数がそれぞれ違う以上、ハイブリッドなどは生まれない。仮に何らかの方法で、その違いを克服する方法を持っていたとしても、ではなぜハイブリッドを創造するのだろうか。ハイブリッドを創造するためには、まず相方の人間の雌に改良を施し、神々から見て、遺伝子的にも肉体的にも魅力のあるものにしたかったのだ。それだけの準備を長い年月をかけてしてきた、というのは、興味半分でもなく、面白半分でもない。明らかに種族の重要な選択であり、その背景には重大な問題があったのだろう。その理由とすれば、彼らの種族では、出生率の低下かあるいは何らかの事情で、種族が減少し、存続が危ぶまれてきた、ということがあるのではないか。つまり、神々の種族は、生物的に子孫を持ちにくくなってきていたので、人間に目をつけ、これを神々好みに改良し、その雌と交わって子孫を造り、種族の延命をしようとしたのではなかろうか。
その第1世代の改良種であるアダムとイブについては、神々の中に芽生えた「自立自然派」のリーダーによる反乱にあって、解放せざるを得なくなった。解放にあたっては、無毛にしたため周囲の気候に順応できないだろうと、やむなく「皮の着物を着せて」放したのである。しかしその二人に組み込んだ遺伝子の影響で、世代交代するうちに、無毛体質は上々の遺伝をしてゆき、1500年およそ100世代を経過すると、見事な無毛の娘が多産されるようになったのだろう。そこでヤハウェを頭とする「支配干渉派」の神々は、そろそろ実験を始めようとして、それらの娘を連れてきて交わることとしたのだ。ところが結果は、遺伝子的に失敗が相次ぎ、怪物や化け物が生まれたりして、収拾がつかなくなった。そこで「支配干渉派」の神々は、良い結果を生まない人間たちに怒りを感じて、「役に立たない人間ども」ならもう必要がない、として根絶やしにしようとしたのだろう。そのため、おおぞらの上にある水を地上に追い落として、地上を総て海にしようと企てたのだ。それに対して「自立自然派」はどうしたのだろうか。バビロニアの伝説では、一部の神々が人間を救出しようと船を用意したというのがあり、ギリシアでも同様のような伝説が伝わっている。つまり、「支配干渉派」の殲滅作戦に対抗して、人間を救済しようとしたのが「自立自然派」であり、彼らは世界中で人間救済の箱舟製作活動をしたと見られる。
この「支配干渉派」と「自立自然派」の争闘があったことは、
創世記6では、神の子➡人間の女と混交➡怪物の誕生➡暴虐と混乱➡人間との清算➡大洪水と展開するが、
ヨベル書では、神のみ使い➡人間の女と結婚➡巨人の誕生➡とも食いの暴虐➡み使いを地の深みに繋ぐ
エノク書では、天の子➡娘たちと結婚➡文明生活の知恵を娘たちに教授➡巨人の誕生➡共食いの暴虐➡大地の下に繋
ぐとあり、こうした資料でも窺われる。しかし神々と、天の子(み使いたち)という、二大勢力同士が、果たしてどういう結末を迎えたのかは、まだこの段階では不明である。「深みに繋がれたみ使い」というのは、天界から追放された光の子ルシファーであり、天の子の筆頭シェミハザであるだろう。この連中もまた、ヤハウェと同じ「支配干渉派」の一員だったが、これからは悪魔として指弾されることになる。
さて、ヤハウェが洪水を発生させた理由とは別に、怒りの矛先が人間に向かうというのは、どうも首尾一貫していない。ヤーウェが創造者だとすれば、人間たちが暴虐の中で殺し合いをしている現状を見て、こうした連中を創造したことを悔いる、というのは一面の理があるようだが、それだけでは動植物すべてまでを、根絶やしにする理由にはならないのではないか。人間の種族だけを、伝染病やその他の方法によって抹殺する方が簡単だ。また、暴虐が吹き荒れた、と記されているが、具体的に一体何が起きていたのか、いまひとつはっきりとしない。第2次大戦のような殺戮大戦争が繰り広げられたとすれば、もう少し具体的に書かれてもいいのではないか。
さらに、もしそうした戦争行為ならば、それは全てが悪人ではなく、防衛のために戦うものもいれば、侵略と殺人に喜びを見出すものもいるだろう。つまり全ての人間が悪人と決め付けるのは、間尺に合わないのではないか。それを女子供も含めて一律総て絶滅させるというのは、乱暴な決定である。総ての人間の事情・状況が即座に把握できる「神」ならば、その人その人に応じて、正邪を分けてゆくことができそうだが、どうもこのヤハウェにはそうした能力がなかった、ということなのだろう。
こうして大洪水が迫ってきた。そこでノアはヤハウェの指導のもとで、箱舟を造り、「清い獣は7組、清くない獣は2組づつ」、を箱舟の中に収めた。獣に、清いものと、そうでないものがあるということだが、それらも全て、神としてのヤハウェが創造したのだろうが、こうした書き方からすると、どうも創造神とヤハウェは別の存在なのだろう。
ノアが作った方舟は300キュビト(133m)の長さの舟で、幅50キュビト(22m)、高さ30キュビト(13m)、さらに屋根が1キュビト(44cm)の巨大さだった。このサイズの30:5:3という比率は、現代のタンカーなどでも最も安定した比率とされているとwikipediaにある。内部は3階建てとされているが、ワンフロアおよそ2600㎡なので、動植物や食料を積み込みするだけの広さは、充分確保できそうだ。しかしこれだけのビッグサイズだと、造船完了までには相当の年月がかかるのではなかろうか。ノアに最初の指示があってから、洪水が発生するまでには、それだけの製造期間の月日が流れた、ということになる。
また、wikipediaによると、5千m級のアララト山の山頂近くに、この方舟の残骸と見られるものが、過去何度も発見されていて、収集された木片は研究機関でも年代測定されたことがあり、中には紀元前5000年を指すものもあった、というが、定かではない。
とうとう「大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、雨が40昼夜、降り注ぐ」という大異変がやってきた。とてつもない水量が、天から押し寄せたのだ。150日の間、山々の上にみなぎった水は、いったいどこから来たのか。大陸の大地が地殻変動を起こし、海面下に滑り込んだのだろうか。それとも、天空の上の水が、このとき地上へ落ちてきたのだろうか。
氷河期のヨーロッパでは、氷がアルプスの頂上近くまで堆積し、融解したときにそれが大地を削って、現代のアルプス山脈を造形して行った、と観測されていることからすると、地球上にあった海や河川の水では足りない巨大な量の水が、どこからか発生してきたのだ。それはやはり、天空の上の水なのだろうか。
中には、水惑星が地球と接触したために、大量の水が降り注いだ、といった説もある。ただ40昼夜降り注いだという、この40は、かならずしも正確な日数を表すのではなく、単に多いという意味であり、この先、イスラエル民族では40が「多い」というときを表す定番の言葉になっている。
もうひとつこの章では、年代の上で気になる疑問点がある。カインがアベルを殺して地上より追放されたのが、アダム紀元129年頃のことだが、そのあとノアに声をかけるまで、1500年近く、ヤハウェについての記録はなく、彼はこの世に登場していない。アダムの誕生を紀元0年とすると、
①アダム(0-930) ?セツ(130-1042) ③エノス(235-1140) ④カイナン(325-1235)
⑤マハラレル(395-1290) ⑥ヤレド(460-1422) ⑦エノク(622-987)・失踪
⑧メトセラ・最も長命(687-1656) ⑨レメク・(874-1651) カインの子孫とは別人 ⑩ノア(1056-2006) ⑪セム・ハム・ヤペテ(1556-2158) と系譜は続いている。
この間、エノクの居た300年は「神がともに歩み」とあるので、それが神の顕現だとすると、ヤハウェはエノクの生まれる前のおよそ500年、さらにエノクの失踪したあとの600年、まったく記録がない。聖書に書き残すほどのドラマがないので、省略したということだろうが、あるいはまた、ヤハウェ自身がこの地上に居なかった、ということもあるのではないか。
さらにまた、このノア一族の救出作戦を遂げたあと、バベルの塔で「言葉を乱した」ことに関与したようだが、その後アブラハムに現われるアダム紀元2023年まで、また479年の間どこにも現れていない。アブラハムからイサクやヤコブの時代には、ときどき出現していたようだが、エジプト居留時代の400年もまた、出現していない。このヤーウェは、常にそこに存在するというのではなく、ときどき思い出したように出現して、人間たちの運命に(過剰に)関与したりして、またどこかへ消えてゆくというのを繰り返している。
この不在の時期、ヤハウェはいったいどこにいるのだろうか。
さて、この洪水伝説だが、バビロニアの粘土板にあるギルガメッシュ叙事詩に出てくる洪水伝説が種本ではなかろうか、と識者は見ている。成立年代からもそれが事実だろう。ただ、古代のある時代には、大洪水が発生したのは事実だろうし、それも一回というのではなく、繰り返し起きた可能性もあるのだろう。そういう伝承の中で、その大洪水をどう解釈するかが問題となり、そこで原因は人間の不正や悪を洗い流すために、神々が仕組んだのだという説にまとめられて、それを乗り越えた人類の代表者に名前をつけ、その洪水をドラマチックに描いたのが、この物語となったのだろうか。
そのため人間の悪逆無体な様を強調し、その遠因は、人間よりも神の子たちが怪物を生んで、それが暴虐を働き、その結果人間までがそれに巻き込まれたのだ、といったストーリーになったのだろう。ここから推測するに、古代からの伝承では、神の子を自称する無法な連中が、人間の娘たちを拉致したりして子供を生ませ、その子孫が権力を握って、民衆を駆使しながら戦争や宮殿造営などで苦しめるような、悪辣なことが日常的に起きていた、ということがあったのではないか。そこへ、洪水が押し寄せたことから、その洪水の原因譚としてこうした物語が創られたのだろう。
ただし、これを古代伝承の創作物語としてしまうと、「主なる神ヤハウェ」の果たす役割はなくなり、バビロニア伝承のような、神々の争いの物語で終わってしまう。ここはやはり、ヤハウェの主導する聖書の、現実にあった言い伝えとして分析することが大事であろう。
ノアたちは1年と10日を箱舟で過ごした後に、外に出た。そこで洪水前に自分たちを、洪水から逃れる段取りをさせてくれた、ヤハウェの神に対して、獣と鳥を焼いた燔祭を捧げた。するとそこにヤハウェがやって来て、人間には姿を現さないまま、その香ばしい香りを嗅いで、もう2度とこうした無茶はしない、と心で誓った、という。そしてノアたちに
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。」と宣言する。その中には「すべて生きて動くものはあなたがたの食料となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。あなたがたの命の血を流すものには、わたしはかならず報復するであろう。」として、「地上のすべての生き物と契約をたてようという。その証しに、雲の中に虹を置く。」と宣言する。
ここでもいくつかの疑問が生じる。まず青草を食料として指定されていた人間だが、ここからは肉食が解禁されたのは、なぜだろうか。それも、すべて動くものは食料としてよい、というのは随分太っ腹な決断だが、神々と人間との食料を巡る基本的な生活条件が、こうして簡単に変更されるというのは、どうにも腑に落ちない。それも犠牲の獣の焼き具合が絶妙だったのか、その臭いを嗅いでから、この決断がされたというのは、どうもこのヤーウェはそれを食べたからではないのか。それも血の滴るミディアムのところは嗜好に合わなかったのか、血は食べるな、と教えてくれる。この動物のものでも人間のものでも、「血」に対するこだわりが、このヤーウェには非常に強い。あとからも随分こうした教えがでてくるが、それは必ずしも、血に対する嫌悪に基づくものではないのである。とにかく血を飲むな、血を地上に捨てろ、ということにつきる。
そして、すべて生きて動くものは、食料として食べても良い、というのはあまりにも節操のない話しではなかろうか。では、人肉も可なのか。鳥や魚や小動物は言うに及ばず、数多くの動物が、こうした教えの影響で、この世から消えていったのは、まさにこうした節度のない教えが原因の一つではなかろうか。肉食をもし許すのならば、あくまでも家畜として飼育したものに限るべきではなかろうか。それが、分別もなくて、すべての動くものを食料とせよ、というのはこの宣言をしたもののレベルが低すぎないだろうか。
それでは、前章まで一応草食を中心として生かされてきた人間たちに、これからは大いに肉食をせよ、と方針を転換する神とはいったいどういうことだろうか。どうもこれは方針の転換ではなく、世界を創造した神と、ここで登場するヤハウェ神が、違った見解を持っているところから見ると、別物ではないか。つまりそれまでの神々の指導者と、このヤハウェとは素性を異にしているのだ。
また、雲の中に虹を置く、という誓いの言葉だが、ここには重大な疑問がある。聖書では
「わたしは雲の中に虹を置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。私が雲を地の上に起こす時、虹は雲の中に現われる。虹が雲の中に現われる時、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思い起こすだろう。」とある。
そこでお聞きしたい。虹は、大洪水以前には、この地球では見られなかったというのだろうか。虹の発生力学は、水と光のプリズムの関係で、物理的にいかなる場所でも、いかなるときにも発生するのである。それが大洪水を契機に、神がそこに置いた、というものではありえない。ところが、ここでヤハウェが言っている「虹」というのは、実は、天体上の虹ではないことが、注意深く読むと分かるのである。
虹というのは、雨が降り止んで空が晴れた時に見られるのが、圧倒的に多い。それは晴れた空をバックに大きな弧を描いていて、「雲の中」ではない。それは一部雲をも貫いたり、跨ったりはするけれど、雲の中だけでとぐろを撒くようには、終始しない。
ところがこのヤハウェは、「虹は雲の中に現われる」と繰り返し言っている。虹が雲の中に留まるような表現は、この後の出エジプト記では、常に雲とともに現われるヤハウェの表現と共通するものがある。つまりここで言う虹は雲の中で輝き、必ずしも全天にまたがるようなことはしないのだ。いったい雲の中だけで輝く虹があるのだろうか。そんなものを見た人はいるのだろうか。同じような状況を他に探すとすれば、常に雲に包まれて出現する「虹」=7色の光があるとすれば、それこそ現代のUFOが雲の中から出現するような、イメージしかないのではないか。そうすると、雲の中から輝きだして、その中だけに終始する「虹」とは、まさしくこのヤハウェが登場するときの、雲の中から現われる乗り物を意味しているのではないか。
ヤハウェにしてみれば、光り輝く虹色につつまれた乗り物に乗って、自分たちが現われる時には、人間との約束を思い出すだろう、ということを言いたかったに違いない。そして自分は神々を代表するもので、このことによって、人間と契約をするのだ、という。「契約」とは、私たちには耳慣れない言葉だが、A とBが取り決めをすることだろうが、そのときにはAは「もう2度とあなたがたを滅ぼさない、その証拠に雲の中で虹色を見せよう。」
そうするとBの責務はなんだろうか。「肉でもなんでもどんどん食べて、どんどん増えよ。」ということか、それともここには明記されていないが、「わたしを主なる神として敬え。」ということか。
敬うにもなにも、「報復する」などという「慈悲のこころ」のかけらもない物言いをするようなものが、果たして「全能の至高者」としての資格があるのか、また、大洪水を招来して、生き物を絶滅させたことの責任者であるならば、まったく神としての資格や資質に欠けているのは、歴然としている。それが肉の臭いに引き寄せられて、ノアたちと契約を結ぶというのは、噴飯ものではなかろうか。
こうしたことからすると、このヤーウェなるものは、その性質や人格性(?)からして、間違いなく地上に投げ落とされた悪魔を代表するものだろう。それと契約を結んだノアという人物もまた、同じような性向を有しているのはそのためだ。ノアは大酒を飲んで、酔っ払い、裸になった。カナンの父ハムがそれを見て、外にいる兄弟に告げたところ、このノアは酔いが醒めると、ハムの息子のカナンを呪って、カナンは兄弟たちの僕(奴隷)になれ、と宣言している。その場にいなかったカナンに、いったいどういう非があったというのか。なぜ呪われねばならないのか。カナンは無実である。この言葉によって、これが現在のイスラエルとカナンの地パレスティナの紛争に繋がったのだ。実にこんなことで、3千年の歴史的対立の、根本原因がつくられたのだとすると、いったいノアは何を言ってくれたのか、と言いたい。父が父なら、子もまた子だ、というのがこれによって判明する。

